第95話 隠しておこう、いつまでも
1
「まっひー、昨日はごめんね」
香織がパンと両手を合わせて謝ってきた。昨日は、というのは市民プールでのことだろう。
同じ学校のやつらとあんな場所で会うなんて想定外だった。
勇にぃと朝華は二人でどこかに行ってしまうし、男子どもをあしらいながらの未夜のお守りは大変だった。
最終的に休憩時間を利用して男子たちの囲いから抜け出し、機転(?)を利かせて勇にぃたちと合流できたのでよしとする。
「別にいいって」
香織のせいじゃないし、誰が悪いという話ではないのだから。
「っていうか、あのグループって……そういうことなの?」
夏休みに男女でプールに行くなんて、
「あっ、違う違う。クラスのみんなでプールに行こうってなっただけで、別に変な集まりじゃないからね」
そうは言うが、香織の顔は少し赤くなっていた。
「本当かなぁ」
「ほ、ほんとだって。今はバレーが恋人だから。あっ、監督来たよ」
「分かってる分かってる。ほら、練習始めるよ」
今日は午前中だけ部活の練習がある。風通しの悪い第二体育館に、掛け声とボールの飛び交う音が響く。
「あっちぃ……ナイッサー!」
今日も今日とて灼熱だ。体育館内に熱がこもり、まるでサウナのようだ。
跳んで転んで打って叫んでと、いつも通りの練習をこなしているだけなのだが、小一時間もしないうちに練習着は汗でびしょびしょになってしまった。
三時間ほどの練習を終える頃にはみんなへとへとのびしょびしょで、シャワー室には長蛇の列ができる。
「この後どうする?」
「マ〇クでも行く?」
「あ、うち予定あるから」
「あー、なっつん彼氏できたんだってねぇ」
「マジ?」
「へへ、夏休み入る前に告られてさぁ」
一年たちがコイバナに夢中でなかなか体育館から出ていかない。
「ほらほら、だべってないでさっさとシャワー行く」
「はーい」
「はーい」
「はーい」
「うへぇ、もうべとべとだよ。まっひー、私らも行こうよ」
香織が言う。
「あたしは打ち合わせと片づけあるから、最後でいいよ」
「そう? じゃあ先に行くね」
監督と夏の合宿や練習日程の打ち合わせをし、シャワー室へ向かう。その途中、
「香織?」
体育館の横で香織と制服姿の男子が立ち話をしていた。名前が思い出せないが、確か昨日のプールの時にもいたやつだ。
どちらも気恥ずかしそうに顔を赤らめている。男子の方がぎこちない手つきで香織の手を取る。
香織は一瞬びっくりしたように顔を硬直させたが、すぐにほころび、そのまま二人はどこかへ行ってしまった。
「……マジか」
やっぱりそういうことじゃねーか。
一年の頃から彼氏も作らずにバレー一筋だった香織がなぁ。あんなデレデレしちゃって。
「恋かー」
香織のやつ、嬉しそうな顔してたな。
もう付き合ってるんだろうか。
どっちにしろ、あの様子だと両想いなのだろう。
そりゃ嬉しいはずだ。
好きな男が、自分のことも好きなんだから。
人気のいなくなったシャワールームに入り、着替えを籠に入れる。
服と下着を脱いで巾着袋に入れる。最後にリストバンドを外し、裏に縫い付けたハートを見つめる。
自分で縫い付けた、ハートのワッペン。
「恋……か」
ま、あたしには無縁の話だ。
ぬるめのシャワーを頭から浴びる。
正午の時報が、遠くから聞こえてきた。
2
「こんちはー」
「おう眞昼」
帰りに〈ムーンナイトテラス〉に寄った。勇にぃがじっと私の目を見つめてくる。いつものぼけっとした優しい目だ。
「飯食ったか?」
「いやまだ。もうぺこぺこだよ」
「よしよし、じゃあなんか食ってけ。売り上げに貢献しろ」
「えっと、カルボナーラにサラダ、あとピザトースト二枚にコーラフロート」
「相変わらずよく食うな」
「部活帰りだからね」
本当はもう少し入るけど、今日はそんな気分じゃない。
勇にぃがおじさんのところにオーダーを持っていく。その後ろ姿を眺めていると、なんだか安心する。
からんころんと呼び鈴が鳴る。
入口に目をやると、未夜と朝華が連れ立って入って来た。
「あ、眞昼」
「眞昼ちゃん、ちょうどいいタイミングだね」
二人はショッピング帰りのようで、紙袋を手に持っていた。未夜が向かいに、朝華があたしの横に腰を下ろす。
「いらっしゃーい。暑かったでしょ」
おばさんが水とあたしのコーラフロートを運んでくる。そして未夜と朝華の注文を持ち帰っていった。
「眞昼ちゃん、料理はもうちょっと待っててね」
おばさんは申し訳なさそうに言った。
「はーい」
お昼時だけあって、けっこう忙しそうだ。
「で、なに買ったの?」
「これ? 推理小説だよ。朝華が推理小説デビューしたいって言うから、色々教えてあげたの」
「へぇ」
「眞昼も読む?」
「いや、あたしはいいよ。読書とか苦手だし」
前に一度だけ推理小説を未夜に借りたことがあるが、あまり楽しめなかった。というより、読書全般が苦手なだけなのかもしれない。
活字がびっしり並んでいるのを見ると、めまいがするのだ。
「まあ人を選ぶからねー」
「眞昼ちゃん、部活帰り?」
「うん、もう終わったよ。午後はフリー」
「じゃあ、ご飯食べたら後で上に行こうよ。勇にぃ、いいですよね?」
「あー、いいぞー」
「そういえばさ、また近いうちにプール行きたいよねぇ」
未夜が言う。
「だな、昨日は消化不良に終わっちまったもんな」
「そうだ、朝華! 昨日は二人で何してたの!」
「未夜ちゃん、今さら?」
「今思い出したの」
「なんでもないよ、二人がお友達に連れていかれちゃったから、仕方なくこっちも二人でぶらぶらしてただけですよね、勇にぃ」
「あ、ああ、まぁな」
「本当?」
未夜が勇にぃをじっと見据える。
「ベタベタしてなかった?」
「……いや、その」
「してたの!?」
朝華は息をついて、
「プールだもん。自然と距離は近くなるって。ウォータースライダーの時もそうだったでしょ? ただ普通に勇にぃとプールで遊んでただけ」
「うーん、そういうもの、かな? でも二人っきりなんて怪しいな」
「いい、未夜ちゃん、そもそも私と勇にぃが二人っきりになったのは、未夜ちゃんと眞昼ちゃんがお友達に偶然会ったからでしょう?」
「それはそう……だけど」
「それより未夜ちゃん、どれも面白そうだけど、どの本から読めばいいの?」
「あ、えっとねぇ、初心者はまずはこの『占星術殺人事件』から――」
*
今日は夜遅くまで、勇にぃの部屋でゲーム大会をした。
今のままでいい。
こうやって四人で過ごす日常の方が大事だもん。
未夜、朝華、勇にぃ、そしてあたし。
ずっと四人でいられたら、それでいいんだ。
だから隠しておこう、いつまでも。
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