4:己の手が足りないのなら

 結局、彼らの自分に対する思いはこの程度だったのだろう。


 仕方がない。だって諦めて、諦めていない人たちを拒んできたから。呆れられてしまうのも、仕方がないのだ。


 わかっている。

 わかっているのに、胸を刺す痛みが生々しい。

 これまでに慣れた鈍くなった心なら、どうってことのない針であるのに。


「どうしてかしら」

 ドアに手を付いて自問するが、理由は明快。


 新たに現れた、あの少年のせいだ。眼前の凶行はなにもかも己のために向けられており、今までに感じたことのない熱量を突き付けられていたのだ。

 それが、唐突に止んだとすれば。

 諦められたとすれば。

 いずれ慣れるだろう、とこれまでのように疵を抱いて沈み込むしかない。

 だから大丈夫、と拳を作って呟けば、


「え?」


 リビングから、遠く、気色の悪い水音が響いた。

 あまりに微かで、気のせいかと断じたところで、同じ音がもう一つ。

 怖気を確信し、恐る恐る音の出所を探るために、部屋へ。


 音はほぼ等間隔で、

「……窓?」

 外に面したガラス窓から聞こえてきていた。


 一つ、また一つ。まるで、怯えるこちらを侮蔑するかのように柔らかな打音が響く中、外の何事かを刺激しないよう、遮光カーテンの隙間から伺う。


 そこに広がる光景へ、ウィンディ・アスバリアは慄然となる。

 窓ガラスは、蠢くヒルのごとく張り付いては落ちるちくわの軍勢に侵されていた。その下方、落ちたちくわを再び穢れた戦場にオーバースローで送り込む悪鬼の姿が、走りゆく車のヘッドライトに照らされて禍々しく浮き上がる。


「いったい、何をしているの……?」


 人は、理解し難いものに恐怖を覚えるものだ。加えて、その隣でくねくねといろんな物を揺らしながら行為を肯定している者までいるとなると、多数決的に正常の定義まで揺さぶられるから、己の常識にまで致命的なヒビが入れられてしまう。


 それが、なにより恐ろしく、ガラスに張り付くちくわの腹々を眺めながら震えあがるのだった。


      ※


『速報よぉ』

「お、来たな! 姫は出てきたか⁉」

『それはまだなんだけどねぇ。ほら、見て見てぇ? 子心ちゃん、必死でちくわ投げて、かわいいわぁ!』

「とうとう狂った動画まで送りつけてきやがったぞ!」

「カーテンの隙間からちらっと映った姫様が、すごい顔しているが」

『あらぁ? 子心ちゃんの愛らしさに夢中で気付かなかったわぁ!』

「こいつぁ、もうしばらくかかりそうだな……!」


      ※


 ウィンディは即座にカーテンを閉め直し、寝床であるソファに避難する。


 頭から薄手の毛布をかぶり、光と音を遮断してなお、震えが増していく。

 だって、意味が分からない。


 ……どうして人の部屋の窓にちくわを投げつけているの……⁉


 いやまあ、郵便受けにちくわを投函している段階で相当だし、そもそも日々の言動から理解の枠を越えてはいたが。


 限界だった。

 これまで、建物内部だけで繰り広げられていた狂行が、屋外にまで浸食していることに。

 今後、どこでちくわに襲われるかわからなくなった、コンビニでも通学路でも学食でも……学食は出禁だから大丈夫か。

 ちょっと心に余裕が出てきた。


「なんなの、あいつ……」

 あと一緒にいて、笑顔のまま止めもしない魔女も。

 毒づくと、


「静かになったわね……」

 窓の異音が止んだことに気が付く。

 おそるおそる毛布から顔を出せば、


「……何かしら、騒がしい……」

 代わりにとでも言うのか、玄関側でざわめきが聞こえてくる。共用廊下に、複数人が集まっているようだ。

 この乱痴気騒ぎに、管理人さんでも駆けつけてくれたのだろうか。


 いざという時の逃避のために毛布は被ったままドアに近づき、覗き穴に目を。

 廊下には、十数人の息荒く汗を流す男子高生が廊下にひしめいており、その正面にはどこから持ち出したものか眼鏡をかけた子心が、ニコニコ顔の魔女を侍らせて、


「お揃いですね? では第十二案件『絶世のフラット型異国系美少女ウィンディ・アスバリア宅の汚れが付いたちくわ(意味深)』になります。五千円から……はい……はい……もうありませんね? では二万四千円で落札です! では第十三案件『絶世のフラット型異国系美少女ウィンディ・アスバリア宅の汚れが付いたちくわ(指の挿入歴有)』になります」


 やたらと熱の入ったオークションが始まっていた。ちなみに、以後の全てが全て高値更新していき、だって汚れって窓の外じゃん? と、詐欺の現行犯を目撃することになってしまったのだった。


      ※


「あらぁ! 凄いお金になるのねぇ!」


 子心の手に握られたしわしわの諭吉さんたちを覗き込んで、魔女は目を輝かせていた。


「魔女さんもちくわ買ってこようかしらぁ?」

「魔女さんがやると生々しすぎてRが十八なジョークグッズになっちゃいますよ! ジョークなのに笑えないですね!」


 笑顔のままアッパー気味のボディブロー。

 少年はくの字に腰を折って、


「ち、違うんだ! これはちょっと下腹部が熱くなって、直立が厳しくて……」


 誰に向けての弁明かは不明瞭だが、しばらくして持ち直す。

 明楼は、彼の手にする現金をもう一度見返して、


「だけど、子心ちゃん、最初の目的は覚えているかしらぁ?」


 閉じこもったウィンディを、部屋から引っ張りだす。

 最初は恐怖を覚えた彼の言動だが、第一回オークションの辺りで慣れてきたからほっこりと眺めていた。けれどもどうにも無軌道に見えて、目的地に辿り着くつもりがあるのか訝るところだ。


 ……私自身は怪しいものねぇ。


 元々は末期の世界。子心を眺めるために同行しているが、攻略の鍵になっている代表がこの体たらくでは、先行きは暗い。

 本来は、独善的で利己的と言われる自分だ。いつ捨て置いて立ち去っても、良心が咎めることもない。子心の部屋も連絡先もわかっているから、問題はゼロだ。


 だけど、少年は違うだろう。

 第一義に、アスバリアの攻略があるはず。

 そのために、姫を再び戦場に連れ出すことが最低限なのだ。

 現代日本の闇を利用した錬金術では、目的に達することはできないと思うのだが、


「魔女さん」

「あらぁ? 何かしらぁ、改まって」


 ちくわを投げ込んでいた時と同じほど、全力で真剣な眼差しの子心が札を握った拳を突き出して、


「独善的で利己的な魔女さんなら、お礼があればどうにかしてくれるんじゃないですか?」


 真摯に、願い出てきた。


 ……ああ。

 つまり、どこかで自力が届かないことを察していたのだ。『あなあきら』の辺りだろうか。

 表層を理解する能力に長けたこの子は、事態の近道をこちらに見出したということ。


 頼られる、能力を宛てにされる。

 戦場では役割をあてられても、己を必要とされることはなかった。

 だから、なんだか新鮮で、


「……素敵な結末に、連れていってあげるわぁ」


 深く笑い、少年の手を取る。

 独善であっても、一人が好きなわけではない。だから、サシェイや狼たちと過ごしていたのだから。

 だから、無心にこちらを頼るこの子が、愛おしくて愛おしくて。


「魔女さんに任せて、ねぇ?」

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