3:背を、押し、押され

 溢れんばかりに漲る力を推力に、少年と少女は手を取り合って突っ込んでいく。

 目指すは、直線的に築かれた七つの平野部拠点で、最後に至るべきは山岳。

 数日前に強攻偵察に赴き、藪を突いたかごとくの様で撤退を試みた場所。


「子心! このまま進むの⁉」

「ああ! どうせ成るなら、最速がいいだろ⁉」

「けど、私たちだけじゃあアイツは倒せないんじゃない⁉」

「わかっているよ! だけどそれは『今』の話だろ⁉ すぐに、先輩たちが駆けつけてくれるはずだ!」


 縋るように抱き着くウィンディの薄く軽い腰に、抱えるように腕を回して姿勢を確かめる。

 いま二人は激しい風切りの音に負けないほどの突進力を持ち合わせているが、恐れるのは別たれることだ。


 身を寄せ合うこと、それ自体に意味などない。このアスバリアにある限り、世界の隅と隅に居ようと、同一の存在として繋がっているのだから。

 だけども、彼は彼女と共にいなければいけなくて、


「見せたいんだ! 見るべきなんだ! 最期の瞬間を、感動のフィナーレを、流れるスタッフロールを!」

 だって、


「お前が主人公のはずだろう! 自分の故郷を取り戻す、こんな美味しいモノを本来は部外者がもぎ取って良いわけがないんだ!」


 吹く風を割らんばかりに前を向くから、お姫様の顔は見れない。

 けれど、こちらを抱く腕の力は増えるから、応えるように抱き寄せると、


「ん?」


 硬い。

 こう、気のせいなどという誤差程度でなく、明らかに手の平では勝てない硬さが返る。

 あまりの不審に、前進するよりもちょっと確かめなければならない義務感に駆られて、


「……先輩?」

「おう。姫とのランデブーは楽しかったか?」


 金属鎧のままである譲恕が、半目で顎を突き出して子心を見上げていたから、


「いやああああああ! 誰か男の人呼んでええええええええ!」

 密着具合を下げるためにその顔面を両手で押しやり、結果、

「おい! 落ちる、落ちる!」


 バランスを崩して、ダッチロールを始めるのだった。


      ※


「つーわけで、順繰りに全員が顔を出すからな?」

「ははあ! つまり蘭先輩と魔女さんとの密着二四時が合法的に許されるわけですね! くぁあ、滾ってきたぞ! そうなると初手の姿勢が大切ですよね! 先輩、ちょっとオパイに両手を当てていいですか⁉」


 返事は、胸部へのグーパンで応えられた。

 いてて、と胸をさすれば、騎士団長は少年の首に腕を回して、前を向かせる。


「時間ないから、巻きでいくぞ?」

 迫るのは、一つ目の拠点と、這い出そうとしている巨躯。


「お前には感謝しているんだ。腐っていた俺を、姫を、アスバリアに戻してくれた。もちろん、ピリオドなんてでっかい力も助かったけどな」

 一息を呑み、空いていた片手で腰の剣を引き抜けば、


「だけど確信がある。お前がピリオドなんかじゃなくたって」

 増す速度の中で、二人の周りに光の粒が躍り流れていく。


「きっと俺はお前に感謝することには変わりはなかっただろうって、な」

 魔女から聞いていた現象だ。二個体がリソースを共用するため、どうしても漏れが発生するのだと。


 そんな零れたリソースが、暴風に舞う粉雪のように注がれる。地に至れば、実態ではない剣となっては咲いて、最後の騎士団長の花道を飾るように突き刺さり居並んでいく。

 その意匠は、アスバリア王家に賜る礼剣のもの。

 不可思議ながら力強い光景に、かつての上司と同僚たちの声を聞いたようで、


「だから、頼んだ!」


 体ごとぶつけるように、拠点ごと巨人に切っ先を、勢いのまま突き入れ、


「俺と、俺たちが守りたかった大切な物を、取り戻してくれ!」


 砕き割って、頼れる後輩の背を叩く。

 と、意識が引かれるように遠のきはじめ、ログアウトの時間を探る。


「先輩! わかりました! 任されました! けど、最後はちゃんと見に来てくださいよ! エンディングは全員揃って見るのがルールなんですから! あ、あと最後に胸に手を当てておきますね! 正直男の胸揉むとか壁向こうのアーチャーに矢ぶすまにされるくらい発狂ものですけど、次来るのが蘭先輩とか魔女さんなら我慢できるってもんです! だから……ちょっと、頭部にハンディキャップを負った紳士が俺に胸を揉ませるんですけど! 誰か、男の人よんでえええええええ!」


 半ばログアウトしているが、すでに次の者がログインしてきているようだった。

 少年の断末魔を胸に刻んだ譲恕は、事ここに至っても相変わらずだなあ、と大きく笑うのだった。


      ※


 ナディがログインの番になれば、中空を高速で滑空しながらげっそりとうなだれるピリオドの姿があって、


「俺は……もう、人生を賭してもきっと、男のオパイを揉んだ回数が、その逆を上回ることはないんだ……人生とは……宇宙とは……」


 なるほど、ジョードからこっち二十名ばかしの男性がログインし続けたが、彼はその胸を逐一揉んでいたということか。

 ちょっとそういう趣味はないし無理強いもできないから、少し距離を取れば、


「時間がないから手短にいくぞ」

「蘭先輩……? いやまて、男の胸が幻覚を見せているのかもしれない……ここは冷静に……」


 錯乱が酷くなるので、


「ありがとう、と伝えたくてな」

 無視して話を続ける。


「姫様が、あんなにも活力ある顔を見せてくれたのは、一重にお前のおかげだ、シシン」

 何もかもを捨てざるを得なかった主の傷を、唯一残った近侍である自分は慰めることができなかった。

 途方に暮れて、一年ばかりを触れることもできずに無為にしてしまった。


「偶然、部屋が隣同士になった、ということもあっただろう」

 迫る拠点と体を膨らませた巨人に応じるため、細身の剣を構える。


「だけど確信があるんだ。きっとそんな偶然なんかなかろうと」

 増す速度は、すでに肌と空気の摩擦に水分を蒸発させ、白煙が昇るほどに。その立ち昇る水煙に、光の粒が混じり躍る。


「きっとお前は、姫様をこの日の下に連れ出してくれたに違いないだろう、と」

 溢れて落ちる光の粒子は地に至り、華美華麗な画一の意匠であるジャケットなって咲き、道行を埋め尽くしていく。

 アスバリア王家近衛兵が賜る礼服であり、まるで王家の歴史を守り続けた伝統が己の背を押してくれているようで、


「だから任せたぞ」

 速度のまま拠点を、巨人を、


「私たちの代わりに、姫様に見せてやってくれ。世界の、なんとも輝かしいことを」

 打ちのめして砕き割る。

 と、意識が引かれるように遠くなっていき、


「なんてことだ! 下、衣装に混じってブチ切れ猫ちゃんが混じってますよ! つまりこの蘭先輩のらんらんは本物だってことじゃないですか! てやんでぃ、こうしちゃいられねぇ! 宇宙を手に入れるんだ、俺は! おや、もうお帰りのようで! わかりました、切り替えていきましょう! 次は魔女さんですよね⁉ ではゴメンなすって……あっれぇ! 魔女さん、やけに毛深くてモフモフしてますね! 嫌いじゃないですよ! この毛皮の艶やかな毛並みが……オオカミじゃねぇか! おいやめろ! 舐めるな! 噛むな! 噛むな!」


 リソースの塊である銀狼のサシェイがログインしてきたようだ。

 当初のぐったりした様子から回復したみたいでなによりだ、とナディは大きく笑うのだった。


      ※


 メイロウは、お気に入りの可愛らしい少年が自分の腕の中で、よだれまみれになってついでに首筋に歯形までつけられ、ぐったりと白目を剥いているのを見た。

 恐ろしいまでの速度でかっ飛んでいるなかで脱力するなど器用なものだと関心をしながら、


「サシェイったら、子心ちゃんのこと大好きすぎるのよねぇ」


 痛ましい暴行現場を目撃してしまった管理責任者は、それもまた微笑ましい、と肯定的に現状を受け止めた。

 汚れた頬を愛おし気な指先で撫でると、首だけで後ろを振り返った。

 摩擦熱で生まれては置き去りにされていく水蒸気が視界を隠すものの、はっきりと見てとれる。

 道程だ。

 彼が城壁からここまで、加えてここからを彩る歩んだ証。

 同時に、


「私たち、アスバリアの人間のそれでもあるわ」


 溢れたリソースが地に咲き、剣となって並び、近衛兵の正装が風にたなびき、花が敷き詰められ、斧が謳い、釣り竿が踊り、荷台車が車輪を回し、クワが地に刺さる。

 彼に、ピリオドに己を預けた者たちの溢れ香と、そんな彼らに後を託した者たちの残滓だ。

 これからのために、今の皆を、これまでの彼らが、


「背を押してくれているのねぇ」

 アスバリアの何もかもが、アスバリアの意思で、一極に集まっている。

 壮観であり、


「だけど、世界の敵である魔女さんは、誰にも背を押してもらえないものねぇ」

 寂しく微笑む。

 長く長く、人智を越える時間を独尊であり続けた報いなのだと、諦めれば、


「あらぁ?」

 零れた光が地に裂けば、その姿を変えて、


「あらあらあら」

 幾匹もの輝くオオカミとなって、こちらに追従しているではないか。


「……世界は、思ったよりも寛容なのねぇ」

 懐の広さを確かめられたのは、間違いなく目の前で白目を剥く少年のおかげだ。

 だから、どこに至ろうと孤独であった心に助走パンチを見舞ったピリオドに、


「森の解放も、サシェイの救出も、いろいろと助けられたわねぇ」

 腰に下げていた枝を抜き構えると、


「だけど確信があるわぁ。きっと私がお願いなんかしなくったって」

 拠点が見える。山の麓であり、平野部最後の拠点。巨人が、山のごとく体を膨らませていることからも、最期は近いはずだ。


「きっと子心ちゃんは、森を越えて、サシェイを助けて、私の寂しいところを埋めてくれたでしょ、ってねぇ」

 応えるように、地を往くオオカミたちが一斉に吠え猛る。


「だからお願いねぇ?」

 もはや、景色が溶けて見えぬほどの速度で敵陣に迫り、


「その物が、その人の手にあるという当たり前を、取り戻してちょうだいね?」

 裂き、割り、墜とす。


 と、意識が引かれるように遠のいていくから、両の手を彼の首筋に回して抱き寄せると、


「なんだ! 柔らかい! けど見えない! なんだ! 地獄か! いや良い匂いがする! 魔女さんの匂いだ! けど見えない! 目に柔らかい何かが侵入してきているんだ! 怖い! けど幸せ感がある! 幸せが怖い! 怖いの! ええい目を覚ませ、俺! 目を閉じている限り可能性は無限大だ! 夢を見られる! おい待て、それって目を覚ましてなくない⁉ けど一理あるな! いざ柔らかな海へ我往か……ちょっと! なんかゴリゴリするんですけど! 浅瀬だよ浅瀬! 海はどこ行ったんだよ! ケガしちまうよ!」


 最後であった自分に代わって、アスバリアの代表がログインしてきたようだった。

 結末を見届ける、覚悟と義務を携えて。

 だから、顔が逃げないように顎を捕まえたまま小刻みなハンマーパンチを繰り返す姿に、


 ……逞しくなったわねぇ。


 土壇場と言うのに相変わらずな彼と、感化されている彼女の姿に、愉快にたまらなく、大きく笑うのだった。

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