第94話 朝と月の逃避行
1
「す、すげぇ、あの春山さんがビキニ着てるよ」
「鉄壁聖女の二人とこんなとこで会うなんてすごい偶然だぜ」
「眼福、眼福」
「俺、今日死んでもいい」
や、やっべぇ。
まさかこんなところで同じ学校のやつに出くわすとは。
しかも最悪なことにプールでかよ。あたしは無意識のうちに胸を両手で隠していた。胸全体が隠れるハイネックビキニでよかった。
「ま、眞昼」
未夜があたしの後ろに隠れる。同級生にプライベートのビキニ姿を見られるのが恥ずかしいようだ。未夜は谷間がモロに見えてるからなぁ。あたしも嫌だけど、仕方ない。盾になってやるか。
「二人で来たの?」
「いや、友達……とね」
「へぇ、じゃあさ、せっかくだしちょっとだけ遊ぼうぜ」
そういう男子の視線は、あたしの目ではなく胸にくぎ付けになっていた。学校でもほとんど絡んだことのない男子と一緒に過ごす義理はない。適当に切り上げて勇にぃたちのところに戻ろう。
「ちょっとだけでいいからさ」
「いや……」
「あれ、まっひー」
「あ、
同級生のグループの中には部活仲間――
「あら、未夜」
「星奈ちゃん!?」
どうやら未夜も知り合いを見つけたようだ。
「あんた、なかなか攻めた水着ね」
「あんまり見ないでぇ」
となると、この集団をあしらうことはできないな。
「おい、野中、なんとかして春山さんを誘ってくれよ。仲いいんだろ?」
「……未夜、ちょっとだけ付き合ってくれない?」
「山宮も、頼むぜ」
「しょうがないなぁ、まっひー、ちょっとでいいから、お願い!」
普段からあまり関わりのない人がほとんどだし、「無理」ときっぱり断ることもできる。けれど、そうやってあたしらが冷たく突っぱねたら香織や未夜の友人――野中星奈の立つ瀬がなくなるかもしれない。
あたしと未夜がいなくなった後で、あの二人が居心地の悪い思いをするのが想像できる。
香織や野中の顔を立てて、ここは十分二十分程度付き合ってやるか。勇にぃたちにちょっと席を外すって伝えないと、
「……あれ?」
振り返るも、プールサイドに勇にぃと朝華の姿はなかった。
「眞昼、勇にぃと朝華がいないよ」
「……うん、いないな」
マジかよ。
*
「えへへ、気持ちいですね」
流れるプールに仰向けの体勢で流される朝華。
胸がぷかぷかと水面に浮かんでいるのが目に毒だ。
ウォータースライダーから見下ろした時よりも人は減っており、パーソナルスペースを十分確保できた。とはいえ、流れるスピードは人それぞれなので、ぶつからないように注意をしなくては。
浮き輪にお尻を預け、自由気ままにゆらゆらと流される者。小さな子供を肩に乗せる父親らしき者。たいして進みもせずに岸辺でイチャコラするカップル。
流れに乗ってすごいスピードで泳いでいく者もいれば、逆に流れに逆らって反対方向にもがく反逆者もいる。
様々な人波と共に、俺たちも流される。
「勇にぃ、あれやってみたいです」
朝華が前方の若いカップルを指さした。見ると、男の方が女をおんぶしているではないか。
「いいぞ」と言うや否や、朝華は俺の背中に飛び込んできた。体重と共に柔らかな二つの圧が俺の背中にかかる。
朝華の太ももを手で持って支える。指が沈むような肌の柔らかさと、押し返してくる筋肉の弾力のバランスが心地いい。
水中にいるため、重さはあまり感じない。当たり前と言えば当たり前だが。
朝華は俺の胸筋を撫でながら、
「別荘でも思いましたが、勇にぃ、痩せましたね」
「うーん、十年で五、六キロ、いやもっと減ったかな」
「そんなに……ご飯はちゃんと食べてましたか?」
「いや、家で飯食う時間を切り詰めれば、その分寝れるからな。はっはっは」
「あんまり笑えないです。勇にぃ、体は資本ですよ」
「分かってるって」
「もう一人の体じゃないんですから」
どういうことだ?
「……ところでさ朝華、乳首こちょこちょすんのやめてくんない?」
「あは」
2
とりあえず、同級生グループとプールを回りながら、あたしたちは勇にぃたちを探すことにする。
朝華が一緒だし、勝手知ったる市民プールだから、そのうちばったり合流できるだろう。ただ、朝華は久々に勇にぃに会えた嬉しさで最近テンションがおかしなことになってるからなぁ。
過度なスキンシップで勇にぃが変な気を起こしたら大変だし、早めに見つけないと。
「龍石、はぐれるといけねぇ、俺に掴まってろよ」
差し出された浜本の手をスルーする。
「いや、子供じゃねーから」
あたしたちは流れるプールに流されていた。一番人が集中するのはここだし、流れながらプールサイドを観察していれば勇にぃたちを発見できるかもしれない。
「未夜、そんなにしがみつかなくても底に足つくでしょ?」
「だ、だって、けっこう流れ速いし、溺れたら……」
「溺れるわけないでしょ、っていうか疲れるんだけど」
未夜は野中の背中にしがみついていた。
「春山さん、よかったら俺がおぶってあげようか?」
「いや俺が」
「じゃあ俺が」
「はいはい、ほら、未夜こっちおいで」
「眞昼~」
未夜をおぶさり、周囲に目を配る。
お昼前になって、人が増えたような気がするな。ウォータースライダーは順番待ちの列が階段の下の方までできていた。先に滑っておいてよかった……じゃない。
勇にぃ、朝華、と。
勇にぃはともかく、朝華はアイドル級の美少女で纏っているオーラが違うから、人混みの中でもすぐにそれと分かるはずだけど……
「いねーな」
「何が……わわ」
誰かが横を泳いで通り過ぎ、その衝撃で大きく水しぶきが上がった。それをまともに食らったのか、未夜が暴れる。
「おい、未夜どこ触ってんだ……ぁん」
「息が、息が」
「み、水着がズレるだろうが」
*
「……! 勇にぃ、そろそろ上がりましょうか」
「もういいのか?」
「はい、ちょっと休憩しませんか?」
流れるプールから上がり、食堂へ向かう。
「そろそろお昼ですけど、食事は眞昼ちゃんと未夜ちゃんが来てからにしましょう。何か、軽いものでも……」
ホットスナックやアイス、かき氷など、軽食メニューも充実している。
「そうだな。おっ、かき氷なんかどうだ?」
「いいですね」
「かき氷二つ――」
「あっ、一つでいいですよ」
「え? そう?」
「ご飯が食べられなくなると困りますから」
そうしてブルーハワイのかき氷を手にテーブルに座る。
「うぅ、頭がキーンってなります」
朝華と二人で一つのかき氷を掘削する。
一つの飲食物を二人で共有するなんて、まるでカップルのようだ。半分ほど食べ終えると、朝華は舌を出して、
「べぇ、青くなってますか?」
「どれどれ……おお、ちょっと青くなってるぞ」
「勇にぃも見せてください」
「ほれ」
舌を出す――その瞬間、
「えい」
朝華は俺の口の中にかき氷をひとすくい放り込んできた。
「おご、こ、こほっ」
運悪く、のどち〇こに命中し、俺は悶絶する。その姿を見て、朝華はくすくすと笑いだした。
「こらっ、朝華!」
「うふふ」
3
『――まもなく、休憩時間です。皆様、プールから、上がってください』
遊泳時間の終了を伝える放送が流れた。再びプールに入れるのは十分後だ。
係員に誘導され、次々とプールから人が出ていく。となれば、当然プールサイドの密度は一気に高くなる。上がってくる人の群れを観察してみたが、二人はいない。
「春山さん、何か食べたいものある?」
「龍石、腹減ってないか? ちょっと食堂行ってくるわ」
「へ? じゃあ、焼きそ――」
あたしは未夜の口を塞ぐ。
「あー、大丈夫大丈夫って聞こえてねーな」
こっちの返事も待たずに、男子の集団は食堂へ向かっていった。
できるだけほかの人と接触しないようにあたしは壁際に陣取ることにした。
「ま、眞昼、苦しい」
「悪い悪い」
ちょうど未夜を壁ドンする形になってしまっていた。あたしの胸の位置に未夜の顔があり、口と鼻を塞いでしまっていたようだ。
「ぷはぁ、死ぬかと思った。それにしても、勇にぃも朝華もどこにいるんだろうね」
「本当になー」
「待ち合わせ場所、決めとけばよかった」
「本当にな―」
「朝華、また勇にぃにベタベタしてるかも……ずるい!」
『現在、休憩時間となっております。係員の指示に従って、プールの外でお待ちください』
近くのスピーカーから放送が聞こえた。
待てよ?
「未夜、いいこと思いついたぞ」
「へ?」
*
休憩が終わり、遊泳時間になった。
「もうぼちぼち眞昼たちと合流するか。腹も減ったし」
「勇にぃ、あっちあっち」
「ん?」
朝華は北側のプールに向かった。このプールの奥は壁の一部が屋根のように張り出し、そこから水が流れ落ちる――規模は小さいが滝のようなもの――場所がある。
そのせり出した屋根の下にも空間があり、入れるようになっている。朝華はそこに行きたいようだ。
「あー、ここか」
水をくぐって中へ入る。日陰になるため、少し薄暗い。
「よかった、誰もいませんね」
壁に背中を預ける。
水の音と子供たちの声が聞こえてくる。
流れ落ちる水越しに見る外の景色はなんだか不鮮明で、みんなのいるプールと隔絶されたような気分だ。
朝華は俺に寄り添って、
「落ち着きますね」
「そうだな」
「二人っきり、嬉しいです。四人でいるのも楽しいし、その時間も大切ですけど、二人だけで過ごす時間も、私は欲しいです。それになんだか」
「なんだ?」
「逃避行みたいで楽しかったです」
「大げさだな」
「勇にぃ、もし私が世界から追われたら、私と一緒に逃げてくれますか?」
「いきなりなんだよ、話がぶっ飛びすぎだろ」
「いいから答えてください」
「安心しろよ、俺は何があってもお前らの味方だからな」
「……嬉しいです」
朝華は潤んだ目で俺を見上げる。その瞳の輝きは、見返していると吸い込まれてしまいそうだ。頬は朱色に染まり、息遣いが荒い。
華奢な肩を抱くと、朝華はびくんと体を震わせた。スリット越しに見える谷間に、水滴が流れ落ちる。
「勇にぃ――」
朝華が目を閉じたその時、だった。
『迷子のお知らせをいたします。市内よりお越しの、有月勇くん、源道寺朝華ちゃん、保護者の方が探しておられます。館内受付にて――』
「なっ――」
「まあ」
音割れした放送が終わると同時に、脳裏にあの悪夢が蘇る。
イ〇ンで迷子になったくせに、俺の方を迷子として呼び出したあの忌まわしい事件の記憶が……
「あ、あ、あのクソガキ共……」
俺はもう社会人だぞ。
また知り合いが聞いていたらどうすんだ……
「ゆ、勇にぃ、行きましょうか」
「ああ、あいつら、とっちめてやる」
「……ほどほどに」
プールから上がると、もう太陽は頂点まで昇っていた。
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