第4話 夏の第二章

「今日は赤紫色のアサガオがきれいよ」


 女の人は栗色のウェーブした長い髪の一部を頭の上で感じ良くパレッタでまとめていた。それは私がずっとあこがれていた髪型だった。

 眼も栗色で外国のお人形さんみたいにまつ毛が長く、口紅していないのにピンク色のくちびるは端がクルンと上向きで、やっぱりお人形さんみたいだと思った。クリーム色の普段着のワンピースにかけたエプロンは真っ白でたった今まで太陽の光に当たっていたか、アイロンの下にあったかのようだった。

表札を見ると、「月島」と書いてあった。「月の島かぁ。何てキレイな名字だろう」


 私は躊躇ちゅうちょしながらも部屋の中の明るく温かな雰囲気に、そしてこのお人形のような人にもう心は持って行かれていた。


「さあ、入ってとおる君といっしょにアサガオを見たら?」


 私は言われるままに部屋の中に入り、前田君のいるベランダへと向かった。


 部屋は白のインテリアで統一されていた。白い食器棚に白のダイニングテーブル。まるでおばあちゃんの料理雑誌の広告写真にある部屋みたいだと思った。モデルの若い夫婦が小さな子どもと現代的な部屋で寄り添っている写真。

 その時住んでいた祖父母の家が古い日本家屋なだけに、アパートのこの部屋は新鮮だった。中にはおばさんとは真逆に日本人形みたいな髪型の三才くらいの子どもがガラスの小さテーブルの前に座って塗り絵をしていた。


「さやちゃん、挨拶してね」


 とうながす声を待たないように女の子は私に挨拶した。


「さやちゃんです。よろしくね」


「私は清田亜美です。よろしくね」

 照れたように私は言った。


 下の地面から伸びたアサガオは二階のベランダの柵に懸命に巻き付き、胸が透くような赤紫色の花を咲かせていた。私はアサガオを見て心が晴々としてきた。


「二人とも、さやちゃんと一緒にミルクセーキを飲まない?」


 前田君が「飲む飲む」と速攻返事する横で私の中ではミルクセーキって何?という疑問符が飛び交っていた。出来てきた飲み物はこれまで見た事もないようなものだった。

 上にいくに連れ広くなっている大きめのコップに入ったクリーム色の飲み物の上にはホイップクリームがふんわりと浮かびその上に缶詰の真っ赤なチェリーがのっていた。一口飲むと柔らかくしっとりとした爽やかな甘さが口の中に一気に広がった。奇跡の味だった。


 それから私の小4の夏の第二章が始まった。


 夏休みには坂の上の公園でラジオ体操があって、その帰りにミスミコーポの自宅前で遊ぶ前田君を見ると私は誘って一緒におばさんのベランダにアサガオを観に行った。

 夏休み中には町の公民会で書道教室が開かれていて、私も夏の間だけそこに通っていた。その帰りにもミスミコーポの開け放された部屋の前で遊ぶ前田君を探した。前田君はたいていいつもそこにいた。

 

 人見知りするタイプの私でもそこは敷居が高くなかった。なぜならおばさんはいつも自然な感じで「待ってたのよ」と言ってくれるからだ。

 おばさんの部屋では陽気な前田君を始めみんなの笑い声が響き、私はさやちゃんと塗り絵をよくして遊んだ。さやちゃんはいつも一つの塗り絵が終わりそうになると完成しないまま次を始める。だから塗り絵帳はどれも進行中の塗り絵ばかりになった。

 おばさんは子ども用のピアノできらきら星を弾いて、そしていつも素敵なミルクセーキを作ってくれた。ミルクセーキを作るその指は白く細くて、そして意外と荒れて細かな擦り傷があった。


 さやちゃんのお気に入りの絵本に「いっしょに海へ」というあざやかな青系の水彩絵の具をにふんだんに使った本があった。

 まるで言葉遊びのように「いっしょに準備」、「いっしょにバスへ」、「いっしょに窓の外」、「いっしょに波を見て」、「いっしょに船へ」といった言葉がただただ続く絵本。さやちゃんはいつも私にこれを読んでとせがんだ。そんなやりとりの中でおばさんが「じゃあ、いつかみんなで海へ行きましょう」と言い、私もさやちゃんも前田君も意義なしで喜んだ。「いっしょに海へ」が四人の合言葉のようになっていた。


 おばさんはさやちゃんと二人暮らしだと言っていた。さやちゃんのお父さんがいない理由は聞かなかったけど、同級生の中にもお父さんのいない子は数人いて決して珍しくはなかった。


 やがて夏休みも後半に入ると私は前田君がいなくてもおばさんの部屋に遊びに行くようになっていた。

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