第110話 楽しそうで何よりです
1
「はい、勇にぃ。あーん」
信号待ちの最中、助手席の朝華がポテトを手に持って俺の口に運ぶ。昼飯はマ○クにした。車内にいい匂いが充満している。
「あむ、美味い」
俺たちは今、富士山の登山道を走っている。富士山スカイラインの道中に街を一望できるスポットがあるので、ドライブがてらそこで昼食を摂ろうということになったのだ。
つづら折れが続く上り坂の途中、左手の斜面に面した路肩にそのスポットはある。木が伐採されたのか、その一角は視界を遮る木々がなく、眼下の街を見下ろせるのだ。今日は空気が澄んでおり、南に臨む駿河湾やその先の伊豆半島までも見渡せるほどである。
建物は全て豆粒ほどのサイズだ。薄ぼんやりとした海の青さが目に優しい。
「いい景色ですね」
「な?」
「あそこの森が浅間さんでしょうか。あっ、あれが市役所ですね」
「たぶん朝華の家はあの辺だな」
こうやって自分たちの住む街を富士山から一望していると、なんだか神様にでもなった気分だ。
「勇にぃ、ご飯にしましょう」
「そうだな」
「はい、あーん」
朝華がダブルチーズバーガーを差し出す。
「おいおい朝華、自分で食えるぞ?」
「食べさせてあげますね」
「え?」
「はい、どうぞ」
はい、どうぞって……
朝華は両手でハンバーガーを持つ。俺はそこに顔を近づけ、
「……あむ」
そうしてバーガーからポテト、ナゲット、果てはドリンクに至るまで、朝華がわざわざ口に運んでくれた。車の中では両手が塞がるからまだよかったものの、これではまるで子供のようだ。
「でもこれだと朝華が食えないだろ?」
「私の分は勇にぃが食べさせてください」
「は?」
朝華は口を開ける。
食べ物を食べさせ合うなんて、なんというか、付き合いたてのいちゃついたカップルみたいじゃねぇか。
「勇にぃ、お腹ペコペコです」
「ああもう、分かった分かった」
てりやきマ〇クの包装を剥がして朝華の口元に持っていく。
「あむ、美味しいです」
「そうか」
「勇にぃと一緒なら、なんでも美味しいです」
「そりゃよかったな」
朝華はいちいち言うことが大げさだ。こういうことをポンポン言うと、男は勘違いしてしまうだろう。
こいつは妹みたいな存在だから、俺がそういう風に意識してはいけないのだが。
まあ、それはそれとして、外で食うマ〇クのなんと美味いことか。それもこんな見晴らしのいい場所で。
そうやって俺たちは互いの口元に食べ物を運び運ばれ、充実(?)したランチタイムを過ごした。
2
「はい、じゃ、休憩。再開は一時からね」
「はーい」
「はーい」
「はーい」
へとへとだ。
練習着は絞れるくらい汗を吸っていた。
正午の鐘を聞きながら北嶺館に戻る。合宿二日目にもなると、練習が一段とハードになる。しっかりご飯を食べてエネルギーをチャージしなきゃ。
外に出ると、暑いはずなのに風が気持ちいい。
「あっ、まっひー。先行ってて」
体育館を出たところで、香織がそそくさと列から離れる。
何だろうと思っていると、校舎の陰から一人の男子生徒が現れたではないか。
「あれ、かおりんの彼氏だよ」
「え? めっちゃイケメンじゃん」
「でもなんかひょろひょろじゃない?」
「うーん、ウチ的にはちょっとないかなぁ」
「まっひーの見立ては?」
「はぁ?」
話を振られたので、あたしは二人の様子を観察して、
「いいんじゃないの? 二人とも楽しそうだし」
「そう? でもさ、よく見るとかおりんのが背高くない?」
「あ、本当だ」
「自分より小さい男はちょっとねぇ」
「いやいや身長とか関係ないだろ」
あたしがそう言うと、副部長の
「いやいや、そこ、かなり重要なファクターだから。だって、ヒール履いたらさらに差がつくんだよ? それに男だって自分の隣を歩く女の子が自分より大きかったら、絶対周りの目とか気になるし、気後れするから」
そういう千里も身長175センチと大柄で、彼女なりの苦労が窺える。
「まっひーだって自分より小さい男とか恋愛対象としてないでしょ?」
「いや、あたしはそういうのは気にしないけど」
「本当に?」
「う、うん」
「あんたたち、さっさと飯食いに行かないと休憩時間が無くなるわよ!」
顧問の先生が中から声を飛ばし、部員たちをせかす。
「やば、行くぞ」
身長差、か。
あたしの身長は今現在176センチ。女子にしては、というより男子を含めてもかなり大きい方だと思う。勇にぃはだいたい170センチくらいか。
あんなに大きく見えていた勇にぃを十年で追い越しちゃった。
あたしは身長差なんか気にならないけれど、男の子は気にしちゃうんだろうか。
勇にぃも、自分より大きい女の子は嫌なのかな。
って、付き合ってすらないのに、そんなこと考えたって意味ないじゃん。
でも……
悶々とした昼食になってしまった。
3
楽しい。
とっても楽しい。
何を見ても、何をしていても、どこにいても、勇にぃと一緒だと全てが光輝いて見える。
「朝華、そろそろ行こうぜ」
「はい」
市街地に戻り、私たちはイ○ンに向かった。平日の昼間だが、人でごった返している。
勇にぃの腕に自分の腕を絡ませる。ごつごつしていて素敵。さっき外に出た時暑かったのかな、少し汗の匂いがした。
いい匂い……
周りからはカップルに見えたりしないかな。もうちょっとくっついてみよう。
胸を押し付けるようにして密着すると、勇にぃの体がびくんと震えた。
可愛い。
「朝華、そうぴったりくっつかれると歩きにくいんだが」
「はーい」
午前中にキャンプの話題が出たので、アウトドアショップに寄ることにした。
「へぇ、テントにも色々あるんですね」
「四人で入るならこのサイズかな」
「勇にぃ、私たちと同じテントに入るつもりですか?」
「え!? あ、いやそういうじゃなくて」
「うふふ、私はいいですよ」
「朝華、からかうなよ」
「どうせだったらこっちの小さいテントを二つ買って、二人ずつ使いましょう。私と勇にぃ、未夜ちゃんと眞昼ちゃんで」
「朝華、冗談はよしなさい」
「はーい」
冗談じゃないのにな。
勇にぃは小物のエリアに足を向ける。
「こういう木のマグカップでコーヒーを飲んだら美味いだろうなぁ。こう、星空の下でさ、焚き火を眺めながら、熱いコーヒーをくいっと」
勇にぃはそういうシチュエーションが好きみたい。ロマンチックで素敵。
「あっ、ペアのマグカップがあります」
木製のカップで、赤と青のハートがそれぞれ彫られている。
「いやそれカップル用だぞ」
「いいじゃないですか」
その時、こちらに店員がやってきた。
「こちら、お名前を追加して彫ることもできますが」
「そうなんですか?」
「はい、こちらのハートの下に、彼氏さんと彼女さんのお名前をアルファベット体で」
彼氏さんに彼女さん……
ほかのみんなからはカップルに見えてるんだ。
心が燃えるように熱くなり、頬の筋肉が思わずとろける。
「え? いやでも」
「勇にぃ、ぜひやってもらいましょう」
「いやさ、おっさんと女子高生がペアのマグカップ買うって、なんか犯罪的というか」
「勇にぃはおっさんじゃないですよ」
「アラサーはおっさんなんだって。それに、まだキャンプに行くとも決まってないしな。す、すいません、大丈夫です。ほら行くぞ」
「むぅ」
勇にぃって世間体を気にしすぎるところがあるんだよなぁ。私は勇にぃのためならなんだってできるのに、常に身構えられるというか、人の目を気にするというか。
人からどう思われようと、本人が満足できればいいと思うのに。
きっと、昔の数多くの誤解による事件が尾を引いているのかな。警察のお世話になりかけたりしたこともたくさんあったっけ。
「勇にぃ」
「ん?」
「何かあっても、私が守ってあげますから大丈夫ですよ」
「ありがと……何の話?」
*
その日の夜、浴場。あたしは香織に聞いてみた。
「なぁ、香織」
「なに?」
「あの彼氏くんとさぁ」
「えっ、彼氏? なななな、何の話?」
「とぼけんなよ。昼休憩の時にこっそり会ってたろ」
「え? バレてたんだ」
「もうみんな知ってるぞ」
「ええ、マジぃ」
口調こそ悲観的だが、香織はどこか嬉しそうにはにかむ。
「そうそう、でさぁ、あの男子と香織って、香織の方が背高いじゃん?」
「え? うん」
「それってさ、その、どう、なの?」
「どう、とは?」
香織は心底不思議そうな目を向ける。
「いや、その、なんか女子の方が背が高いと、色々、その……」
うまく言葉が続かない。
「っていうかさ、身長なんかどうでもよくない?」
「そう、なの?」
「私たちは全く気にしてないし。まっひー、背が高いから、そういうので悩んでるんでしょ?」
「あたしは別に……」
頭の中で勇にぃの顔が浮かぶ。
「好き合ってるなら、身長なんか全然関係ないと思うけどな」
「そうなんだ」
でも、それはあくまで香織とその彼氏の意見。
「なるほどなるほど、まっひーの好きな人は背が低いんだ」
「は、はぁ? そんなんじゃねーし」
「今の会話の流れだと絶対そういう感じでしょ」
「違うんだって」
「おーい、みんなー、まっひーの恋愛じじょ――がぼがぼ」
あたしは香織の顔にお湯をかける。
勇にぃはどうなんだろう。
でかい女なんか、やっぱり恋愛対象じゃないのかな。
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