第29話 成長と号泣
1
「おー、懐かしいな。そうそう、こっちの体育館が……」
土曜日。
久々の休みをもらった俺は、高校時代の母校を訪れていた。
敷地を東西に貫く並木道の両脇には、満開の桜が立ち並び、見事な桜並木を作っている。俺はそこを歩きながら、高校生活の思い出に浸っていた。
敷地の南側のグラウンドではサッカー部が練習をしており、その外周を陸上部の長距離選手が走っている。
ううむ、懐かしい光景だ。
今日はここで、女子バレーボール部の練習試合があるらしく、それを見学しに来たのだ。
別に変な意味じゃなくて、眞昼がキャプテンを務めてるからどんな感じか見たいだけで、別にスケベな目的ではない、と俺の名誉のために断言しておく。
あいつも俺と同じ高校に入学したのか、と考えると目頭が熱くなるな。
年を重ねてから、だんだん涙もろくなってきた気がする。
バレー部の活動拠点である第二体育館に足を運ぶ。
もうウォーミングアップは終わったようだ。
選手たちはそれぞれの高校ごとに集まり、ストレッチの真っ最中だった。
さすがはバレーボール部。俺よりも体格のいい女の子がうようよいるな。
ええと、北高はあっちか。眞昼、眞昼……
『覇気・信念・明朗』という母校の校訓が掲げられた横断幕の前に眞昼がいた。
何やら監督と打ち合わせをしているようだ。
今行くと邪魔になるだろう。
俺は二階に上がり適当なところに腰を下ろす。ここを応援席にしよう。
話が終わったようなので、俺は声を投げる。
「おーい、眞昼ー」
「?」
声をかけられて、眞昼はきょろきょろと困惑したように周囲に目を配っていた。ちなみに今日俺が来ることは言っていない。
「上だ、上」
眞昼の小さな顔が上を向き、視線がぶつかる。
「ゆ、勇にぃ!」
「おう」
眞昼が駆け寄ってくる。近くで見ると顔が赤い。ウォーミングアップのおかげだろうか。
「なんだよ、来てたの?」
「眞昼キャプテンを応援しに来たんだ」
「からかうなって。それで、なんで今日試合だって知ってんだよ」
「うちの常連に相手の高校の選手のお母さんがいてな。偶然土曜に北高と練習試合をするみたいな話を聞いたんだ」
「それで来たのかよ」
「来ちゃまずかったか? あ、彼氏とかも来てたりすんのか」
「いや、あたし彼氏いねーから。応援すんのはいいけどさぁ。あんまし目立たないでくれよな」
「分かってるって。ここでじっくり見物させてもらうよ」
「……変態」
「なっ――」
いや、そういうんじゃないから。あくまで健全な気持ちでここに来てるから。
そう弁解しようとしたのだが、眞昼は踵を返してチームメイトの方へ戻ってしまった。
*
まさか勇にぃが来てるなんて。
ただの練習試合だってのに。
もうっ。
「眞昼先輩、さっきのってもしかして……彼氏ですか?」
「まっひーに彼氏?」
チームメイトたちが囲んでくる。
「ちょっと、あんたようやく彼氏できたの?」
「ああ、もう。違うから。そんなんじゃないって」
「でもずいぶん親しげっていうか、めちゃくちゃ顔赤いですよ。先輩」
「こ、これは暑くて」
「窓全開ですけど」
「鉄壁聖女の一角がようやく陥落か……」
誰だ、そんなガキ臭いセンスの異名をつけたのは。
「だーかーらー、あれは小っちゃい頃からお世話になってた兄貴みたいなもんだから」
「ふーん」
「へぇ」
「ま、そういうことにしといてやるか」
「ああ、もう」
勇にぃめ。
面倒なことになっちまったじゃんか。
帰りにとっちめてやる。
「ほ、ほら、そんなことより、そろそろ試合だぞ。練習試合だからって気を抜くなよな」
2
円陣を組む選手たち。
眞昼がてきぱきと指示を出し、皆その言葉に耳を傾けている。
「北高ぉっ……ファイ!」と眞昼が声を上げる。一瞬遅れて、部員たちが続く。
「オー!」
試合が始まった。
バレーの細かいルールはよく分かっていないが、とにかく相手の陣地にボールを叩き込めばいいのだろう。
ボールが左右に飛び交い、選手たちが飛ぶわ跳ねるわ滑りこむわの大騒ぎ。
眞昼もしっかりキャプテンとしてやっているようだ。
ミスをした仲間がいればそばに駆け寄ってフォローし、こちらに点が入れば誰よりも喜びを表現して皆を鼓舞する。
「あんなに……成長しやがって」
男の子みたいにやんちゃだった眞昼との思い出が蘇る。
あの眞昼が。
あのちんちくりんで生意気で変に自信家だった、あの眞昼が、キャプテンとして仲間を率いている。
その姿に、俺は改めて十年という時間の流れの重みを感じた。
目頭が熱くなる。
「うおおおおお、眞昼ー!」
気づけば俺は立ち上がり、声を張り上げていた。
*
「うわ、なんだあのおっさん、泣きながら応援してる」
「ただの練習試合なのに……」
「まっひー、あの人さっきの人でしょ?」
「はは、まあ、悪い人じゃないから。それより試合に集中」
「はい」
「はい」
「はい」
……集中できない。
あの男には恥という感情がないのか。
あんなにでかい声出して。
もう、馬鹿にぃめ。
ま、応援自体は……嬉しいけどさ。
3
試合は無事に北高の勝利で幕を閉じた。
その帰り道。
夕焼け空にカラスが飛んでいく。
帰宅中のサラリーマンや買い物帰りの主婦たちに交じって、あたしと勇にぃは並んで歩いた。
「いい大人がガチ泣きしながら応援すんなよ。恥ずかしかったんだぞ」
「だって、だってよ、眞昼が、あんなに立派に成長してて……うぅ」
うわ、また泣き始めた。
しょうがねーなぁ。
「ほぉら、よしよし」
体を寄せて勇にぃの頭を撫でてやる。
「……子ども扱いすんな!」
「泣いてたんじゃねーのかよ」
「それにしてもすごかったな、あんなにスパイクって速いんだな」
「女子でも100キロ以上は余裕で出るからな」
「すごいな」
勇にぃが突然立ち止まり、こちらを見る。
その瞳はじっとあたしの目を見つめていた。
「十年ってさ、長いんだな」
いきなりそんなことを言う。
「そりゃそうだ」
二人で歩いた帰り道。
前に伸びる影はどちらも同じくらいの長さだった。
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