9:瀬戸際の覚悟に打ち込まれる

 息を、鋭く冷たく弾ませて、細い足を繰って獣道を走る。


 下生えを叩く音は一定ではなく、時に幅を狭く、時に飛ぶように。

 恐れのためだ。

 森を走ること、そもそも走るのにも不慣れなこともあるが、追われる恐怖に挙動が安定しないのだ。

 振り返れば、ぞろりぞろりと、小鬼型が数を増やして追いかけてきており、


「うわああああああああ!」

 遅れがちだった先導役の一人が、黒の滲みに呑み込まれていった。


「くそ!」

 群れの後方ですぐさまリスポーンするが、群れから逸れた一団に追われはじめ、結果バラバラになっていく。


「どうしてこんなことに……!」


 魔女の森は、侵入者を易々と逃してはくれない。万が一の保険であった『死に戻り』が機能しない以上、撃滅するか脱出するかの二択である。

 ウィンディと猟師たちは、後者に賭けて来た道を引き返していた。


 が、いくら駆けようとも陽光は強まらず、術に囚われて森を抜け出せないでいる。


「助けてくれぇ!」

 また一人、呑まれて、リスポーンして、追われてはぐれていく。

 邪な目的があったとはいえ、彼らはこちらを捨て置いて逃げはせず、殿を務めてくれる。王族である自分への敬意、だけではないとわかっているが、勇気が必要な判断であることは間違いない。ありがたいと思うし、父や兄たちの善政のおかげだろう。

 などと、冷静に彼らを採点する己に冷笑を浴びせ、


「とにかく逃げないと……!」

 心と表情を引き締める。


 囚われれば、死亡によってこの体が非活性化に進み、レベルが低下する。身体能力にも影響がでるため、さらに逃げ切ることは困難となり、再度捕まり衰弱する、という最悪のサイクルに陥る。

 だからこそ、猟師たちも恐れ逃げまどっているのだ。


「くそおぉっ!」

 背後で、最後の一人が断末魔を迸らせた。


 これで、残るのは自分だけ。


 ずっと『お姫様』だったから運動なんか得意ではないけれど、この体は息が切れることなく走り続けられる。動かすことに慣れてなどいなくても、追跡と拮抗する程度には進むことができている。


 とにかく正しい道などわからなくて、開けている方向、陽の濃い方角、そんな直感的な判断で前へ前へ。

 直線にかかり、肩越しに背後を見返せば、


「ひっ……!」

 薄闇の中、幾重にも重なる黒塗りの小人たちのひしめき蠢く様に、喉が悲鳴をこぼしてしまった。


 不意の、意図しない呼気は胸を逸らさせて、重心が上に伸びる。

 バランスが崩れ、立て直すために視線を進行方向に戻したところで、


「きゃっ!」


 脇から伸びていた枝に、顔を強かに打たれた。

 威力は、自足の速さでしかないからゼロに等しいが、驚きと反射で仰け反ってしまうから、さらに重心は上がってしまった。

 体が傾き、爪先が、蹴るはずの土に届かない。

 宙を掻いて、残った足もすでに次の一歩のために大地を離れている。

 結果、少女の薄い体は軽やかに浮き、


「っ……!」


 重力に、地面へ重く叩きつけられてしまった。


      ※


 葉を鳴らし、腐葉土を踏みしめ、彼らは迫る。


 狩人というには感情はなく、虫と言うには統制が取れていない。そんな無機質で乱雑な行軍が、土にまみれた姫に迫る。

 胸が、痛いほどに叩かれる。

 怖い、のだ。

 死ぬ、などと一度の経験もない。この体を得てからも、ろくにログインしていなかったツケだ。


 だけれども、自業自得だと思えば、自然と呼吸が落ち着いてくる。

 己のせいである、というだけで、どれだけマシなものか。

 故郷を追われ、家族を失ったことにどれほど『自業』があったというのか。理不尽に奪われたあれやこれやの責任の所在を考えれば、原因がこの手にある、という一点がいかに尊いものか。


 胸を押さえ、無理矢理に荒れた息を呑むと、

「来なさい……!」

 睨みつけて、宣戦を吐く。


 もはや敵の群れは眼前に至り、逃げ道は潰れている。

 大技の光線は一度きりで、ここは見通しも悪い。緊急避難で打ち込むには非効率だから我慢だ。

 一度、命を奪わせて、距離を作り、また逃げることを選択した。

 それでも、再び囚われ、殺されるだろう。そうなれば、もう一度だ。

 繰り返し、森を脱する必要がある。


 では幾度か、と自問し、


「何回だって!」

 自答を叫ぶ。


 この身は、城に戻らなければならないのだから。

 ログアウトして再訪さえしなければ、解決する話ではある。けれども、


「ちょっとは王族として、どうにかしたいとか考え始めた矢先なんだから!」

 だから、森で朽ちていくなど嫌なのだ。


 けれども、はて、こんなにも激情を溢れさせるのはどうしてだろうか。

 つい先日まで、無気力に溺れていた自分が、どうして声を荒げて民のためになろうとしているのか。

 近づく『死』を目の前に、瞬く記憶を見返していると、


「……喜んでくれる人がいるなら、か」


 アパートの隣人の、柔らかな笑顔が鮮明に浮き上がる。

 かつて、この故郷を美しいと言ってくれた、皆が居たならもっと美しいだろうと言ってくれた、彼の微笑み。

 この身の脱出がダメでも、彼ならなんとかしてくれる。

 なにせ『敵』に反するためにアスバリアが生んだ存在、つまり『天敵』なのだから。

 だから、


「だから大丈夫よ」


 覚悟を瞳に灯す。

 葉が、枝が、いっそうに大きく鳴って、まぶたを強く閉じた。


      ※


 身構え、けれども想像していた衝撃や痛みなどこれっぽちもなくて、


 ……意外と、あっさりしているのね。


 なんて考えるほどの余裕がある自分に驚く。

 つまり、時間的猶予が発生しているということで、不信に、死を覚悟して閉じた目を恐る恐る開ければ、


「子心……!」

 隣人が、小鬼の頭を片手で引き抜き、回るような蹴り上げで霧散させていく。


「いたよ! いたいた!」

 こちらに気づいたようで手を振る姿は、


「臭いを追ってきてみれば、なんでこんな遠くまできてるんだ! 他の皆さんは近場で回収できたのに! あれか! やっぱりその胸がエアロパーツになっていて加速してるんだって! 俺は物理に詳しいんだ! え? おい、やめろ! 腰を噛むなぁ! ちっこい奴らも、足にまとわりついて『ちょっとくらいならわかんねぇだろ』みたいな感じで噛むんじゃない! けっこう痛いんだぞ、お前らの牙! 俺は物理に詳しいんだ! やめろ、顎の力を上げるんじゃない……! これ以上はどうにかなってしまうぞ! もちろん、物理の話だ!」


 異様に大きな銀狼の腰辺りを持ち上げ、後ろ足の代わりになっており、足元をオオカミの群れで埋め尽くしていた。

 敵対していたはずの魔獣と共に現れた『ピリオド』の言動へ、どうして、なんて疑問より前に、


「世界の終わりが破城槌を構えて突っ込んできたわねぇ……」


 胸の中に育まれていた熱くて大切なものが、こう、暴力に分類されるものでぶっ壊されてしまった。

 だから、助かったのだという現実と、叩きつけられた変わらない無礼さと、オオカミに埋め尽くされている状況の不明瞭さと、


「なにが起きてるっていうの」


 どれに対しては怪しいところであるが、安堵し脱力するのであった。

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