第21話 別な視点


 私は十三年前の風景を別な視点から今見ていた。同じ場面も視点が違うとまるで違って見えてくる。


「この間君に暴力を振るった前田氏は元おとひめ缶詰の従業員で、あの頃のミスミコーポの持ち主はおとひめ缶詰の社長の叔父。だから社員寮化していました。月島さんは違いましたが。

 月島さんから、透君の父親が透君を虐待しているという相談が警察にあった時、コーポのオーナーの甥、つまりおとひめ缶詰の社長は窮地に立たされました。なぜならその時、前田透君の父親は会社が訴えられていた主要な裁判に会社側の証人として出頭していましたからね。この事で前田氏の人格が疑われるような出来事があったら裁判の成り行きにも影響してきます…」


「前田君のお父さんが裁判の証人にですか?」


休みの日に昼間からお酒の匂いがして怒声が聞こえるような雰囲気からは証人というイメージは程遠かった。


「証人と言っても何か眉唾まゆつばというか…」


眉唾まゆつば?」


「本当かどうか怪しいって事ですよ。ほとんどは雇用関係だったんですがね。いわゆるパワハラだとかいった…。本来は全部会社が負けるはずが、これが弁護士が良いのか全部勝ってしまうんです。証人となる社員は何名かいたんですが、とにかく前田氏の貢献もあった。だから児童虐待なんかで警察に捕まったなんていうのはおとひめ缶詰としてはあり得なかったのは確かです」


「他のアパートの住人は何て言ってたんでしょうか? 同じように虐待を目撃していた人はいなかったんですか?」


「何せ社員寮化していましたからね。粘って聞き込みしても誰も何も口を割らない。月島さんも他の部屋の人達に声をかけたけど剣もほろろだったらしい。月島さんは小学校の担任の先生にまで話しにいってたんですよ。それでも、そもそも他人が口を挟むなんて、と相手にされなかったらしい。あの先生も今では引退し

駅裏の酒場で酔いつぶれています。あの頃をいたく悔やみながら」


「前田君は何か言っていなかったのでしょうか?」


「子どもは父親思いだった、残念な事に」

悔しそうにティーカップの縁を見つめながら言葉を続けた。「それでしかるべき課、子どもの権利を守るべき役所の課に委ねたけど、結局はこうだった」


「それで月島瞳さんはどうなったのですか?」


「それは…。自分にも責任があるんです。私は三十こそ超えていましたがまだ未婚で青かったというか、そんな私につけ込んで、以前のミスミコーポのオーナーの乙島は、月島さんの醜聞を吹聴したんです」


「醜聞ってどんな事てすか?」


「彼女は夕方から一日に数時間娘さんを別室で預かってもらえる飲食の店で働いていたのですが、まずそれを何かしら歪曲されて話されていました。また月島さんは一度結婚に失敗していて、それも月島さんに非があるように、まるで不倫していたように私に話し、信じ込ませようとしました」


「それを信じたんですか?」


「もし全く興味のない女性だったら公正な立場で物事を考えられたのかもしれない。でも私は月島さんに多分惹かれていたんです。だから逆に醜聞を信じ、変な潔癖さから裏切られた気になっていたんです。真実はドメスティックバイオレンスが原因の離婚だったのに」


「悲しい事ですね。惹かれていたからこその誤解って…」

悲しいと言いながら私の心には怒りがあった。


「調べてすぐ真実は判っていたんです。でも気持ちのわだかまりはどうしようもなかった。アパートの他の住人にも同じように醜聞を流され、その上、透君がいなくなった時には疑惑の目まで向けられた。地域社会から抹殺されたみたいなものです。それで月島さんは娘とアパートを出て、それ以来あの町には戻って来ていません」


「それが抹殺という事なんですね。殺されたんなら戻って来たくても来れないです。私、社会に馴染めないタイプなんで分かる気します」


 本当は何も分かっていなかった。私の療法士としての能力はダメすぎて、同僚の療法士に気が引けて陰キャになっているだけだったから。彼女のように勇気があって行動した事なんてなかった。


「戻って来られない理由は他にもありました。仕事帰りに腕等を切りつけられた事件がありました。それに恐怖を感じたのではないでしょうか? 娘さんもいましたしね」


「切りつけられたんですって? 犯人は捕まったんですか? 一体何のために…」


「その事件の犯人は捕まりませんでした。当時は仕事帰りという事もあり、その職場での人間関係や客からの逆恨みの線で捜査がされていました。でも不思議に今回の通り魔事件にやり口が似ているんですよね」


 牧村さんの言葉には私の心に引っ掛かるものがあった。今回と似ている? では今起こっている事件も十三年前の出来事と同じ人物達が関わっていると言いたいのだろうか? 牧村さんがこうやって話しに来た目的はそれを伝えるためだったかもしれなかった。十三年前の被害者二人の友人とも言える立場の私に。


 もう一つ心に引っ掛かる事があった。十三年前おばあちゃんが突然私がミスミコーポを訪れている事に警戒感を示した事があった。近所の人と話をした後だった。

あれがもし醜聞という事になるのであれば私達も大きな渦の中にいたこもしれない。あの頃おばあちゃんのビミョウな反応で自分がミスミコーポに行く足が重くなっていたのを思い出した。


「戻って来たら謝りたいのですか?」と私は今さらどうしようもない事を尋ねてみたけど、それは自分自身に言っているのと同じだった。


「謝って済まないですけどね。ただ現在進行中の事に対し、自分が何をすべきか考えるのが罪滅ぼしだと思っています」


「月島さんがいなくなってから、何も抗議しなかったのですか?」


「私は真実が分かり、悔やんだけれど警察にへばりついてました。ヘドロのように。でも好きだった人を不幸にした気がずっと拭えなくてモヤモヤしていました

」彼は眼の前のコーヒーカップを見つめたまま言った。「上司の紹介で結婚もしたのですが、数年でうまくいかなくなり、別れる事になりました。三年前、前田の家から白骨死体が出て、我に返り、責任をとる意味もあり、警察を辞めたんです。そして親から譲り受けた山野を売り、あのミスミコーポ等いくつかの不動産を買いました。ミスミコーポを買ったのは、いつか月島さんが彼処を見にもう一度訪れるかもしれないと思ったからです」


「夕暮れにあの部屋にいたのは牧村さんだったんですね。私は幽霊かもしれないと怖がっていたんです」


「私はすでに幽霊なのかもしれませんよ」

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