7:接触と不測の情景
魔女の森を守り住まう、オオカミの群れ。
獣の姿をした警邏の一団は、
「六匹も……!」
同行の狩人が嘆くように、十二の瞳が爛々と輝かせていた。
一般に、オオカミと人間が正面から敵対接触した場合、後者は勝ち目も逃げおおせる目も小さい。
であるが、子心は規格外としても、この場にいる全員がワンダーマテリアルを介して普通の人間以上の能力を振るうことができる。であれば、彼我戦力差はどれほど解消されているものか、と少年が思考したところで、
「ピリオド! 殿を頼む!」
「俺たちは、姫様を安全なところまで引かせる!」
「え?」
決断、早くない? と思ったが、前職から森を職場としていた人間の判断だ。
経験値からの慣例的判断であろうなら、仕方がない部分もある。特に、異郷の地でゲーム感覚で参加している自分とは比べようもないし、
「ちょっと! 離しなさい! あんな奴ら、ビームで蹴散らしてやるわよ! 富める者に侍る、愚かな蟻めが……!」
オーバーキルを狙ってロイヤルビームを打ち込もうと暴れるお姫様の姿を見るに、一時後退は英断であろう。
輪を狭めるオオカミに対し、狭路へ引き返す四人のために壁となる。
と、背後から、
「すぐに戻る! どうにもならなかったら、城で落ち合おう!」
方針が伝えられるから、振り返って、
「任してくださいよ! 四つ足のケダモノが何だっていうんです! 見てくださいよ、俺は服を着ている、あいつらは全裸! どっちが上か、論じるに値しませんぜ!」
「……昨日まで、定義的には全裸だったよな、アイツ……」
「てか、余所見するな! オオカミは……!」
目を合わせれば、敵意とみなす。獲物が目を逸らせば、退路を探していると判断する。
子心はこの二つを順番に行っていたため、敵へ視線を戻るより早く、
「え?」
瞬間で間合いを詰めた犬歯が、首筋を噛み千切られてしまった。
※
一気呵成に群がるオオカミたちの牙に体を削がれながら、
「痛くないけど不思議な感覚に思春期の俺が襲われてるぅぅゥゥゥ! いやああああああ!」
システム的に痛覚を遮断しているため、食い込み千切れる感触はあるものの、動作そのものは正常に機能している。
なので、
「ダメだ、これ! ちょっと死に戻って来ますんで、待っていてください!」
急ぎ引いていく同行者たちに、予定の変更を告げる。
初日にさんざん味わった、敗れて消える感覚が強まっている。ポップアップする『HP低下』の警告文字の通り、生命維持能力が低下しているのだ。
リスポーン地点であるアスバリア城テラスからここまで、全力で走ればさほど大きな時間は不必要だ。
それまで、どうにか耐えてくれればいいけれど、と彼らの無事を祈って、
「てぅぃてぅぃてぅぃ!」
ゲームオーバー音を叫びながら、遠のく意識に身を委ねていく。
死に体の獲物が不明瞭な絶叫をしたため、オオカミたちはビクっ! と動きを止めたが、実害がないのを悟ると、お食事を再開。
……ああ、慣れたい感覚じゃないなあ。
臓腑に鼻先を感じたところで、完全に意識が暗転した。
※
覚醒が、染みるように広がっていった。
まぶたを光が照らしているのがわかり、自然と目が開かれる。
ログイン場所でもある、アスバリア城のテラス。
そこで目が覚めるはずだったのだが、
「あれ?」
葉に陰り、弱い陽光。
葉がさざめく、木々の波の音。
足が踏む、腐葉土の混じる下草の柔らかさ。
困惑と警戒を露わにする、獣の唸り声。
そこは間違いようもなく、
「死に戻りしてねぇじゃねぇか!」
生前の森の中、凄惨な殺害現場(被害者・俺)の目の前であった。
オオカミたちも、どうする? おかしくね? 喰って大丈夫だったの? みたいに顔を見合わせており、
「どういうこと? あ、うわ! またてぅぃてぅぃしちゃううううううっ!」
とりあえず齧ってから考えよ、と結論付けたようで、再び群がってくるのだった。
※
意味の不明瞭な絶叫に背を押され、ウィンディと三人の猟師は狭路を戻っていく。
「アイツ、その場でリスポーンしてたなかったか⁉」
「はっきり見ていなかったが、叫び声は聞こえている! 少なくとも現場にはいるぞ!」
「どうなってるんだ!」
先導する三人の狼狽する姿に、己も確かに混乱に襲われている。
この体は肉体から抽出された心的構成素を、世界が持つリソースと結び付けて、仮初としている物だ。維持不可能な損傷を負った場合、数値的に『HP』が底をついた時は、再構成を行う。
つまり、再ログインと同等であり、初期地点にリスポーンするのはそのためだ。
だというのに、再構成はするものの同地点に留まるということは、
「魔女の魔法のせいかしら」
迷宮化した森が、脱出を拒んでいるのか。
仮定を一つ呟くと、
「待ってくれ! それじゃあ、ログアウトしても戻れないってことか⁉」
「話が違うぞ! そうなると、ピリオドが持っていたメモがないと……!」
「くそ! うまいことここまで来れたのに……!」
口々に怨嗟を吐き出すから、
「うまいこと、ですって?」
引っ掛かった単語を反芻すれば、三人が気まずい驚きを浮かべる。
遠くから、頭のおかしい悲鳴が響く中、誰も顔を見合わせるばかりで弁明の姿勢を見せないため、
「どういうことなの? オオカミの群れに鉢合わせるのが予定の内だったこと?」
「いや、姫様、そういう意味ではなくて」
しどろもどろな髭面に、であれば、と追及の言葉を重ねたところで、
「や、ヤツらだ! こっちに気付いているぞ!」
警告を指す方。
見れば、薄暗い森の中に、一際濃い黒が蠢いている。
怖気たつその姿は間違いようもなく、己たちを追い込み、幾人もの同胞を薙ぎ散らしていった侵略者であり、
「なんでこんなにも……!」
最も弱い個体である小鬼型が、木の陰、藪の陰から這い出して来ていた。
まるで、世界に滲むように、侵すように。
※
二度目のオオカミたちによる噛り付きに、
「ぐああああああああ……あれ?」
しかし、肉を千切られる感覚を覚えず、突撃の衝撃で後ろ倒しにされた。
後頭部を強打して涙目になりながら、腕や足に噛り付いているオオカミたちに目を向ければ、
「尻尾振ってるな……」
じゃれるような甘噛みで、鼻のしわも解かれていて、敵意警戒の色は消えている。
どういうことだ、と首を捻っていると、噛んだまま引っ張る様子を見せるので、
「あれか! いっぺん狩った相手だから、もはや獲物扱いか! 巣に持って帰って美味しくいただきますのか⁉ このケダモノ! オオカミ!」
ちょっと、噛む力強くなった。
「なんだよ、いったい……」
オオカミたちの心変わりに付き合うよう立ち上がると、引かれるままに森の奥へ。
こうしてじゃれつくように足元に付き添い、こちらを引っ張る姿はなんだか可愛らしい。剥き出しにされていた牙も今は穏やかな口元に隠されてしまっていて、
「……そういえば、どうしてお前たちの牙は、俺に通ったんだ?」
疑問が浮かんだ。
世界から多大なリソースを割かれている子心の体は、防具など必要ないほどに強度が高い。
HPが低下すること自体、数えるほどしかなかったのだけども、それならなぜ彼らの顎は易々とこちらの皮膚と肉を突き破ったのか。しかも、薄手の防具を噛み砕きながら、だ。
はての思考し、オオカミを観察しても、明瞭な回答は得られなかったため、
「まあ、いいか。で、どこに連れて行く気だ? あれだぞ? 魔女の眷属なんだから、バインバイン! なケモ娘が俺を待っているから、たまらん、もう人種の枠を超えたぞ⁉ いいな! 俺は万端だぞ!」
噛む力が強くなって、骨が軋んだ。
※
子心が連れ込まれたのは、薄暗い森の、さらに陽光の弱い一角にそびえる、大樹の前だった。
ぐるりと回ると、藪で隠されたうろがあり、
「入れって?」
尻を、六匹がかりで押し込もうとしてくる。
されるままに身をかがめ、暗闇の様子を窺えば、
「……血の臭いか?」
鼻を突く悪臭に眉をしかめ、目を凝らす。
闇の中に、それは息づいていた。
美しい銀の毛並み。
凛々しい、青の瞳。
しかし、痛々しいまでに後ろ足が抉られている、
「……オオカミ、なの?」
子心の身の丈より大きいであろう、獣の姿が横たわり、息を荒げているのだった。
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