第10話 夏菜ちゃんの告白

 それから時々、帰りの電車で処方せん薬局の人達――右田主任やトミボン、みかりん――と偶然一緒になる事があった。私が倒れた事は、調剤薬局では大きなニュースになっているらしい。でもトミボンは私の個人情報を厳重に保持してくれていた。そして今、密かに例の件について調べているところだと言った。心の中の不安は消えないまでも日々の雑事で少しずつ奇妙な記憶は薄れかけてはいた。

 やがて暦の上では秋と天気予報で前置きをされる頃、おばあちゃんから電話があった。暑中見舞いの葉書に「連絡ちょうだい」と書いていたのに私からの電話がないから、と少し不服そうにその電話は始まった。用件は宮本さんの事と言う。少し思い出して、不動産屋の夏菜ちゃんの事と分かった。夏菜ちゃんから、私と話がしたい、謝りたい事があるという内容の電話があったらしい。


「何?」といぶかしむ私におばあちゃんは言った。


「昔亡くなった男の子の同級生の事らしいのよ」


覚悟はしていたものの、やはりショックだった。

「じゃあやっぱり前田君は…」



 夏菜ちゃんの携帯の電話番号を知らない私は宮本不動産屋に電話した。夏菜ちゃんはいつもの歯切れのよい話し方から一転してか細い声だった。


「亜美ちゃんが帰った後、父さんに話したらそれでいいのかって言われて。安音寺のお坊さんが父さんの友達で、あ、そのお寺で前田は、いや前田君は供養されててね、そこの住職さんがもし昔の友達でそんなに気にかけてる友達がおるんならお参りしてもらった方がいいから知らせてあげなさいって」


「じゃあ前田君は行方不明って言ってたけど、亡くなったのが発見されてたんだ」


「それが…」と夏菜ちゃんは少し答えに詰まってからまた続けた。「ビミョウなんよ。遺体が発見されるのが遅すぎて。でも百パーセント間違いないとみんなが思ってる」


「どういう事? 行方不明でその後、見つかったって事よね。この間引っ越したって言ってたのは?」 


「この間言ったのは嘘やないよ。夏休みの終わり、亜美ちゃんが引っ越したすぐ後に前田君が行方不明になったって大騒ぎになって。前の日に海に行くって言ったまま帰って来んって前田君の両親から警察に届けがあったんよ」


「それこないだ聞いてショックだった」


「亜美ちゃんのおじいちゃんおばあちゃんは、亜美ちゃんに電話で話したりせんやったんやね。前田君から海に行く話何か聞いてなかった?」


「ううん…」


「とにかくあらゆる可能性考えて地元の消防団も動いてみんなで探したけど見つからんかった。おかしいのはその事があってすぐに前田夫婦が引っ越した事。普通なら自分ちの子が行方不明になった土地をすぐに出て行ったりはしないんじゃないかって。それと、ここから海岸まで行くとしたらいつものように自転車で行きそうなのに自転車は残ってたんよ。そしたら電車賃とかバス代とか持ってたのかって話になって…」


 私はドキドキした。


「じゃあ誰かと一緒やったかって言うとそんな目撃証言も全然なかったんよ」


「なかったんやね。普通、小学生の男の子、しかもちっともじっとしてない子を連れてたら目立ちそうなのに」


私は誰かと一緒だった訳でなさそうという事にホッとした。


「それも当たり前よ。それから十年経った三年前に前田君のお父さんがやかわ市の自宅で倒れてたのを発見されてね。肝臓の病気らしくて。お母さんはそれより三年前に病気で亡くなってたらしいんだけど。とにかくその時警察が家の中を調べたら、子どもの骨と思われるものが衣装ケースに入れて床下にあったの」


私は思わず息を飲んだ。


「しかもあのアパートからその一軒家に住むまでにもう一ヶ所別な借家に住んでたんだって。それが突然引っ越したらしいんだけど、そのタイミングが大家さんが庭の整備と一部の部屋のリフォームをしようと話をした翌日の引っ越しらしくて。もうアヤシイしかないよね?」


「そんな…。それで警察の捜査は?」


「あったんやけど。亜美ちゃん、仲良かったならショックかもしれん…。骨は頭蓋骨が陥没してて、他にもいろいろあって虐待受け取ったんやろうって。骨の状態から、亡くなったのはおそらく十年前らしくて行方不明になった時期と合うんよね。ひどい話。アルコール中毒だったらしいよ。前田君のお父さん」


私は嗚咽した。


「亜美ちゃん、大丈夫?」


そう言えば私が前田君の部屋に一度も遊びに行かなかったのは招かれなかったのもあるけど、時々部屋の中から怒鳴り声みたいなのが聞こえ、怖かったから近付けなかったのだ。でもそれは前田君の普段の明るさやあのあどけない笑顔とどうしても結びつかなくて、口に出してはいけない気がしていた。

もし私が大人に話していれば前田君の人生は変わっていただろうか?


「警察はあのアパートにも調べに来て、彼処あそこでそんな事があったんだなんてここらでは噂になったんよね。週刊誌にも載ったし。もう建物も古いし、持ち主もウチの親も諦めとるみたい。でもああゆう事があったから忘れるように取り壊して新しい建物を建てる気にもならんみたい。それで今の持ち主は夏は夕方、暑さが和らいだ頃、換気と掃除機をかけに行っとるみたいよ。人がいなくても埃はたつしね」


「そうなんだ。夕方、それで人がいる気配がしたんだ。いや、何でもない」


「それとね、亜美ちゃんはこないだ前田君ちの上の階へ夏休みの間よく遊びに行ってたって話をしてたやろ? 前の持ち主のおじいさん、まだこの町の近くにいて父さんと話す機会あるけど、あの事件の少し前から一人親や独身の人には部屋を貸してなかったって言い張るんよ。まぁ差別みたい聞こえるかもしれんけど、当時水商売の人、近所に多くて、部屋に身元の分からない男の人が行き来するのが苦情につながってて、それで特に縁故のある人でなければ夫婦揃ってる世帯以外に貸したりはしてなかったって」


「本当に?」


「うん、こないだ聞いたばかりやもん。そうやって部屋借りる人厳しく制限してたおかげで、行方不明事件の時、警察に調べられても割にちゃんと対応出来て良かったって言ってたんよ」


――そんなわけないやん…。 それならあれは誰だったっていうの?――


「ただね、そのおじいさん、前からやけど、その話題になるとなぜかイライラするんよ」


「そう…。ね、安音寺ってどこか教えてもらっていい? 私、前田君のお参りに行きたいんだ」 


「もちろん。それとね、聞いとる?」


「うん、聞いとるよ」


「私は亜美ちゃんの事、勘違いしとったよ。ごめん。小学生の時、亜美ちゃんって小さくてか細くてお上品な感じで。いつも隅っこで縮こまってるみたいでイライラして苦手やった。でも前田、いや前田君の事こんなに気にしとったって知って何かイメージ変わった」


「私も。夏菜ちゃんって成績良くて気持ちいい位テキパキしてて羨ましかったんよ。でもごめん、私も苦手やったかも。でもこんなふうにわざわざ連絡してきて謝ってくれるなんて意外だった。すごくうれしい」


 年月が経って失望する事ばかりでもない事を私は知った。

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