第20話 十三年前のもう一人の人物

 純喫茶ブランシュの扉を開けて中に入る。いつも通りカランカランというドアべルが鳴る。いつものように一人でくつろげるカウンター席の壁際に座ろうとして、気が付く。


――今日は独りじゃないんだ。人と会う約束があるから――


 だからボックス席に座った。今日は注文も後でする。

「お客様、お連れ様がおいででは?」

不思議そうな顔をする私に、ウェイターは別なボックス席を案内した。

「あの方では?」

まだ約束の時間に二十分もあるのに、彼は来ていた。凍った湖の寒々しい雰囲気を身にまといながら。

ずっと昔からの知り合いのように。

これは夢ではない。



「この間、私を助けて下さったんですね。ありがとうございました。知らなかったのでお礼も言えなくて…」


「それは気にしないで下さい。危なかったですよね」


「あの…この間の刑事さんと知り合いなんですか?」


「ああ、三年程前までは私も警察にいたんですよ。彼とは昔の同僚です」


ーーそうか、だから人が襲われてる場面ですぐに助ける事が出来たんだーー


私は彼の愛想ない態度に妙に納得した。


「それで、私にきたい事って何なんでしょうか? 私に分かる事なんてあまりないと思うのですが」


「私と昔、会った事を覚えていないですよね?」


「この間が初対面ですよね。え? そうじゃないんですか?」


「君が子どもの頃に何度かすれ違った程度なので、忘れていても仕方ないですよ。君はあの頃、月島瞳さんのアパートの部屋によく遊びに行ってましたよね?」


月島…それは私がアサガオを見に行っていた、そしてミルクセーキをごちそうしてもらっていた部屋の住人の名前だ。


「では、月島さんのお友達なんですか?」


「友達であれば良かった。刑事として知り合ったから」

牧村さんは煙草を探す仕草をしたけど、この純喫茶ブランシュが禁煙である事をすぐに思い出したみたいだった。


「警察の方があの頃、ミスミコーポに出入りしていたなんて知りませんでした」


「あの頃は私服でしたから…。君は月島さんの居場所を、連絡先を知ってますか? あるいは故郷を?」


「知りません。たとえ知っていても個人情報なので教えられるかどうか分からないんですけど。でも本当に彼女の事を何も知らないんです。私、十三年前家の都合で引っ越して、それから二年前に就職でこちらに来るまでの間、祖父母の家も訪れる事はなかったんです。逆にきたい位でした」


きたい位?」


「ええ、元気なのか、どう暮らしているのかいつも心の何処かにはありました。その人のおかげで一人ぼっちの小四の私が楽しい夏休みを過ごせたんですから。それにその夏、海に行こうって誘ってくれた時返事もしないままお別れしてしまい、寂しい思いをさせたんじゃないかって」

私はティーカップの中を泳ぐふるい落とされた紅茶葉の粉を見つめた。「牧村さんはどのようにして刑事として月島さんと知り合ったんですか?」


「この間、君に暴力を振るった前田透君のお父さん。あの人の事で月島瞳さんから再三さいさん相談を受けていたんです。前田透君が虐待を受けているって」


「あの頃? そうだったんですね。おばさんは、いえ月島さんは気が付いてたんですね。私は前田君と一緒によく月島さんの部屋を訪れていたんです。でも二人ともとても明るくてそんな話があったなんて微塵みじんも見せていなかったんです」


「月島さんは黙ってられなくてわざわざ警察まで相談に来たんです。 私が窓口にいました」


「おしとやかそうな感じだったからそんなに行動力があったなんて意外です。あ、でもそれなのにあのような事件が起こってしまったんですか?…いえ、責めるつもりはありません。気に障ったならごめんなさい」


「いえ、いいんてす。防げなかったのは事実ですから。何も出来ないうちにみすみす子どもを死なせてしまった。そして月島さんもこの町で抹殺されてしまった」


「抹殺? それはどういう事でしょうか?」







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