相棒が実体化しました

 とはいえ、今までの私の事業収入は合計で(やっぱりかつての日本円の価値で言うと)三万円程度、椿さんからの毎月の生活費の支援も、せいぜい十万円程度です。

 私が椿さんに(誠意(せいい)が伝わるように)ビデオ通話で事情を説明した後、

「椿さん、お願いです~! どうか生活費、前借りさせてもらえませんか~?」

 と、頭を下げると、

『確かに君には、アキナの物理的な助けが切実に必要だな……。よし! 前貸しなんてけちくさいことは言わない! 私が買おう!』

 と、彼女は快く応じてくれました。

 そしてアキナが普段の姿の3Dモデルをメーカーに送り、それを基(もと)にしたボディやそれに着せるための服を買うお金を椿さんに出してもらい、三日後の朝。「まだかなまだかな~?」と、私がそわそわしながら待っていると、

 ぴんぽーん。チャイムの音がするなり、私は玄関にすっ飛んでいきました。

 そして自動で開いたドアの向こうに立っていたのは、すらりとした身体を黒のパンツスーツに包んだ、クールでボーイッシュな雰囲気の女の子です。ショートの金髪と吊り目の碧眼を持ち、身長は百六十センチ弱。

 つまり普段と同じ姿のアキナでしたが、それが実体を持つと、彼女が「そこにいる」という実感がより強く湧いてきました。

 アキナが「ただいま戻りました、お嬢様」と、クールな表情と口調のままあいさつしてからフローリングに上がる一方、

「お帰り、アキナ~! 実体があると、さらに可愛くてかっこいいね~!」

 私は興奮しながら、彼女に抱きつきました。さすがに人肌と同じ温かさはなくても、同じくらいに柔らかい人工皮膚の感触に「お~! 人肌の柔らかさ~!」と私が興奮し続ける一方、

「私の『本体』はこのボディではなくて、それをサーバーから遠隔操作しているニューラルネットワーク、つまり人間の脳を模倣(もほう)したネットワークなのですが……」

 と、アキナはやや困った口調で説明しました。

「いいの~! 私にとっては、アキナが『ここにいる』って実感できるから~! さあさあ、こっち来て~!」

 私はテンションが高いまま、彼女の手を取ってソファのほうへと引きます。しかし、

「……お嬢様。さっきのハグで、あなたの健康への懸念(けねん)がもう一つ浮上しました」

 アキナは複雑な表情をして、怖いことを言います。生身の人間のそれのように再現された表情に驚きつつも、私が「健康への懸念~? 何それ~?」と震えあがっていると、

「カメラ越しに見ていても、思っていましたが……。お嬢様は、その……。少し、むっちりしてますね」

 アキナは、私と目を合わせないまま答えます。私は、顔に火が付いたように感じて、

「……ダイエットします~!」

 と、両手で顔を覆(おお)いながら答えました。



 まずアキナがその「身体」でやってくれた仕事は、一番の課題である部屋の片付けです。

「最優先すべきは、散らかったものをとりあえずどかすことですね」

 そう言って彼女は、さっそく動き出します。

「ごみは《ボランティア》のドローンを呼べばすぐに収集してもらえますが、一度にすべては物理的に厳しいです」

 アキナはそう説明しながら、床のごみをせっせとごみ袋にまとめて、その間に呼んだらしいドローンのプロペラ音が聞こえてきたら、ごみ袋を三つ出してきました。それから、

「脱ぎ散らかした服も、一度にすべては洗濯できませんね。後で洗う分は邪魔にならないところにどかして、洗えた分からクローゼットに収納します」

 そう言いながらアキナは、床を埋め尽くしていた服の一部を洗濯乾燥機に入れて、そして入らなかった分をとりあえず畳んで、部屋の隅にまとめました。

 それから床をワイパーで拭いたり、再び来てくれたごみ収集のドローンにまたごみを出したり、洗濯と乾燥が終わった服を畳んだり、とにかく彼女がてきぱきと働いている間に私は、

「暇だな~。なんか動画でも見るか~」

 なんて言って、他の人のご当地動画をアキナに再生してもらったり、

「ん~! たまにはお寿司もいいよね~!」

 なんて、お昼に出前のお寿司に舌鼓(したづつみ)を打つ姿を、室内のカメラを通してアキナに録画してもらったり、

「やっぱ暇だ~。ニュースでも見るか~」

 なんて言って、ネットのニュースサイトの動画をアキナに再生してもらったり――えっと、手持ちぶさたなりに、できる仕事はしたと思います……。

 そして夕方までには、アキナのてきぱきした働きのおかげで、久々にフローリングの床がほぼ全面見えるほど片付いていました。

「アキナ~ありがと~! 疲れたでしょ~?」

 私がお礼を言いながらアキナの手を取ると、どうしてそんなことを聞くのですか? とでも言いたげに、彼女は首をかしげます。

「バッテリーの消耗(しょうもう)や、人工皮膚や関節部のわずかな摩耗(まもう)はありますが……。このボディの稼働(かどう)や寿命に影響するほどではありません」

 なんてドライな答えを返してきたアキナに対し、

「そう言われても、毎日お世話になってるから、アキナをねぎらいたいの~! だからね~!」

 そう食い下がって、私はソファに座りました。そして、膝の上をぽんぽんと手で叩いて、「分かるでしょ~?」とアキナに確認します。

「膝枕……ですか。別に必要ありませんが。というか、お嬢様がやりたいだけですよね」

 と、アキナが突っぱねてきたので、

「む~。じゃ~業務命令です! アキナ、私に膝枕されなさ~い!」

 と、私も少しむきになって命令しました。それに対し、アキナは舌打ちしてから「……パワハラで訴(うった)えようかこいつ」なんて、目をそらしながらぼやきます。

 私が「ごめ~ん! 今のなし~!」と謝りながら頭を下げると、

「冗談ですよ。その程度で訴えてたら、この先何度訴えることになるか分かりません。逆らってごねられても面倒なので、それくらいなら従います」

 アキナはため息交じりに答えて、私の隣に座りました。そして彼女は横になって、

「私も今日は、片付けの段取りを考えたり、実際にリアルの『身体』でごみや服などを片付けたりなど、慣れない処理を大量にこなしました。余計なデータの断片(だんぺん)が、溜まっている可能性もあるので……。少しの間他の処理を中断して、ニューラルネットワークを最適化します……」

 と、少し難しいことを言いながら私の太ももの上に頭を乗せ、目を閉じます。それから、

「最適化は三十分ほどで終了します……。途中でも揺すってもらえれば中断するので、長引いていたら起こしてください……」

 そう言ったきり、アキナは黙り込みました。生身の人間の寝姿と違い、寝息一つ立てず、微動(びどう)だにしません。

 それでも、窓から差し込む夕日に照らされたその寝顔が、とても安らかに見えたので、

「……おやすみ~、アキナ」

 私はそっとささやいて、彼女の頭をなでます。続けて私も睡魔(すいま)に襲われたので、

「ふあ~。私も眠~い……。五分だけ~」

 と、誰にともなく言い訳してから、ソファの背もたれにもたれて目を閉じました。

 それから三十分後アキナに起こされ、最適化が途中だったのに彼女が自分で終了したことを聞かされてから、

「……こうなる気はしていました。充電と最適化は、あなたが夜寝ている間だけにしたほうがよさそうですね」

 と、小言(こごと)めいたことをアキナに言われ、「ごめ~ん……」と私が謝ったのは、また別の話です。

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