第24話 海岸で待ちぼうけしていた女の子のその後

 お盆休み中の安音寺での事件後、私は顔や背中の傷がある程度癒えるまで一週間、仕事を休んだ。職場復帰した際には、院長やスタッフの他、患者さん達からも大変心配されていた事を知った。


 久し振りの帰りの通勤電車は、以前に増して疲れた様子の仕事帰りの人であふれていた。前日から降り続く雨のせいもあるのだろう。その沈鬱なムードに私はふっとこの間の別れ際のトミボンの言葉を思い出していた。

 私が牧村元刑事の悲しい過去の話をした時、トミボンは「みんな何かしら過去の傷って背負ってるもんだよ。運命ってあるのかな」なんて珍しく非論理的な事を言っていた。そしてリリー薬局の薬局長の話をした。

 リリー薬局は薬局長が三十代後半で開局した。薬局名は奥さんの名前、百合子からとっていた。夫婦と一人娘と三人で絵に描いたような幸せな家族だったけど、生まれつき心臓病を持病に持っていた一人娘は小学校卒業を待たず亡くなり、薬局名をその名からとった妻もその三年後に病死した。薬局長は職場ではどちらの場合も取り乱す事なく、喪に服した後には部下達に丁寧に淡々と挨拶をした。

 そして妻の生前と変わらず、毎月給料日にケーキを三個買って帰る姿に皆噂話さえ慎んでいると言う。


 誰もおもてには出さないだけで、心の奥底には悲しみを抱えているのかもしれない。自分一人が社会の中で落ちこぼれているように感じられていた以前には、気付かなかった事だ。未熟な自分の証拠だった。

 吊り革を握り、電車の振動に揺られながらそんな事を考えていたら、不意に声をかけられた。


「清ちゃん、久し振り」

トミボンの義兄、リリー薬局の右田主任だった。


「あ、お久しぶりです」


「名誉の負傷が痛々しいね。でもその傷はキレイに治る傷だよ。そう言えばトミボンから頼まれてた事あったっけ」


「あ〜、私も言われてた事があります。主任さんに今度会ったら聞いたらいいって言われてた事」


 トミボンは辛いかもしれない安音寺での事件の話をしなくていいように、そんな風に二人に話題を提供していたのだと私には分かっていた。そして右田主任も義弟の心配りが分かっていたと思う。


「そうそう、僕もトミボンから、清ちゃんから聞きたい話があると言われるはずだから必ず話してあげて下さいって。義弟に言われちゃねー。で、何なの?」


「佳織さんとの馴れ初めです。結婚する事になったいきさつかな。いつか主任さんが話した、海に行く約束を破った女の子って佳織さんの事だったんでしょ? そこからどうやったら結婚まで行き着いたのかなって」


「ああ! あれねー。聞きたい話があるってその事だったのかぁ」と主任さんはその日のランチに何を食べたか位の軽いノリで答えた。


「そうです。トミボンの話では、佳織さんは約束をすっぽかされてそれまでの片想いを吹っ切れたんだって言ってましたが…」


「…だね。カミさんはそれまでうるさい位つきまとってたくせに高校に入ると全く連絡も寄越さなくなってさ。でも律儀りちぎに暑中見舞いと年賀状は出してくるんだ。はずんだ感じののキレイな大きな文字でさ!」


「暑中見舞いと年賀状を出してくるのなら全く連絡をよこさないなんて言われる筋合いはないですよね?」


「まぁそうだけどさ。それがちょっと気に触る文面でさ」


「どんな?」


「例えば暑中見舞いだとすると、『右田君はこの夏休みをどんなふうに過ごしてますか? 私は夏期講習のほか、ボランティアで小児難病病棟の子ども達のレクリエーションに参加しました。とても楽しかったです』とかね」


「佳織さんて充実した夏休みを過ごしてたんですね。立派な暑中見舞いだと思いますけど」私は思わずくすっと笑ってしまった。「だけどもし自分が非リア充たったらムカつくかなー」


「だろー? ってゆーか決めつけないでよ、清ちゃん。全然オレリア充だったし。でもさ佳織には負けるんだよ。いくらこっちにモデル事務所に所属してるようなかわいいカノジョがいてそのコがばっちりメイクやファッション決めててもさ。量販店で買ったメイドイン日本以外の安物のTシャツ着てすっぴんで勉強してるアイツの方が絶対カッケーんだよ」


「絶対そうだと思う。ってゆーかその時点でもう主任さんの方が心持って行かれていますよね」


「そう言われるとそうかも。大体アイツは中学の時から看護師になるんだって、そしてなるんだったら専門学校でなく大学の看護学科できちんと学んでおきたいって言ってたんだ。そして学生時代からボランティア活動で看護の現場にも慣れておきたいとかサ。ちゃんと自分持っててさ。それに比べてこっちには何もない。アイツはオレがいなくても全然充実した良い人生おくれるヒトだけど、こっちときたらアイツがいないと空っぽの部屋にいるみたいでさ」


「それで告ったんですか?」


「ハッキリくね。その通り。高三の冬、夕食後に佳織の家まで行って、僕と付き合ってください、結婚を前提としてって言ったんだよ」


「佳織さん、感激していましたか?」


「それが感激どころか迷惑そうなんだ、それも家族全員反対っぽい」


「え…?」


「なんで受験前の大変な時にわざわざそんな話するんだって。こっちだって受験前だけど佳織の事が頭から離れなくて勉強に集中できねーから告白したのにさ」


「いやーそう言われても佳織さんも困ったでしょう」


「とにかく家族も出て来て今の義父母も『右田君、ウチの娘は今受験生なんです、あんたもでしょ?』とか。トミボンまで『姉ちゃんの人生の邪魔しないで』とかさ!」


「え? トミボンまで? ふふ…。 それで?」


「受験終わるまで待ったけど、こっちは落ちたんだ。で、やりたい事も見つかって佳織のサポートもあって一年後にやっと薬科大に合格出来て、何とか交際も認めてもらえたよ」


「良い話ですね。何か元気出てきました」


「すっごい面白がってたっしょ? でも良かった。何か心配してたんだ、事件に巻き込まれてケガしたし。ウチのカミさんや子ども達も心配してたんだよ」



 

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