4:疵
「すぐに取り返すさ。二、三日の間、羽でも伸ばすといい」
そう笑って、国王である父は帰ることはなかった。
「父の亡骸だけでも取り戻さなければいけないだろう!」
そう怒鳴って、兄である第一王子は出向いたっきり。
「世界を取り戻すのだ! 穏やかな日々を取り戻すのだ!」
そう謳って、残りわずかだった騎士団は戻ることはなかった。
「守るんだ! 城を、姫を! 誰かが足止めをしなきゃならないんだ!」
そう叫んで、城門を飛び出していった臣民たちは二度と姿を見ることがなかった。
誰も、一人として、帰ってなどこなかったのだ。胸を張り裂いた悲しみは、事あるごとにまだ足りぬと伸び膨らんでいった。
何かを得るために出向くものは、すべからく命を落としている。
だから、嫌。
この再訪した故郷において、生を失うことはない。
なら、彼は間違いなく帰ってくるのだけども。
だけど、嫌なのだ。
国のため、城のため、私のために、無謀へ挑まれるのが嫌なのだ。
破けて膨らみ、ようやくしぼんだ悲しみの、空いてしまった穴に爪をかけられてしまうようだから。
さもすれば、心が開き落ちてしまいそうで。
堪えられないから。
「ダメなの」
終わりのために遣わされた少年の腕を、目一杯の力で繋ぎとめなければならなくて。
※
ナディは、ウィンディの硬く割れるような声に、
……傷は、未だ深いままでしたか。
近侍として、心臓を掴まれる思いを味わっていた。
姫の瑕は、よく知っていたつもりだ。
脅威が迫り城を離れるまでの間、誰もが彼女に一時の別れを告げ、しかし永遠のものに変えられていく。その度に、居室で泣き崩れ、最後には乾き崩れた。
ジョードと自分が亡命を決断した際も、
「ここに、お父様もお兄様たちもお母様もお姉さまたちも、お城の皆も城下の皆様も、誰も彼をも打ち捨てていくのね?」
頬を凍り付かせたままに、従った。
ずっと傍にいたから、良くわかる。
失われるのが駄目なのではない。
失われることを是として置いていかれるのが駄目なのだ。
※
そういえば、
……魔女さんの森で殿やらされた時は、なし崩しだったしなあ。
それに、もともと死ぬつもりはなかったし、そんな言葉を告げることもなかった。
だのに、今回に限って地雷を踏んでしまったようだ。
腕にすがるお姫様の睨むような半目を受け止めながら、では前回と何が違うのかと頭を巡らせれば、
……明らかに、亡命前の苦境がらみだよなあ。
激戦だったのだと聞く。想像力がなくたって、総人口が二桁まで落ち込んでいるという事実を聞くに、悲愴な別れが幾重にも繰り広げられたことは容易に思い至る。
お姫様も、親族の全てを失い、臣民の大半を失ったのだろう。
そして、城を故郷を捨てて、地球へ辿り着いた。
もう、何も失いたくなどないはずだ。
だから、この腕を掴むのだ。
けれども、
「何があっても、ログアウトすれば、いつも通り隣の部屋にいるだろさ」
この体は使い捨てられる物で、効率を鑑みればそうするべきである。
だから、ウィンディの不安は感情によるものであるはずで、だから、
「心配なんか必要ないさ」
※
残り五分を切った戦場で、譲恕は頬を苦く歪めた。
姫の凍てついた頬が、さらに硬く、音が鳴りそうなほどに冷気を上げる。
少年の言葉と、少女の思いは、すれ違いなのだ。
徹頭徹尾ゲームとして攻略を目指している者と、かつて地獄を見た故郷を逃げ出した者と。
少女は、少年の重心を理解しておらず。
少年は、少女の忌避を把握しておらず。
だから、傷ついてどうにか繋ぎ止められているばかりの琴線に、爪を立ててしまった。
子心の、現況をおおまかに把握できるゲーム脳の、中途半端な理解力が仇になっている。
いけない、と年長者として言葉を探すが、人の心などという奇々怪々な縺れが二人分絡まっているから、解くための準備は容易でなく、まごついているうちに、
「心配せずに待ってろって。どうせ、残り時間も少ないんだから。じゃ、行ってきます!」
背を向け走りだしてしまい、心に張り詰めていた弦がさらにかき回されてしまった。
※
少年が、怪物たちの工事現場の妨害工作に駆け出す中、
……お姫様、まだまだ重症だったようねぇ。
魔女は、歯を食いしばりうつむく端麗を打ち捨てた姫の面持ちを、不安げに見つめていた。
メイロウ自身、彼女の瑕をはっきりと掴んでいるわけでないが、言動に不穏なものは嗅ぎ取り、状況から推測はできている。
だから、
……ここで脱落されると、アスバリア奪還は難しいわよぉ?
この戦いは、世界のリソースと敵のリソースのぶつけ合いだ。
単騎同士での戦闘は戦力の糾合が可能な相手に分があるため、こちらは総力で向かわないと勝負にならない、というのが今日の結論である。
そこに生来、王族としてリソースを多大に割り振られているウィンディが欠けるとなれば、勝機は乏しくなる。
だから、臣下であるおつきの二人には、置いて行かれたお姫様のフォローを期待したいところであるが、
……どちらも、編みあぐねているじゃないのぉ?
うつむく少女へ、見つめ、口を開きかけてはためらうことを繰り返していた。
正直なところ、魔女としては故郷の奪還は熱をあげるようなものではない。地球は楽しいし、才覚に依って温かな寝床と美味しい食事を楽しむ事ができているのだから。
だから、
「……姫⁉」
「ログアウトしたか……」
強制を待たずに戦場を離れた代表の心情を慮るに、
……これはダメかもしれないわねぇ。
冷たく、他人事のように嘆息をこぼすのだった。
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