第28話  クソガキは起こしたい

 1


 ――深夜三時。


「うおおおぉんぅ、ひっぐ、よがっだなぁ。まだ会えで、二人ども……うぃっぐ、ぐす。よがっだなぁ」


 俺は号泣していた。

 感情が揺さぶられてガチ泣きするなんざ、いったい何年ぶりだろうか。


 俺の涙腺を決壊させたのは、とある推理小説だった。


 母親に捨てられ、親戚の家で不幸な暮らしを送っていた主人公の少女。ある時、顔も知らなかった実の父によって救出され、少女は豪邸に引き取られることになる。

 一転してお嬢様としての生活が始まった彼女は、腹違いの義妹との出会いを通じて人間的に成長し、その絆を育んでいく。だが、周りの大人たちの汚れた策略により、二人の絆は引き裂かれてしまう。

 それから数年が経ち、少女が引き取られた屋敷で殺人事件が起きる。

 隠された秘密。過去の殺人。謎の日記。そして発掘された死体。

 様々な衝撃の展開の末、探偵がロジックをもとに辿り着いたのは意外すぎる真相だった。


 巧妙に張られた伏線や、館物としての雰囲気作りも見事だが、それ以上にこの小説は『泣き』の要素が強い。

 人が殺し殺され、どろどろとした人間関係や恨み合いが描かれる推理小説において、ここまでさわやかな読後感を得られるとは、とんでもない名作だ。


 寝る前にちょっと冒頭部分を読んでおこうと思っただけなのに、気づいたら一気読みしてしまった。

 もう三時半じゃねーか。


 いい加減寝るとするか。

 涙をぬぐい、俺はベッドに横になる。



























 眠れん。




 い、いかん。


 なんだ?


 全然眠くなんねーぞ。


 あれか?


 読書のお供にした缶コーヒー(ブラック)三本のせいか?

 俺はサイドテーブルに置かれた空き缶を睨みつける。


 それともあの本を読んだ興奮がまだ冷めないのか?

 気を抜くと、頭の中であの後二人がどんな生活を送っているのか、空想が始まってしまう。それぐらい俺はあの本の世界に憑りつかれていた。


 別に夏休みだから夜更かししても問題はないが、寝不足のままあのクソガキどもの相手をすることだけは避けたい。

 どうせ明日も来るんだろう。


 ええい、目をつぶってればそのうち寝れるだろ。


 そうして俺はぎゅっと瞼を閉じた。


 寝よう寝ようと思うほど、脳が活発に働いていく気がする。

 この野郎、調子に乗るのはいいが、明日になって後悔するのはお前脳みそ自身だからな?


 俺は子供じゃねーぞ?

 お昼寝なんかしないからな?




 2




「おらぁっ、勇にぃ。生きてるか?」


 未夜が勢いよく部屋に突入する。

 今日の彼女はピンク地のTシャツに裾の広い短パン、そして長い髪をポニーテールにした涼しげな装いである。


「勇にぃ?」


 普段なら、『生きとるわ』とか『朝からうるせぇぞ』と返事が返ってくるのだが、今日に限っては扇風機の回る音だけが寂しく響くばかり。


 部屋の主――有月はベッドの上にいた。


「ぐぅ」


「寝てるのか、いつまで寝てんだー」


 現在時刻は午前八時半。

 結局有月が眠りに入れたのは、午前六時を過ぎた頃だった。


「おりゃ」


 未夜は少し助走をつけ、ベッドの上で仰向けに寝ている有月めがけてダイブする。


「ごふっ」


「起きろー」


 未夜の小さな体が有月の胴体部分に着陸する。未夜も、ちょっと痛かった。しかし、彼は起きない。


「あれー?」


 人の睡眠は眠りの深いノンレム睡眠と浅い眠りのレム睡眠をおよそ九十分周期で交互に繰り返す。

 有月が入眠してから約二時間半が経過していた。ノンレム睡眠は眠りの深さで四段階まで分けられ、彼はその中でも特に眠りの深い四段階目にいた。

 さらには昨晩の夜更かしと日頃のクソガキども相手の疲労が彼をいっそう眠りの世界に誘う。



 つまり、今の有月は超熟睡状態なのだ。



「むぅ」


 衝撃で起きないなら今度は音だ。

 未夜はベッド横の置き時計を手に取り、目覚ましの針を現在の時刻に合わせる。そして目覚ましをセット。ややあって、じりじりと時計が鳴り出した。


「これでもか!」


 ジリリリリリリリリリリ。


 時計を有月の耳横に持っていくも、彼に芳しい反応はない。


 ジリリリリリリリリリリ。


 ジリリリリリリリリリリ。


 ジリリリリリリリリリリ。


「……うるさーい」


 未夜は目覚ましを止める。有月が起きないのなら未夜にダメージが入るだけだ。


「勇にぃ―!」


 再びベッドに戻り、有月の服をめくる。程よく割れた腹筋に指を添え、くすぐる。


「起きろー!」


 お腹がだめなら脇の下だ。有月のお腹の上に乗り、脇の下を思いきりくすぐる。ついでに首もくすぐってやれ。





「……はぁ、はぁ」



 疲れてしまった。そのまま体を倒し、有月の上にうつぶせになる。これだけやっても起きないなんて、今までなかった


「もうっ」


 出直すことにしよう。今日は眞昼も朝華も用事があって遊べないからここに朝一で来てあげたのに。


 しかし、タダで帰ったらこっちの負けだ。

 未夜は机の上にあったマジックペンを手に取る。


 有月に忍び寄り、きゅっきゅっとおでこにペンを走らせる。


「ふひひ」


 さて、一回家に戻ってアイスでも食べようかな。



 3



「ふわあぁ、よく寝た……今何時だ?」


 五時過ぎ辺りまで寝付けなくて悶々としていた記憶はあるが、気づいたら眠っていたようだ。

 なぜかベッドの上に移動している時計に目をやると、十二時五分だった。


「腹減ったな」


 母に昼飯を作ってもらおうと思ったが、この時間帯だと店の方が大忙しだろう。コンビニに何か買いに行こうかな。


 めんどくさいから寝巻のままでいいか。


 今日もぎらぎらと太陽が照っている。


「くすくす」

「ふふふ」


「?」


 なぜだか道行く人々が俺の方を見ているような気が。

 自意識過剰だろうか。


 ああ、そうか。寝巻のままだからか。

 でもTシャツにハーフパンツなんてそんな目立つ格好でもないだろうに。


 「いらっしゃいませー……え? ぶふっ」


 さて、何を食おうかな。


 あんましガツンとしたものは食いたくないな。

 おにぎりとサラダでいいか。

 あとジュースも買っておこう。


「あ、ありがとぅ、ござひまひた」


 やたら滑舌の悪い女店員さんだ。ぷるぷる震えてたし、冷房が強すぎて寒かったのか?


「あっちぃなぁ」


 外に出ると再び灼熱。


 空調の効いた店内との温度差が激しく、余計に暑く感じる。

 しかし、夏は嫌いではない。


 せっかくだ。

 公園で食べていこうか。

 コンビニ飯は外で食べる方がおいしく感じるのは俺だけか?


 近場の公園に向かい、日陰のベンチに腰を下ろす。隣のベンチには子連れのママさんたちが座っていて、談笑をしていた。


「なにかしら」

「罰ゲームかも?」



 おにぎりとサラダをたいらげ、ジュースでのどを潤す。


 うーん、いい天気だ。



 4



 未夜が再び有月のもとを訪れたのは午後二時だった。


 あのあと家に帰ると、昨日の分の夏休みの宿題をやっていなかったことが母にバレていた。

 今日の分と合わせて宿題が終わるまで外出禁止令が下され、結果この時間まで拘束されたのである。


 二日分の宿題をやったから頭がぐわんぐわんする。

 まあいい。

 これから有月と遊べるのだから、と未夜は元気を出した。


 さすがにこの時間なら起きてるだろう。


「おらぁ、勇にぃ。お、起きてるな」


「おう、待ってたぜ」


「本当は朝来たんだぞ。全く、休みだからって寝坊してー」


「このガキ、やっぱりお前か」


 言って、有月は未夜をベッドに押し倒す。そして全力でくすぐり始めた。


「うひゃひゃ、な、なんだ勇にぃ。あははははは」


「なんだじゃねぇ。お前だろ、俺のおでこに『肉』って書いたの」


「あははっ、ひひ」


「この野郎。気づかずに出歩いちまったじゃねーか。しかも油性で書きやがって。落とすの大変だったんだぞ」


 有月の手が未夜の全身を走り回る。


「あはは、や、やめぇ」


「反省するまでとことんやるからな」


「あはははは、し、した。反省、したぁ」


「本当にしたか?」


「し、したから。うひひ」


「ならよし。ふう」


「はぁはぁ」



 お互いに息を切らせながら、扇風機の風を浴びる。



「よし、何する?」


「お前反省してねーだろ」


 どこからか蝉の声が聞こえてきた。






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