第96話  クソガキは出てこない

 1



 富士山を迂回しながら国道139号線を山梨方面に進む。この辺りは高原が広がっていて、牧場やキャンプ場などのアウトドアレジャーの施設が充実している。


「もうちょっとで着くな」


「あんまり早く着きすぎてもねぇ」


 父の車は本当によく揺れる。ちょっと気持ち悪くなってきたぞ。


 外の景色でも眺めよう。


 西側に連なる山々を見やれば、空を滑るパラグライダーの群れ。


 東側には富士山が。この方角から見る富士山は縦に割れたような跡がある。これは大沢崩れといって、侵食作用によって長い年月をかけてできた深い谷だ。


 頂上部からえぐるようにしてまっすぐ刻まれた谷は、今も少しずつ侵食が進んでいるらしい。


 見る角度によってその趣きも変わるのが富士山の面白いところであり、富士山を間近に見ることのできるこの街の特権だ。


 今日は街の北西部にある母方の祖父母の家に向かっていた。曾祖父の十三回忌である。


 曾祖父は俺が幼稚園の頃に亡くなり、葬式にも参列した記憶がある。


 が、憶えているのはそれだけで、どんな顔だったのかも正直曖昧だ。曾祖父が存命だった頃、よく遊んでもらったらしいが、物心つく前のことなのでこれもまた憶えていない。幼稚園時代の記憶なんてそんなものだろう。


 唯一鮮明に憶えているのは、火葬場で骨になった曾祖父を見て泣き喚いたことだけ。


 林の中の道へ折れ、道なりに進む。まもなくして、純和風の屋敷が見えてきた。


 お盆に親族で集まって以来だ。


 すでに黒ずくめの親族がちらほら外にいた。


「おお、勇でかくなったなぁ」


「どうも……って盆に会ったでしょうが」


 同じ町に住んでいるのに、年に数回会うか会わないかの関係である。それなのに切っても切れない縁で繋がっているから親戚って不思議だ。


 祖母が出迎えてくれる。白髪交じりの短い髪に、度の強い老眼鏡をかけている。


「いらっしゃい」


「たっだいまー」


 実家だからか、母のテンションが少し高めだ。


 色あせた畳、くすんだ障子にざらざらとした砂壁。板張りの廊下は歩くと時おり軋んだ音が鳴り、壁の上には先祖の写真が飾られている。


 時代に取り残された古い匂いに満ちているが、決して不快ではない。そこに線香の匂いが交じり、なんとも言えない気分になった。


 お昼前になり、親族がぞろぞろ集まり出した。


 大広間を埋め尽くす人、人、人。それにしても多いな。ざっと見ただけで、四十人以上はいるぞ。


 見知った顔もいるにはいるが、中には初めて会うのではないか、と思ってしまうような人もいた。


「あらぁ、勇ちゃんいい男になったわねぇ」


「はは、どうも」


 恰幅のいい中年女性が話しかけてきた。ええと、そうこの人は母の妹――すなわちおばさんだ。遠方に住んでおり、会うのは数年ぶりだった。


「もう彼女はできた?」


「へ? あ、いや」


「そりゃあいるわよねぇ。鼻筋がぴんと通って素敵だもの。お母さんによく似てるわぁ」


「あはは」


 言いたいだけ言って、叔母さんは別の人のところへ行く。


 故人を偲ぶ、という空気はあまり感じられない。むしろ、久々の再会に喜んだり、近況を話し合ったり、といった同窓会のような空気だ。


 まあ他人同士じゃないのだから、気を楽にしていよう。年の近い――といっても成人しているが――従兄を見つけたので、子供時代の思い出に花を咲かせた。


「お前ひいじいちゃんによく泣かされてたなぁ。憶えてるか?」


 従兄はオールバックにした長髪を撫でつけながら言った。


「いや全然」


「この家の二階でお化け屋敷ごっこしてさぁ、後ろから捕まえられて大泣きしてたんだぞ」


「そういえば、そんなこともあったような」


「そうそう、俊さん来てるか?」


「来てるよ」


「クルマ買い換えたから色々教えてもらおうと思ってさ。やっぱ86はチューニング前提の車だしよ」


「あ、そう」


 車の話はよく分からん。


 そうこうしているうちに坊さんが到着した。



 2



 もしかすると、法事の真の目的はこれなのかもしれない。


 酒気の混じった笑い声に包まれた大広間。


 坊さんによる読経と焼香を早々と切り上げ、一同は大広間に集まった。


 卓上に並ぶ豪勢な料理に空き瓶の山。顔を赤くした人々が大声で他愛もない話をする。

 厄介なことに、母方の親族はうわばみの集まりである。酒に弱い父は、あっという間に撃破されてしまった。


「おう、勇。飲んでるか?」


「いや俺、高校生だから」


 祖父の弟――大叔父が絡んできた。


「ばっきゃろ。おいらたちの時代にゃ中学でもう酒豪って呼ばれてたもんだ」


「こら、勇に絡むんじゃないの」


 叔母さんが大叔父の耳を引っ張り、母のいるテーブルに連れていく。あそこが一番魔境にぎやかだ。


「はぁ、トイレ行こ」


 未成年にとって、酒の席ほどつまらないものはない。周りは年の離れた大人ばかりだし、酔っ払った勢いでわけの分からない絡み方をされる。親族だからか、その絡み方にも遠慮がなくなるのだ。


 頼りの親も、父は潰れているし母は酔っ払い軍団の先頭を突っ走っている。


 ここは素直に退散するに限る。


 用を足し、空いている和室に入った。テレビでも見て時間を潰していよう。それとも今日は泊まりなのだから、先に風呂でも入ろうか。


「ん?」


 和室には先客がいた。


「おー」


 従妹の幼稚園児だ。イギリス人とのハーフで、綺麗な金髪と蒼い瞳も相まって人形のようである。この子は東北の方に住んでおり、正月やGW、夏休みなどの長期連休を利用して帰省してくる。


 右手にクマのぬいぐるみを抱きしめ、畳の上にうつぶせになってお絵描きをしていた。


 宴会に飽きて抜け出してきたのだろう。今現在、酒が飲めないのは俺とこの子だけだ。


「ゆぅ、つまんない」


 たどたどしい声で彼女は言う。


「な。酒なんか飲んで何があんな楽しいのかね」


「酒、飲まないの?」


「俺はまだ二十歳じゃねぇからな」


「ゆぅ、腹減った」


「なんだご飯食ってねぇのか? じゃあ戻るか」


 従妹はふるふると首を振る。


 どうやら知らない大人が大勢いるのが苦手なようだ。


「んー、じゃあちょっと待ってろ」


 仕方ない、料理を持ってきてやろう。そうして大広間に戻ると、今度は伯父が酒臭い息を吐きながら大真面目な顔をして、


「おおい、勇、聞いたぞ。お前まだ彼女いないんだってな?」


「うるせぇ」


「いかんぞ、二十歳までに卒業しないと、卒業までのが長くなるぞ」


「うるせぇわ!」


「あっはっは」


「上手い!」


「座布団一枚!」


 こいつら、もう出来上がってやがる。


 酔っ払いの戯言は真面目に聞くだけ時間の無駄だ。俺は空いている皿にからあげやミートボール、果物など、子供の好きそうな食べ物を集めてそそくさと戻った。


「ほらよ」


「うまーい」


 料理をたいらげると、従妹はぐっと伸びをして、


「ゆぅ、馬乗りたい」


「馬?」


「馬」と従妹は俺を指さす。


「……」


「走れ、走れー!」


 俺は尻をぴしゃりと叩かれ、背中の従妹を落とさないように注意しながら室内を駆け回る。


「もっと速く!」


「ひ、ヒヒーン」


 十五分ほど馬として走り回った。終わる頃には息も切れ切れで、膝がじんじんと痛んだ。


「ゆぅ、ゲームしたい」


「ああ……いいぞ」


 ようやく馬役から解放された。


 この家に唯一存在するゲーム機のスーファ〇をテレビに繋ぐ。


「なにがいい?」


「ムキムキのやつ」


 しばらくの間ファイ〇ルファイト タフで遊んでいると、いつの間にか従妹のキャラクターが動かなくなっていた。


 見ると、彼女は眠ってしまっている。


 短い手足を折り畳み、丸まっているのが愛らしい。


 しばらく一人でゲームを続けていると、後ろの方から戸を開ける音がした。


「あっ、こんなとこにいた」


 叔父が顔を覗かせている。


「いやぁ、悪いね、勇くん、子守させちゃって」


「がきんちょの扱いには慣れてますから」


 普段からクソガキ共を相手に奮闘している俺にとって、この程度は屁でもない。


 叔父は娘の顔を優しくはたいて、


「ほれ、起きな。寝るならお風呂に入ってからだよ」


「うにゅ」


「夕陽、起きなさいって」


「ゆぅ、眠いの」


「だから寝るならお風呂入ってからっ」


「あはは」


 こうして外神家の夜は更けていく。




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