3:吹く風を感じる

 懸念があったのだ。


 あの『サイズ感』は常識の範疇ではない。目撃した時には、この世のEDENを発見した興奮と喜びに我を忘れていたが、冷静に考えると『片方』がこちらの両手から溢れるだなんて、夢か幻か、俺が生み出してしまった悲しきモンスターなのか。いや女神! 女神だね! ばかやろう! オパイが付いてたら全部女神なんだよ! だから貧乳、おめーは違うぞ!


 そんな猜疑の中で生きてきた子心であったが、先輩である英羅・譲恕の口から『彼女は魔女である』と告げられるや、不信が爆発。いてもたってもいられず、ファミレスを駆け出し、青春を吐き出すように寮へ向かって全力疾走していたのだ。

 そして今に至り、確かめることのできた両の手の温かく柔らかな感触に、


「良かった……! EDENは守られたんだ……!」


 薄く湿るアスファルトへうずくまり、感動に打ち震えていた。手の平は天に向けて。


「ありがとうケルビム……! EDENの守護者よ……! 俺が知恵の実を食べないように守ってくれたんだね……! 待てよ? じゃあイチジクの葉がいらないってことで、全裸でオッケーですよ! ねぇ!」

「それ、こっちの創生神話よねぇ……私には適用されないわよぉ?」

「なんだよ畜生! 夢は潰えた! しょうがない、切り替えていこう! じゃあ、ちょっとイチジクの葉を探してきますね⁉」


 おいなんだその目は、おい貧乳。道端に丸まる汚れた布切れを火バサミで摘まむような目をしやがって……!

 と、そこで脳裏に電流が走る。


「……まてよ」

 相手は魔女、人智を越える魔法の使い手だ。


 ……今の触覚までも、魔法で作られていたとしたなら?


      ※


「おい伏希! どこ行った!」


 ファミレスを飛び出していった後輩を探して、譲恕と撫依は寮方面へ駆けていた。

 肉体的には、戦闘を主とする職についていた異世界の二人とゲーマーでしかない子心では明らかな格差がある。

 ではどうして、置き去りにされたかと言うと、


「支払い押し付けて全力ダッシュとか、どういう了見だ!」

「猫ちゃん動画の収益がなかったら、一巻の終わりだったな」


 猫に感謝はするがお前にはしたくねえな、という感想は口にしない程度の分別はある。趣味はそれぞれだし……動物に実害を加えているわけでもないし……

 とにかく、バイト先であるコンビニのネオンが見え始めて、探索の範囲が残りわずかであることを悟ると、


「最悪、部屋の前で張り込むか……!」

 長期戦の覚悟を決めたところで、


「うわああああああああああ!」

 裏手の路地から、悲鳴が響いた。少し高く、鬼気迫る絶叫は間違いなく、


「伏希⁉」

 驚く撫依と顔を見合わせる。

 財布の中身も心配ではあるが、先輩として、戦友として、心配が膨らむから、


「大丈夫か!」

 駆け出し、薄暗い路地裏へ必死に飛び込んでいく。

 そこには、


「ああああああああああああすごいですよ!」


 きょとんとした顔の魔女と、

「すごいすごいすごいすごい!」

 彼女の目の前で、奇声を上げながら中腰で反復横跳びをしている後輩の姿があり、

「風を感じる……! オパイに遮られて乱れ吹く風が、俺の頬を打つんだ……」


 ぴたりと止まると、奥で地獄の砂を噛むような苦い顔で立ち竦む我らが主へ、

「おい貧乳、お前もこっちこいよ! ここが『世界』だ……!」

 反復横跳びのお誘い。


 眉間にきた騎士団長は、困り果てている魔女へ、

「いいぞ」

『許可』を降ろせば、ほっとした顔で頷きが返り、

「えいっ、がぜる☆あっぱーっ」


 フック気味のアッパーカットが、手頃な位置にあった頬を捉えた。

 彼が、EDENと呼んだ質量が十分に乗せられている。その実在を確かめることができたはずだから、きっと本望だろう、と譲恕は肩を落とすのだった。


      ※


「まあ、事情はわかったよ、明楼」


 後輩の財布から食い逃げ分の現金を抜き取りながら、話を聞いた譲恕は満足そうに頷いて見せ、

「協力してくれるのは喜ばしい限りだ。けれど、どうしてだ?」

 魔女へ、当然の疑問をぶつける。


 一斉亡命からこれまで、こちらの動静には我関せず、己の才覚で己の生活を守ってきた彼女が、突然に合流を打診してきたのだ。

 申し出に悪意を汲み取るほど譲恕は狭量でないつもりだが、理由は知りたいところ。


「あらぁ忘れちゃった?」

 しなを作って、に、と笑い、困惑するこちらをからかうように、

「ピリオドがイイ男だったら、ってね」

「……老眼、か……」

 爪先がみぞおちに入った。打撃方向と予備動作がないことから『体重』が乗っていないので、衝撃すらないが。


 腹立ちでもう一発繰り出した魔女は、効果の無いことを悟ると、指を二本立てて、

「もちろん、タダじゃないわよぉ? 条件が二つあるわぁ」

 まあ、納得のできる提案である。あとは内容次第だが、


「一つは、森に忘れ物をしちゃってねぇ。それを持ってきて欲しいのよぉ」

「ふわっとしてるなあ。具体的には?」

「行けばわかるから大丈夫よぉ。もし見つからなかったら、その時に考えましょ? こっちは努力目標ねぇ」

「ずいぶん、緩いな。もう一つが厳しいのか?」

「どうかしらねぇ」


 腕を組み、挑発するように笑うと、

「森にはピリオドを遣わして。それと、もう一人の同行をお願いしたいの」


 視線を、少し離れたところ。譲恕の後ろへ立っているはずの『お姫様』に、こちらの肩を跨いで投げやる。

 意外な指名に、譲恕が困惑を顔に浮かべながら、魔女の視線を追いかけて振り返ると、


「おいおいおい! 風圧が完全にスルーしているぞ! 流れに歪みがない! ないよ!」

 姫の前で、前屈のバカが反復横跳びをしていて、

「空気圧に負けて膨らんでこれないのか⁉ 抑え込む力がここまで強いとか、その胸、エアロパーツかよ! ラリーに出ようぜ、世界を狙えるぞ! がくんがくん揺れては返すGに踊る……ダメだ、これじゃ揺れないじゃないか! 不良品だよ!」

 ロイヤルガゼルアッパーが、顎を捉えた。


 背を逸らせ、膝を笑わせながら、それでも持ちこたえて、

「効くかよ! 俺は、EDENを見ている、んだぜ?」


 右左のおかわり二発が叩きこまれて、バカは知恵の実を食べないままに、EDENを追放されることになってしまっていった。

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