一日目 アキナ~。これからよろしくね~

ホームレスになりました

 世の中に異変が訪れたのは去年、二〇二九年のことです。

 その頃私は中学三年生で、近所の中学校で、先生が黒板にチョークで書いた内容、そして紙の教科書を見ながら、紙のノートに鉛筆で一生懸命答えを書いていました。その最中にも、

「今どきネットでいろんな知識見られるのに、どうしてこんなやりかたで勉強するんだろ~?」

 とか、

「円周角の大きさなんて、普段の生活のどこで計算するんだろ~?」

 とか、

「専門家じゃないのに、大昔の人が書いた日本語を理解する必要あるのかな~?」

 とか疑問に思いつつも、

「子供の数も進学する人の数も減って、高校も大学もどんどん潰れてます!」

 なんて悪いニュースを聞きつつも、

「とりあえず大学は出ときなさい」

 と両親に言われていたので、

「まあいっか~。なるようになるさ~」

 程度に考えて、高校受験に向けて勉強していました。

 しかし、その年の秋のことです。国の偉い人が、ざっくり言うと、

「我が国の政府はもう、積もり積もった借金を返しきれません!」

 ということ――難しい言葉で言うと、財政(ざいせい)破綻(はたん)――を宣言してから、いろいろな混乱が起こりました。

 例えば株価がだだ下がりして、あちこちで会社が潰れました。私のお父さんとお母さんも仕事を失って、泣く泣く次の仕事を探すようになります。

 それから、日本円の信用がなくなった、つまり価値が下がったので、その分ものの値段も上がりました。私も、たまにコンビニなどで商品を手に取って、

「え~? おにぎり一個五百円~?」

 なんて驚きます。

 それから、お店のほとんどが潰れたシャッター通りを埋め尽くす段ボールハウスと、そこでどうにか生きている人たちの映像がニュースで流れるようになりました。また、公務員の給料が払えなくなったためにお役所の仕事もストップして、私の身近な範囲でも、ごみが回収されず路上に溜(た)まるなんて影響が出てきました。

 私は毎朝毎夕、ごみの山の脇を通るたびに悪臭に鼻をつまみながら、

「な、なるようになるさ~……」

 なんて強がりつつ、まだ家と学校を行き来していました。



 当然私や家族も、普通に生活していけるはずがありませんでした。

 国が財政破綻を宣言する、何か月か前から、

「金利(きんり)が上がって、家のローンが払えなくなってきた……」

 なんて話を、お父さんとお母さんがよくしていました。私が「どういうこと~?」と聞くと、「この家、借金して買ったんだけどね。毎月払う利子(りし)が増えすぎて、もう払えないの」と、お母さんは答えます。

 それから財政破綻の少し前には、裁判所から何かお知らせが届いたり、裁判所の人とかいろいろな人たちが何かうちに調査やお知らせに来たりするようになってきて、そのたびに両親は頭を抱えていました。

 そして財政破綻の後、ある朝目覚めると、

「探さないでください」

 と書かれた置き手紙だけを残して、お父さんもお母さんもどこかに行ってしまいます。捜索(そうさく)をお願いするために警察に電話しても、その警察も仕事どころではないらしく、つながりませんでした。

 私一人になった家で、

「な、なるようになるさ~……」

 なんて震え声で独(ひと)り言(ごと)を言ってから、私は家に残った食料を確認しました。

 それから数日、家に残っていた食料を食べて生活しているとまた裁判所の人たちが来て、

「この家は差し押さえられたので、立ち退(の)いてもらいます」

 ということを告げられたので、私は泣く泣く、適当な外出着に着替えて家を出ます。

 秋も深まってきて、冷たい風が吹く中。とりあえず持てるだけの飲み水や食料と、冬の寒さをしのぐためのマフラーやコートなんかの服と、なけなしの電子マネーが入ったスマホを持って出てから、

「な、なるように……。なるさ……」

 そう強がって、私は寒さ以外の理由で震えました。



 外に出ると、歩道はごみで塞(ふさ)がり、公園やら駐車場やら、とにかく広いスペースがある場所はどこも段ボールハウスで埋め尽くされています。そんな町の中を、私はさまよいました。

 それから、(元)自宅近くの埠頭(ふとう)で、他の親切なホームレスの人から段ボールを分けてもらって、私もそこに段ボールハウスを作って住み着きます。家から持ち出した食べ物がある間は、寝ている時と食べる時以外は、とにかくやることがなくて、

「な~んか……。受験勉強から解放されて、こんな暇(ひま)なのもいいかもね~?」

 なんてのん気なことを考えながら、私はひたすらごろごろしていました。

 しかし、最初に持っていた食料もすぐに尽きます。よって私は、かろうじて生き残っているコンビニやスーパーなどに、食べ物を買いに行きました。家を出てきた時の服のまま、何日もお風呂に入っていない身体のままで。

 私と同じように汚い身なりの人たちが買い物するお店で、臭いのせいかしかめ面した店員さんの目線を痛く感じながら食べ物を買うも――その頃にはお弁当一個が千六百円ほどもするほどで、私が持っていたなけなしの電子マネーは三日でなくなりました。

 お金を得るために何か仕事できないかな……と思い、(まだ一応)中学生なのを隠して、私は近くで生き残っているコンビニやらスーパーやらファミレスやらに足を運びます。そして「お仕事させてください!」と頭を下げて頼みましたが、

「うちでは……いや、今はどこも、新しい人雇う余裕ないよ」

 という調子で、どこでも門前払(もんぜんばら)いされました。

 それから段ボールハウスでごろごろしながら耐えていると、ぐぎゅるるる~……とお腹が元気に鳴り出して、かといって手元には食べ物もないのであてもなく外に出ると、埠頭のそこら中の道路脇に生えている雑草(ざっそう)が目に入ります。

 ごくり。私は思わず、つばを飲み込んでから、

「ホームレス生活を満喫(まんきつ)? するための、通過儀礼(ぎれい)だよね~」

 なんて、変な方向にポジティブな独り言を言ってから、

 ぶちっ。ぶちっ。ぶちっ。

 雑草を一抱えほどむしって、段ボールハウスに持って帰りました。そして、それらをむしゃむしゃと食べてみて、

「うえ~。香りはいいけど苦~い。まず~い……」

 なんて舌を突き出して愚痴(ぐち)りつつも、とりあえず私はお腹を満たしました。文字通りの草食系女子、爆誕(ばくたん)です。



 とはいえ私も草食動物ではないので、雑草以外のものもやっぱり食べたいです。だから、コンビニやスーパーの裏に張り込んで、店員さんが出てくるたびに、廃棄(はいき)の食品を譲(ゆず)ってもらえないか頼んで、

「廃棄の食品なんて……も、持ち出してるわけなな、ないじゃないですか」

「悪いけど、こんなご時世(じせい)だからね。みんな自分や家族のためには持ち帰ってるけど、赤の他人に分ける余裕なんてないよ」

 なんて感じで、ほとんどの場合は断られました。それでも諦めず張り込み続けて、

「なんかあの人優しそうだな~」

 と感じる人に、いざアタックしてみると、

「こんなご時世(じせい)だからね! 少しでも人を助けられるときに、助けとかなきゃ! ささ、持ってって持ってって!」

 という感じで、どうにか廃棄のお弁当をもらえます。その人に感謝しつつ私は、

「ご~飯ゲット~。るるるるる~ん」

 なんて即興(そっきょう)の歌を歌いながら、うきうきスキップで埠頭に戻りました。

 もちろん、廃棄の食品だっていつも手に入るわけではありませんでした。そんな時は、私はまた雑草という大自然の恵みをいただいたわけですが、

「うえ~。この葉っぱ苦~い。苦手~……」

「ん~。このぎざぎざした葉っぱは、癖(くせ)がなくて食べやすいかな~」

「おお~? この毛の生えた葉っぱは、肉厚(にくあつ)で食べ応(ごた)えあるな~」

 なんて、草によっても味や食感が違うことに気付いて、いつしか、

「もっとおいしい雑草ないかな~」

 なんて考えるくらいに、雑草のとりこになっていたのでした。



 そんな調子で、衣食住(いしょくじゅう)のうち食と住はかろうじて満たして、のんびり生きていた私ですが、

「やることなああああああああああああああああい! 暇だああああああああああああ!」

 あまりに暇すぎて、耐え切れない時もありました。

 よってある時から私は、廃棄の食品の調達に出かけるついでに、散歩することにします。

 例えば、自宅だった家の近くの、昔通っていた小学校まで足を運んで、

「見た感じ、あまり変わってないな~」

 なんて、少し懐かしい気持ちを覚えたり。

 例えば埠頭の近くの、ほとんど誰も住まなくなった団地に立ち寄って、

「うわ~。ちょっと怖~い。引き返そ~」

 なんて、野犬や野良猫が徘徊(はいかい)するそこにスリルを感じたり。

 例えば、埠頭の周りをぐるぐる歩き回って、

「あ~。人の世の中がおかしくなっても、自然はきれいだな~」

 なんて、日の光を反射してきらきら輝く海に、軽く感動したりしました。



 そうして私が、のんびりとホームレス生活を楽しんでいると、また状況が変わってきました。

 例えば散歩している時、私はごみが溜まって歩けない歩道を避け、少し車道に出ることもありました。

 しかし秋もとっくに過ぎ、冬の寒さが本格化してきた頃。収集車にごみを回収する人たちの姿が、毎日のように見られるようになります。それと、道端のそこかしこに見えるゴーストタウンにも、解体かリノベらしい工事が入るようになっていました。

 私がごみ収集をしている人たちに、

「歩きやすくなって助かる~。ありがとうございま~す!」

 なんて、通り過ぎざまにお礼を言っていると――他の通行人が、何やらスマホや腕時計型の端末に「あの《ボランティア》に投げ銭しといて」なんて話しかけていて、

「サポートありがとうございます!」

 なんて、その《ボランティア》らしい人たちが、逆にお礼を言っていました。

 スマホはとっくに電池切れしていて、ニュースなどに触れる手段がなかった私は、

「お役所がまたお仕事できるようになったのかな~?」

 程度に考えながら、散歩を続けました。



 その謎の《ボランティア》の助けは、私自身にも差し伸べられてきました。

 ときどき暖かい日があって、春の兆(きざ)しが見えてきた頃のこと。私をはじめとするホームレスの人たちがたむろしている埠頭に、炊き出しに来る人たちが現れます。

 スパイシーな香りが漂う中、列に並んでいる間、

「また投げ銭かな~?」

 炊き出しの《ボランティア》の人たちに投げ銭しているらしい人たちが遠くに見えたので、私はそちらも気になりました。

 そしてしばらく待つと学校給食よろしく、長テーブルで鍋から料理をよそってもらいました。その間に私が、《ボランティア》の人に、

「最近、投げ銭もらってる《ボランティア》よく見ますよね~。今までのボランティアと、どう違うんですか~?」

 と尋(たず)ねると、

「ああ。国や自治体の行政(ぎょうせい)は、いつ復旧(ふっきゅう)するか分からないからね。いつからか、ネットで投げ銭を募(つの)りながら、勝手に行政の仕事を代わってやるボランティアが出てきてさ。国や自治体も、そっちになし崩し的に仕事を任せだしたんだよね。うちもその一つ」

 という、丁寧な説明が帰ってきました。私は「そうですか~。助かります~」と答えつつも、

 ぐぐぅー……。

 会話の間にお椀(わん)によそってもらった、久々の温かいご飯――寒空の下で湯気を立てる、ほかほかのカレーです――に盛大(せいだい)にお腹を鳴らし、てへぺろ、と舌を出しました。

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