自分のビジネスを始めました

 それから、

「私の雇用契約書を作成いたしましたので、事業主であるお嬢様にも内容の確認をお願いします。契約期間は本日から始まって、原則(げんそく)一年ごとに更新。業務内容は事務や経理、動画の編集、それにSNS担当や資産運用などで……」

「すご~い! さっきから五分も経ってないのにできてる~!」

 とか、

「税務署(ぜいむしょ)や労基(ろうき)やハローワークへの、各種届け出が済みました。これでお嬢様の個人事業主としての開業と、私の雇用の手続きが完了しました」

「はや~い! この新居に着いてから二十分で、私もう事業主になっちゃった~!」

 とかいう調子で、AIならではのアキナの仕事の速さに驚いているうちに、

「ところでアキナ~。補佐じゃなくって、もう仕事全部アキナにやってもらって、私は遊んで生活するだけってできないのかな~?」

 という疑問が湧(わ)いてきたので、私はそれを素直に口にしてしまいました。すると、

「……単純作業の速さでは我々強いAIが圧倒的に有利ですが、例えば『こういうライフスタイルを発信したい!』と考えるようなクリエイティブな仕事では、現状ではAIと生身の人間は互角程度です。言い換えると、あなたにできる仕事はまだあるので、食べていきたければ仕事しなさい」

 という厳しいことを、目を細めたアキナに低い声で言われたので、私は肩を落として「は~い……」と反省しました。



 それから、私のお仕事が始まりました。

 まず、朝起きてからいきなり、

「アキナ~。今日はなんか、ラーメン食べたい気分だな~」

 と私が提案すると、

「承知しました。市内のラーメン店を検索いたします」

 とアキナはすぐに了承(りょうしょう)してくれます。そして、彼女がマップに表示してくれたラーメン店の候補を見てから、

「そうだな~。じゃあこのお店!」

「承知しました。お店とのアポと、タクシーの手配をいたします」

 というやりとりをアキナとした後。支度(したく)して家を出るまでの間にはお店への取材のアポが済んでいて、玄関を出るとすぐに、アキナが手配してくれた自動運転のタクシーが家の前に停(と)まっていました。

 タクシーでお店に向かう間に、アキナがスマートグラスにおすすめメニューを表示してくれていて、

「ん~。このとんこつラーメンもビーフカレーも魅力的だけど~……。この魚介(ぎょかい)しょうゆラーメンにする~!」

「承知しました。お店への注文の伝達と、支払い手続きをいたします」

 という調子で、お店に着く前には、アキナが注文とお会計を済ませてくれていました。

 お店に着いてからは、アキナが送った私の顔写真をすでに見てくれている店員さんと、

「いらっしゃいませ! 春香さんですね?」

「はい~! よろしくお願いします~!」

 なんてやりとりをしてから一分も待たずに、のりやチャーシューやメンマなどの具がいっぱい乗ったラーメンを出してもらいます。黒っぽいスープから立ち上る湯気としょうゆの香りに、私がお腹を鳴らしていると、

「お嬢様。カメラ回ってますよ」

 そうアキナに注意されたので、私は隣に浮かぶ撮影用ドローン――と、それに合わせてARの姿を表示したアキナ――に向き直ってから、

「あ、そうだった~。はい~! こちら魚介しょうゆラーメンで~す! ごらんの通り、具だくさんでボリューム感たっぷりですね~! それでは、さっそくいただきま~す!」

 と、ラーメンの紹介を始めるのでした。

 その後、

『ん~! つるつるしてこしのある麺の食感が最高だよ~! アキナ~!』

 という感じに、一口目にすすった麺の感想をアキナに言ったり、

『あ~! チャーシューがぷりぷりしてジューシ~!』

 と、具のおいしさにも感動して頬をゆるませていたり、それから食レポを忘れてスープをすすっていたら、

『お嬢様、スープの味はいかがですか?』

『あ、ごめ~ん。スープはお魚としょうゆの味がしっかり出てて、だけどしつこくなくてグッド~!』

 と、アキナに突っ込まれてから慌てて食レポに戻ったり――そんな風に、ラーメンをのびのびとおいしくいただく私の姿を、お店を出て家に帰るまでの間に、アキナが編集して動画サイトにアップしてくれているのでした。



 食べること以外にも、私はいろいろと遊び、その姿をアキナにアップしてもらいました。

 例えば、

『わ~! 本当に海の中にいるみたいだね、アキナ~! お~! エイのお腹側って、可愛い顔があるんだね!~! ひゃ~! おっきいサメがすぐそばに迫ってきてこわ~い!』

 という風に、水族館のトンネル水槽ではしゃいでいたり、

『えい! えい! ……あ~、またやられた~! コンティニューするから、お金払っといて、アキナ~!』

『承知しました。……ところでお嬢様、撃つときに掛け声を出すのはどうしてですか?』

『え~? 自分でも気づかなかった~!』

 という風に、一日中ゲーセンでシューティングゲームその他をやったりします。

 さらに暖かくなってきてからは、少し離れた市の、桜の名所の公園(管理は地元の市から、《ボランティア》に移管(いかん)されています)まで少し遠出(とおで)して、

『満開の桜がきれ~い! そして屋台は……フランクフルトにイカ焼きに、お寿司まである~! どれにしよっかな~?』

『どれでもいいですが、食べ過ぎないように気を付けてください』

『も~う! アキナも肉体を持ってたら、食べ物の誘惑の恐ろしさが分かるよ~!』

 なんて、桜吹雪の中ではしゃいでは、アキナに突っ込まれたりしていました。

 そうした動画で埋まったチャンネルを、帰りのタクシーの中で見ながら、

「ん~。遊んでばっかりいることが仕事になる、いい世の中になったね~」

 と、ほくほく笑顔で喜ぶ私に、

「そうですね。あなたみたいな人に向いた仕事があって、いい時代ですね」

 と、無表情でクールに返してくるアキナに、私は「どういう意味~?」と言い返しました。



 そんな生活を一か月ほど続けていると、動画の再生回数は二十四時間で九十回程度には伸び、チャンネル登録者も八十人ほどは現れてきます。

 そして現在の価値の日本円で十万円、かつての価値で言うと一万円程度の金額は入ってきた、ある日のこと。また少し遠出して、とあるテーマパークを訪れていたとき、

「わ~……。石畳に木組みの建物の街並みがおしゃれですね~……。そこら中で咲き誇ってるバラやチューリップもきれいです~……」

 よく晴れた真昼の日差しの下、そこかしこの花壇いっぱいに植えられた色とりどりの花に囲まれながらも、私はどよ~んと低い声で撮影用ドローンに語りかけました。

「お嬢様! もっと明るく! そして笑顔!」

 そうアキナに注意され、笑顔が引きつっているのに気付いた私は「あ、ごめ~ん!」と舌を出しながら謝ります。

 その後何度か撮り直して、どうにか形になった動画をアップし、そして帰り。

 夕日が差し込むタクシーの車内で、気だるさを感じながら背もたれに身体を預けていると、

「お疲れ様でした、お嬢様。次はどこか、取材したいところはありますか?」

 隣の席にARの姿を表示したアキナが、仕事の話を振ってきます。

「…………」

 私は椅子に頭を預けたまま、数秒間ぼーっとしてから、

「お嬢様?」

 とアキナに尋ねられ、それでやっと、

「……もうお仕事したくなあ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~いっ!」

 天井を仰ぎながら、絶叫(ぜっきょう)しました。

 それを聞いたアキナは珍しく目を丸くし、軽くのけぞっています。すぐに普段の無表情に戻った彼女は、

「仕事するお気持ちになれない……。理由をうかがっても、よろしいですか?」

 特に責めるでもなく、冷静な口調で聞いてくれます。私が半べそで、

「だって~! 最初は遊んでばっかりいられて楽しかったんだけど~! 仕事として、ネットにアップするための動画の撮影だよ~? 不特定多数の人の目を意識しながらカメラに向かうと、多かれ少なかれ緊張しちゃうんだよ~!」

 そんな泣き言を垂れ流すと、アキナは顎に手を当てて「困りましたね……」と答えました。

「確かに仕事だと、何の責任も感じずに遊んでいるだけ、というわけにはいきませんよね」

 そう同意してくれるアキナに、私も「うんうん! そうでしょ~?」とうなずきます。

「ストレスが溜まっているなら、休養(きゅうよう)を考えられたほうがよろしいかと……。いかがなさいますか、お嬢様?」

 そうアキナに提案されても、私は「ん~」と浮かない答えを返します。再び背もたれに身体を預けてから、

「確かに休みたいけどね~……。休んだ後、またお仕事モードに戻って頑張ったら、結局同じことの繰り返しになっちゃうよ~……」

 と、愚痴りました。再び「困りましたね……」と漏らし、目を落としたアキナに、

「なんかさ~……。もう、適当にお散歩してるだけで、お仕事にならないかな~?」

 私は、そんな思い付きを伝えてみます。するとアキナは顔を上げ、

「……そうですね。それも、一つの手かもしれません」

 意外にも、同意してくれました。



 その翌日。お仕事を終えた帰りのタクシーの車内で、私はその日撮った動画を見ていました。

 まず動画は、海辺の公園を歩いている私の姿で始まります。入り江の港の岸壁(がんぺき)をぶらぶら歩きながら、青い海や対岸(たいがん)の山並みの緑を見ているその姿に「春香です。今日は気分を変えて、お散歩がてらいろいろなお店やボランティア様を紹介します!」という字幕が重なりました。

 カメラは私の前に移動し、歩いている私と、そのずっと後ろに留まっている豪華客船を映します。それから、客船から吹き出しが出てきて、

「豪華なお船ですね! 港の管理を県から引き継いてくださったボランティア様のおかげで、こんな船が留まれる港が維持されてます!」

 という字幕が表示されました。私の足元のコンクリートからも、「この岸壁も老朽化してましたが、ボランティア様への移管後すみやかに修復されました!」という吹き出しが出てきます。

 その後私が歩き続けると、ついてきているカメラはいろいろな建物を映しました。そして、私が例えば公園近くの美術館を通りかかれば、そこを管理している《ボランティア》を、海沿いに飲食店が立ち並んでいるエリアを通れば、そこのお店一件一件を、吹き出しの字幕が紹介していきます。

 その後私は港のターミナルビル(もちろん、そこを運営する《ボランティア》を吹き出しが紹介しています)まで歩き、岸壁から港に向かって『ん~。いいお散歩だった~! このへんで帰ろうか~!』なんてのん気に言いながら伸びをしました。

 実際にはお店や《ボランティア》をまったく紹介せず、ただ散歩していただけだった私の背中に、「今日はお散歩がてら、私がいろいろなボランティア様に助けられていることを実感できていい一日でした! ご視聴ありがとうございました!」という字幕が重なります。

 そこで動画は終わりました。実際に私がお散歩したのは二十分程度ですが、動画は五分程度で、適度な長さにまとまっています。

 動画を閉じた後、

「お~! 本当に、何も考えずお散歩してるだけでお仕事になった~! 私すご~い!」

 と、ガッツポーズしながら喜ぶ私に、

「ドローンの操作も動画の編集も字幕入れたのも、すべて私ですけどね」

 と、隣の席に姿を表示したアキナが、冷ややかに突っ込んできます。てへぺろ、と舌を出した私に、

「……しかしお嬢様。仕事したくないことをうまく逆手(さかて)に取って、仕事につなげましたね。これで複数の《ボランティア》やお店を紹介できたので、その分多めの広告収入が見込めます。鷹谷さんからも聞いていましたが、やはりあなたには事業家としての才能があります」

 彼女は珍しく、微笑みながら私を褒めてきました。私は「そうかな~?」と照れつつ、少し熱くなった頬を指でかいてから、

「私もね~。最初は正直、アキナが冷たい感じで緊張したけど~。だけど、ちゃんとお仕事のサポートしてくれて、褒める時は褒めてくれるから、これからもやっていけそう~」

 つまり安心したということを、アキナに語ります。彼女は微笑んだまま、うんうん、とうなずいてから、

「……仕事に関しては、そうですね。あなたは、私のサポートをうまく活用して、これから成功をつかめそうです。しかし、私生活(しせいかつ)のほうでは……」

 私をさらに褒めた後、目をそらして言いよどみました。

 私とアキナが話している間に、タクシーは家に近づきます。問題の場所に戻ってきたので、

「……うむ。今日もまた、その問題に向き合うときが来たね~……」

 私も少し低い声で、アキナに答えました。そして、家の前で停まったタクシーから降ります。

 玄関までのたった数メートルの距離を足取り重く感じながら歩き、アキナが開けてくれたドアから家に入ると、

 ぐっちゃあ……。

 そんな擬音(ぎおん)が、頭の中で聞こえました。十二畳ほどのリビングのほぼすべてが、脱ぎ散らかした服やら下着やら、それが入っていた段ボール箱やら、他にもお弁当のトレイやら空き缶やらに埋め尽くされて、床面が見えなくなっています。かろうじて無事なソファまで歩きながら、

「おっかし~な~。アキナがいろいろ助けてくれるのに、どうして家はこんなに散らかってるんだろ~?」

 床の上に散らかる服に足を取られながら、私は誰にともなく尋ねました。アキナはARの姿で、つまり物理的に何かに引っかからない「身体」でそこをすいすいと「歩き」ながら、

「片付けに関して私ができるのは、洗濯機の操作や、ごみ収集の《ボランティア》のドローンを呼ぶことくらいです。その前に服を洗濯機に入れたり、洗濯の後で片づけたり、ごみをまとめて出したりする人は、現状ではあなたしかいません」

 少し目を細めて、つまり私のせいだということをびしびし指摘してきます。その言葉が、ぐさぐさと胸に突き刺さってきました。

「うぅ~……。それもアキナがやってくれたらいいのに~……」

 私はよたよたと歩きながら、愚痴ります。どうにかソファにたどり着いてから、どすっ、と腰掛けると、アキナが正面のスクリーンに自分の姿を表示してから、

「現実に向き合いましょう、お嬢様。家が散らかったままだと、虫が湧いたりカビが発生したりして、健康によくありません。加えて、汚い場所にいるという精神的なストレスも、放置していると危険ですよ。そのうち、仕事にも悪影響が出てきます」

 無表情で、冷静に指摘してきました。私は、少し涙目になって、

「は~い。頑張りま~す……」

 そう答えてから、近くの床の服を拾い始めました。

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