第34話  クソガキと和解

 1


「パスパース」

「いけ、シュート」

「あ、セーフ」


 バスケコートに小学生たちの声が飛び交う。


「……ふぅ」


 未夜が来ない。

 もうそろそろ八時半を過ぎようとしている。

 いつもならとっくに遊びに来る時間帯なのに。

 まだ宿題と格闘しているのだろうか。


 ラジオ体操が終わって二人が帰ったのが七時ちょっと前。もう来てもいい頃合いだろうに。


「おにーさん?」

「……」


 それとも、ここに来る途中で何か事故にでも巻き込まれたとか……?

 いや、それなら救急車やパトカーなんかのサイレンが聞こえてくるだろうし、あいつに限って……いやしかし……


「次こっちの攻めだよ?」


「わりぃ、俺もう帰るわ。ありがとな」


「え、うん」


 混ぜてくれた女子小学生たちに別れを告げ、駆け足で春山家に向かう。


「あっ、勇くん」


 朝と同じ服装の未来が出迎えてくれた。


「未夜います?」


「うん上がって、未夜、部屋にいるから」


 よかった。


「すんません、お邪魔します」


 未来に招き入れられ、春山家へ。


「さっきね、出て行ってすぐに戻ってきたの」


「え? なんかあったんすか?」


「それが私にもさっぱり。聞いても『別に』とか『さぁ』ばっかり。なんだかすっごく機嫌悪いの」


「ええ……」


 やべぇ、帰ろうかな。


〈みや〉と名前の入ったプレートが取り付けられた扉をノックする。


「おーい、未夜、入るぞ」


 久しぶりに入る未夜の部屋。

 勉強机の上には夏休みの友が広げられており、女の子向けの愛らしい筆箱と文房具が散らばっている。

 俺が一歩部屋に入ると、途端に小さな枕が飛んできた。


「わぷっ」


 顔面に枕がヒットする。


「何?」


「何って、お前が来ねーから迎えに来たんだよ。もう少しで九時になるぞ。まだ宿題終わら――なんだ、お前泣いてたのか?」


 未夜の目元は赤く腫れ、潤んでいた。声もそういえばかすれているし、この枕も少し濡れている。彼女はベッドにうつぶせになり、真っ赤な目で俺を見上げている。


「泣いてないもん」


 そう言って目元をぐしぐし擦る。指ではなく、手のひらで涙をぬぐうのが未夜の泣き方だ。ひとしきり擦ったら、今度はベッドに顔を埋める。


「なんだ、腹でも痛いのか?」


「別にー」


「宿題が終わんねーのか?」


「もう終わったもん」


 冷たい声が返ってくる。声に抑揚がない。

 なんだ、明らかに不機嫌だ。


 何があった?


 母親未来と喧嘩でもしたのか?


「ほれ、立てって」


 寝転んでいる未夜の手を取ると、ぺしっと弾かれた。


 うわぁ、これは相当なおこだぞ。


「は? なんで来たの?」


「だからお前がいつまで経っても来ないから――」


「お姉さんたちとバスケしてればよかったじゃん」


「ああ?」


「そっちの方が楽しいんでしょ」


 何をいきなり……バスケ?


 あ、さっきの子たちと遊んでたのを見てたのか。


 ははぁ、自分をほかの子と遊んでたと思ったんだな?


 子供のくせにいっちょ前に嫉妬しやがって。こちとらずっとお前を待ってたってのに。


「ちげーよ。あれはゴールが一つしかなかったから、あの子たちが気をきかせて一緒にやろうって誘ってくれただけだよ」


「勇にぃが先にやってたのに?」


「俺は一度ゴールを譲ったんだよ。一人で独占するのも大人げないだろ? そしたら向こうが一緒にやろうって」


「じゃあその子たちと一緒に遊んでればー」


 未夜はごろんと仰向けになる。まだ目は潤んでいる。


「私、別に怒ってないもん」


「はぁ」


 俺はため息をつく。


 ったく、これだから子供はめんどくせー。


 いちいち伝わんねーのか。


 俺はベッドの縁に座り、未夜の方を見る。



「馬鹿。戻ってきたんだろうが」


「ふぇ?」


「俺はこう見えて人見知りなんだよ。知らねー女の子相手にめちゃくちゃ気ぃ使ってすげー疲れたぜ」


「ふ、ふーん」


「ほれ、行くぞ。うちでなんか冷たいもんでも食おーぜ」


 未夜の手を取る。


 小さな手のひらが、今度は素直に握り返してきた。



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