第38話 クソガキは寂しがり
1
子供が一人で寝るには十分すぎる、キングサイズのベッドの上。
部屋もベッドの大きさに比例するかのように広く、未夜や眞昼が初めて訪れた時はとても驚いていた。
「ふにゅ」
枕もとの眼鏡をつけ、ぐっと伸びをする。
身支度を済ませて部屋を出ると、お手伝いのおばあさんが呼びに来るところだった。
「お嬢様、朝食の用意ができていますよ」
「はい、ありがとうございます」
他人行儀な挨拶を済ませ、食堂へ向かう。
お手伝いさんたちはみんな優しいけれど、それは仕事だからだ、と子供ながらに分かっていた。
遊んでと頼めば、彼らは応じてくれる。しかしある時、遊び終わった後、彼らの顔に疲労の色が浮かんでいるのに気づいた。
彼らの仕事の邪魔をしてしまっているということにも繋がってしまうのだから、あまりわがままを言って困らせてはいけない。
朝華は分かっていた。
「いただきます」
大手医療機器メーカー〈ゲンドウジ〉社長の父と、弁護士の母の間に生まれた朝華。年を重ねてから生まれた子供ということもあり、溺愛されてきたものの、両親は共に働き盛りの年齢で、家にいることは少なかった。
年の離れた二人の姉がいるが、一人は海外に移住し、もう一人は結婚して遠くで暮らしている。年に数回会うか会わないかという関係であるため、朝華にとっては姉というよりも親戚のおばさんという感覚だった。
父方の祖父も同居しているが、かなり高齢で痴呆も始まっているため、部屋からあまり動こうとしない。この時間ではまだ起きてすらいないだろう。
「ごちそうさまでした」
一人ぼっちの食事を済ませ、部屋に戻る。
時刻は六時十分。
ラジオ体操に行く時間だ。
スタンプカードと麦わら帽子を身につけ、早々と家を飛び出す。
「行ってきます」
「行ってらっしゃいませ」
我が家にいるのに、なんだか朝華は寂しかった。
2
「ねぇ、今日朝華の家に行っていい?」
未夜が聞く。
「うん、いいよ」
ラジオ体操の帰りに、〈ムーンナイトテラス〉に寄った。まだ開店前の時間だが、特別に入れてくれた。
三人で仲良くコーヒー牛乳を飲みながら、携帯ゲームに興じる。
未夜と眞昼に文字通り叩き起こされた有月は、オレンジジュースを飲みながら眠そうにしていた。
「勇さんも来てください」
甘えた声で朝華が言うと、有月は目をしばしばさせて、
「いいけど、ね、眠い」
「本当ですか!?」
今にも踊り出したい気分の朝華だった。
自分の家に有月が来てくれるとなれば、家にいる時間も楽しくなる。
「朝華の家はすっごいんだぞ」と眞昼。
「そうなのか?」
「でっかい池があってな、富士山も綺麗に見えるんだ」
「テレビもでっかいぞ。こーんな、だ」
未夜は両手をめいっぱい広げる。
「全然伝わらん」
「とにかく行きましょう」
朝華は有月の手を取って引っ張る。
「いいけど、今日の朝華は積極的だな」
「早く早く」
「分かった分かった。準備してくるから、ちょっと待ってろ」
3
「おお」
〈ムーンナイトテラス〉から徒歩で二十分弱。
傾斜のある小高い土地の中腹に、源道寺邸は建っていた。
和洋折衷の大きな屋敷で、裏手は山になっている。斜面に張り出した展望テラスがあり、なるほど、あそこからなら富士山が綺麗に見えそうだ。
お金持ちだとは前々から聞いていたが、たしかにすごい。富士山のふもとのこの街を一望できる立地。
俺の家はあの辺だろうか、とミニチュアになった街並みを眺めているだけで楽しそうだ。
「入ってください」
「お、お邪魔します」
「お邪魔しまーす」
「お邪魔しまーす」
俺が恐る恐る足を踏み入れる一方で、クソガキ二匹は勝手知ったる調子で入っていった。
「うおお」
漫画やアニメの金持ちの家であるような、よく分からない壺や絵画なんかはさすがに見当たらなかったが、置かれているもの質というか、スリッパ一つとっても『いいもの使ってるんすよ』感を受ける。
「すごいだろ」
眞昼が薄い胸を張る。
「お前が偉そうにしてどうする」
「おかえりなさいませ、お嬢様……おや、お客様ですか」
突然、曲がり角から老婆が現れた。
「
「ん、まあ、そうだな」
「じゃあ、勇さんにはコーヒーで」
「かしこまりました」
石川と呼ばれた老婆はちらと俺の方を見やり、微笑を返すと、奥の方へ消えていった。もしや、あれが噂に聞くお手伝いさんというやつか。
「こっちが私の部屋です」
「うおおお」
広い部屋だ。二十畳はあるだろう。窓際にはキングサイズのベッドがどんと鎮座し、なるほど、壁際に置かれたテレビも大きい。90インチほどだろうか。
寒すぎず、暑すぎず、適度に空調が効いていて、非常に心地いい。フローリングの床に市松模様のラグマットが敷かれ、その上にガラステーブルが置かれている。
「うおおおお」
こんなでかいテレビでエロDV……テ、テレビゲームができたらなあ。
「そうだ、朝華。お父さんかお母さんはいるか? こいつを渡したいんだが」
母から手土産に洋菓子の詰め合わせを持たされていた。
すると朝華は顔を曇らせて、
「お父さんは会社、お母さんはこーはんの準備で最近は家にいません」
「そ、そうか」
まずい、地雷を踏んでしまったみたいだ。
親御さんは仕事が忙しいようでなかなか会えないのか。
俺は努めて明るく振る舞って、
「じゃあ、みんなで食べちまうか」
「いいのか」
「やったぁー」
未夜と眞昼が小躍りする横で、朝華が笑顔を見せる。
「ふぅ」
ほっとした。
「座ってください、あ、勇さんはこっち」
ガラス製の小さなテーブルを四人で囲む。朝華は俺の隣に座った。
お手伝いさんがちょうどいいタイミングでお茶を持ってきてくれたので、そのままティータイムとなった。
その後、大きなテレビで映画を観たりゲームをした。
いつもとやっていることは変わらないが、朝華はいつもより楽しそうだった。
4
お昼前。
朝から遊び疲れたのか、クソガキ三匹は大きなベッドの上で仲良く眠っている。
俺も眠いが、さすがに女子小学生のベッドに横になるわけにはいかない。睡魔をかき消すように、残りのコーヒーを飲む。
それにしても大きな家だ。
窓から覗ける庭には、池があり、小さな橋がかかっている。
つなぎ姿のおっさんが花壇の手入れをしているのが見えた。庭師だろうか。
見たところ、この家にいるのはお手伝いさんの大人ばかり。
一人ぼっちというわけではないが、この広い家に子供が一人だけというのは、きっと寂しいんだろうな。
「勇さん」
「ん?」
振り返ると、朝華が起きていた。
「あの……」
「どうした?」
恥ずかしそうに顔を赤らめ、俺の手を取る。
ついてこい、ということか?
朝華と手を繋いで、ここに来た時に外から見えたテラスに出た。
大きな富士山を展望できる。
いい景色だ。
「あの、勇さん」
「なんだ?」
俺はしゃがみ込んで朝華と視線を合わせる。
もじもじと体をくねらせながら、朝華は普段よりさらに小さな声で言った。
「あの……私も、勇にぃって呼んでもいいですか?」
そう言って、朝華は顔を真っ赤にしながらうつむく。
なぁんだ、そんなことか、と大人の俺は思ってしまうが、幼い彼女は勇気を振りしぼってようやく声に出せたのだろう。
朝華の頭を撫でる。
「いいよ。っていうか、眞昼なんて会った日からそう呼んできたしな。朝華はいつ呼んでくれるのかって待ちわびたぜ」
ぱぁっと、朝華の顔が明るくなる。
「えへへ、勇にぃ」
抱き着いてきた朝華をそのまま抱っこしながら立ち上がる。
暖かい風に乗って、正午の鐘が鳴り響いた。
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