第五章:特別な日は特別にしたいだろう

1:揃う顔ぶれは賑やかしく

 まだ夏には遠く、けれども立ち込める湿気で汗が止まらないこの時節。


 学生食堂で人気があるのは、冷やし中華にぶっかけうどん、冷やしそばなどの体温を下げてくれるメニューだ。

 子心らが囲む長テーブルに並ぶのも、それに倣っている。

 自分がすするのは、素のぶっかけうどん。

 譲恕が、ぶっかけうどんに大根おろしトッピング。

 撫依は、冷やし中華。

 明楼の前にあるのが、かき揚げトッピングの冷やしそば。に、七味を振っている。

 そしてウィンディは、カレーライス。


「……協調性ないのかよ……」

「なによ! その三品しか頼んじゃいけないわけでもないでしょうが!」

「けどねぇ、お姫様? 汗だくじゃないのぉ? お水もいっぱい飲んでいるしぃ?」

「だなあ。夏服が透け始めているし、さすがに……」

「姫。私の冷やし中華と交換しましょう。その身を守るのが、近衛の務めです」

「そうだそうだ! 貧しいものが透けてるなんてかわいそうだろ! 苦行は富める者に任せるんだ! 早く! ほら、昼休み終わっちゃう!」


 撫依による指折り目突きが閃くから、目と口を閉ざす。


「姫、どうぞ。まだ手は付けていませんから、気になさらず」

「……ダメよ。こっちは、もう口をつけてしまったから」

「それこそ、気に病む必要はありません。さ、どうぞ」


 目の前に差し出された冷やし中華に、けれど微動だにせず、


「あらぁ? お姫様、汗がひどくなってない?」

「どうしたんです? 体調でも悪いんで?」


 皆、仇敵でもある魔女も交えて、心配の視線を集める。

 皆の注目に、むくれ顔で割り箸を握ると、


「……箸が、うまく使えないのよ……」

 と、カレーライスでなければならない理由を吐露するのであった。


      ※


 アスバリア勢が亡命しこちらの世界に織り込まれて、約一年が過ぎている。


 その間に、各々は生活基盤を作り上げて、割り当てられた役割に従事している。譲恕と撫依は、首脳陣であるためこちらの教育が必要であると判断され、学生の肩書を得た。魔女は趣味で学生をしているとか。

 そして正真正銘の首脳であるウィンディは、


「年金もあって、生活に差し迫られるわけでもなく、失意に溺れていた弊害、か」

 地球歴十五年の敬えない先達による、一つ一つそれぞれ十分に図星である呟きに、ぐぎぎ、と歯を食いしばって震えていた。


 譲恕は、盲点であったということと己の不明であったことを、眉に苦く浮かばせて、同じ顔をした同僚と視線を行き交わせる。

 自分たちもそうだが、彼女に割り当てられた部屋は特別扱いなどなく、通常の一人部屋だ。世話役を備えるほどの容量はなく、姫自身が拒絶したこともあり、自活に任せていた。

 傷心であることも知っていて、自分たちも日々の忙しさを盾に、最低限の干渉で済ましてしまってきた。結果として、


「そういやお前、俺にカレーを注文させてたな……学食初めてか? バージンか?」

 バカの顔面に拳を突き刺さし、

「呼ばれて来てみれば、恥を晒されるとか! この屈辱、絶対に忘れないからね!」


 逆手をボディに叩き込んでから、カレーを掻きこむ苦行を再開し始めた。近衛が、姫を透過から守るために、子心のワイシャツを剥ぎ取って肩にかけているが、逆効果ではなかろうか、と騎士団長は思うところである。


 二人が会話の外に出ていってしまったため、譲恕は残りの魔女と半裸に向き直り、

「……なあ、明楼」

「どうかしたかしらぁ?」

「お前、ずっと七味振ってるけど……」

「そうねぇ」

「うわ! 真っ赤ですよ! 魔女さん、さすが人智を超えた存在ですね! これがオパイの秘密か……! スパイスってオパイと似てますしね! パイが! 核心部分ですよ!」

「その論法なら、カレーもじゃねぇか?」


 主から鋭い視線が飛んだ気がしたが、目が合わなかったのでセーフ。


「こっちに来て、こんな美味しいものが安価であるなんて、ビックリしたのよぉ。こう、頭が開くような感覚が、森でハッパをキメてた頃を思い出すのよねぇ」

 周りの学生が、ざわめきながら輪を広げているが、同感だ。同席してなければ、距離を置きたいところである。


「サシェイも皆も、跳ねて喜んでいたわぁ」

「こっちに連れ帰ったオオカミか? それ、たぶん驚いてのたうっていたんだと思うぞ」


 えぇ? と、理解に苦しむ様子の魔女に、まったく、とため息をつく。


 使い終わった七味の小瓶を、開いた胸元のその間に収納していく姿は正気を疑ったが、それを見ていた後輩が「閃いた!」と叫ぶのは正気じゃないからセーフだ。セーフじゃないと、目の前の光景がパンクしてしまうから、セーフ。


 明楼の気持ちはわからないでもない。自分も、こちらの甘味に驚いて嗜好となったのだから。

 けれども、限度や節度があるだろうに。あそこまで狂っている姿は、見るに堪えないものがある。

 自分も甘い物は常備しているが、けれど時折はストックを切らしてしまう程度だ。

 ちょうど、今日がそうであって、


「ねぇ、デザートは何になるのかしらぁ?」

「毎日毎日たかりやがって……今日は買い置きを忘れてな、とりあえずこれだ」 


 そんな日は、部屋にある砂糖を小パウチ袋に詰めて、ポケットに仕込んである。

 菓子ほど味を楽しめるものではないが、必要分舐めたら仕舞っておけるのが便利なのだ。


 テーブルに予備分も含めて三袋並べて見せると、

「お?」

 周りの学生たちの輪が一段広がり、子心は携帯電話を取り出して、


「おまわりさぁぁぁぁぁぁんっ! アイツでぇぇぇぇぇぇすっ! ハッピーな末端価格設定な粉商品の売人がぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


      ※


 学校職員の手によって、赤色ランプが回るカッコいいパンダカーに引き渡された先輩を窓から見送ると、


「大丈夫かしらぁ……」

「まあ、本当に砂糖ならすぐ釈放されますよ! 本当に砂糖なら!」


 証拠物品ということで根こそぎ持っていかれたから、真偽の確かめようはない。念のためと、明楼の真っ赤な冷やしそばも押収されたので、ランチタイムは実質終了だ。

 ワイシャツを奪っていった主従は、我関せずでカレーを食い、水を納めている。

 なんだか楽しそうだなあ、なんて眺めていると、


「そういえば、そろそろお姫様、誕生日じゃなかったかしらぁ」

「あ、そうなんです? それじゃあ何か考えないと、ですね!」

 元気よく答えた後で、待てよ、とブレーキ。


「こっちの暦と、そちら……アスバリアの暦って、一致しているんですか?」


 太陽暦は太陽の巡行を基準とした暦であり、異世界と一致するとは到底思えないのだが、

「その辺はかなり曖昧で、こっちの成人年齢を基準に、って感じねぇ。コンピュータで観測計算できている世界もあるんだけど、ウチは発見の直後に難民化したから、時間が作れなかったらしいわぁ」


 で、誕生日はというと、

「こちらの一年と向こうの一年を比べて、だいたい良い感じのところを、ってところよぉ」

「すげー曖昧で素敵だ! だから女子高生(25)なんて素晴らしい具合になっているんですね!」

「あらぁ! また褒められちゃったわぁ! なでなでしてあげる!」

「あっあっあっあっすごいすごいまぶた越しに眼球がっあっあっあっ」


 半裸のまま悶えていると、周囲の輪がもう一段階広くなって、先輩を引き渡した学校職員さんが長くて固い棒を持ち出してきたので、ランチタイムは完全終了と相成った。


 その日の夕方、学生連絡掲示板に五人が名指しで「食堂の利用禁止」の沙汰を受けたのはまた別のお話。あんまり別でもないけれども。


      ※


 連行された先輩は、あわや今日のバイト及びアスバリア出陣に間に合わないものか、と危惧されていたが、きっちり時間前に姿を現しレッグラリアートをお見舞いしてきたので、無事の帰還を祝うことになった。


「勘弁してくれ、こっちは生活がかかってるんだぞ」

「いや、だってあからさまな『白い粉運搬容器』じゃないですか……いつも持ってるスティックシュガーはどうしたんです? 品切れですか?」

 半分残して口を閉じておくと湿気にやられてなあ、と要らない知恵を見せてくれる。


 コンビニ裏の、いつもの青空休憩所だ。湿気は高いし、室外機はガンガン熱を吐いているしで、汗がにじんで仕方がない。

 少しでも体温を下げようと持ち出したアイスも、すでに溶けかけている。


「先輩、お姫様が誕生日だって聞いたんですけど」

「ああ? そう……だな、明日だ。都合が良いのか悪いのか、土曜で学校は休みか」

「アスバリアでは、誕生日ってどう祝うんです?」


 例えば、


「ケーキを出したら胸の生育を揶揄する、とかないですよね?」

「お前はうちの国を何だと思っているんだ?」

「猫と辛みと砂糖に狂った首狩り族の国、ですかねぇ」


 ネックハンギングツリーが見舞われ、


「そういうとこですよ! トップから下まで、どうして俺の首から上を狙うんだ!」

 まったく、野蛮なんだから。

 

      ※


「こっちと大差ないぞ」


 家族と友と恋人と、これまでを喜び、これからを祝う儀式なのだ。

 地球と比べて医療や食事から健康面が劣るため、一度一度の密度が高いという違いであるが、行為そのもののありがたみや価値に、違いはない。


「となると、問題ですよね」

「まあ……そうだな。声を大きくは言えんが」

 家族も友も恋人も、確認する限り存在しておらず、


「今のとこ交流あるのが、臣下、臣下、仇敵、ヤベー奴、だからなあ」

「おっと知らない人が混じってますね! 誰です! マッポの世話になった先輩が認めるヤベー奴ってのは!」

「半裸でいかがわしい行為に及んで食堂出禁になった奴だよ」

「おやおやぁ⁉ 身に覚えがありますよ!」

 なら結構だ、と肩をすくめる。


「まあ、何か考えてやってくれ。ずっと一緒だった俺らより、お前に祝ってもらった方が喜ぶだろ」

「期待値上げすぎですよ?」


 笑って、ゲームが取り柄のぼんくらに何を期待するのか、と自己評価を見せるのだけど、


「姫の期待値は下限だから余裕だろ?」


 先輩が下げたハードルの下をくぐって眉間に打撃してくるから、さて、どうしたものかと空を見上げる。

 雲はどんより漂い星を隠しているが、その分、地上の明かりを返して煌々と街を照らしていた。

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