2:魔女は惑わす、惑わされもする
森の魔女、メイロウ・グルーサム。
奔放であり利己的、他者の不都合など一顧だにせず、気ままに気まぐれに森へ籠る伝説の妖女であった。
言い伝えでは、彼女が笑えば麦の穂が縮み、彼女が怒れば海の魚が姿を消す。彼女の機嫌を損ねると、森の奥に隠れそびえる館へと引きずり込まれ、血の一滴まで絞りつくされてしまう、だとか。
とかく、凶兆全てに結びつけられた存在であり、長く王国と対立し続けていた。
その期間はざっと、ウィンディが聞くに及んだ限りで三代前の王の治世からだ。
だから、恐ろしい。
たった一人で、世界全てとも言えるアスバリア王国と相対していたことが。
人の形の中に、災厄が詰め込まれでもしているかのような伝承が。
そして、それら全てよりも、姫の心胆を寒からしめるのは、
「曾祖父様より世代は上になる人間が、学生服を着て人目に付いている神経よね……」
「ふふ、亡命してきた時に戸籍は十代で登録したから、正真正銘の女子高生よぉ?」
「ますます神経が疑うわ……! 見た目年齢だけでも、十八は無理じゃない! 担当者の目はどうなっているのよ……!」
「アスバリアは、地球換算で日の経過が倍速なの、って嘘ついたら簡単にハンコついてくれたわよぉ。手続き一番乗りだったから、簡単に信じてくれたわねぇ」
「……え?」
「え?」
「私、手続きの時に『現実に負けないでくださいね……!』て励まされたのだけど、もしかしてあなたと同年代の、成人女性と思われていたんじゃあ?」
「……あ」
あ、じゃないが。
「ち、違うのよぉ、そんなつもりはなくてぇ、この格好がすごく可愛くてどうしても着てみたくてぇ、そうよハンコ押した彼が悪いのよぉ! 私は悪くないわぁ!」
責任転嫁を押し込む魔女の姿は、奔放で利己的で、他者の都合など一顧だにせず、そして見苦しい。
ウィンディは、怒りに染まりながら一つ納得を得る。
人は、理解しがたいものに恐怖を覚える。
常識と良識の両輪で社会を回していた代々の王国民は、彼女の独自の倫理を理解しえなかったのだ。
欺瞞、詐称、いかなる手段を用いても『十八歳』を名乗りたがる、森に住まう仇敵の神経を。
少女は『ああはなるまい』という恐れに震えながら、一つ大人の階段を昇ったのだった。
※
「最近、アスバリアに戻っているそうじゃない?」
駆け足でコンビニから買ってきたアイスコーヒーを手渡されながら、車止めに腰を下ろしたウィンディは礼よりも先に、視線に棘を込めながら、
「故郷を見捨てた割には、耳が早いのね」
「もう、意地悪を言うのねぇ」
メイロウが、あちこちを揺らしながら、深く微笑む。
目の前の魔女は、アスバリアの戦線に加わらず、他世界に傭兵のように参戦していると聞いている。彼女が操る『魔法』は故郷から割り振られたリソースに拠るもので、基礎となる心素が基準より高いため、他世界においても高水準の戦闘力を保証されるのだとか。
その辺りの細かい戦力分析は正直さっぱりであるが、彼女が戦果を稼いでいる事実から、戦闘面での活躍に間違いはないのだろう。
「戦線を緊縮して閉じこもっている故郷より、バリバリ敵を倒せる戦場のほうが稼げるのだから仕方ないじゃない。あなたと違って、私は家賃を払わなきゃならないのよぉ?」
亡命国の代表者として、自分の生活は最低限保証されているが、それ以外の面々はそうもいかない。食い扶持を稼ぐために、騎士団長はこのコンビニでバイトしているし、近衛だって羽振りを見れば何かしら収入を得ているようだ。具体的に聞いたことはないが、
「あなたの近侍がやっている動画チャンネル……あの、ほのぼの音楽に合わせてブチ切れ猫ちゃんのダイハード(撮影者の手)映像を流す……すごい収益出しているみたいだけど、私はああいう特殊な層に受ける性癖もないしねぇ」
どうして目と耳を塞いでいるこちらに、現実を突きつけるのか。魔女はやはり邪悪だ。
にんまり、と笑われて、
「けど、ずっと無視し続けていた故郷に、実体ではないにしろ戻っているってことは、なにか思うところがあるんでしょう?」
「戻るといっても、ただテラスから眺めているだけよ?」
「見ていたいものがある……気になることがある、って自白しているようなものねぇ」
笑みが深まり、狭い車止めの上辺に、無理矢理にその大きな体を押し込んできた。
この暑い中ではさすがにうんざりしてしまい、逃げるように立ち上がって、
「気にならないわけ、ないでしょう? 終わりをもたらす者が現れたのよ」
伏希・子心。ピリオドの役割を、世界から与えられた少年の登場は、つまり、
「勝っても負けても、アスバリアは終わり。奪還はできても、かつてには戻らないわ」
すべてのリソースが彼に預けられており、それは、もはや世界に余力はないということ。新たな生命、涼やかな風、光る草原……何もかも、出涸らしになった世界の自然回復に頼ることになるため、しばらくは人の生きることのできない地になるだろう。
戻るのにどれほどの時間を要するか想像もできないが、少なくとも、己の世代では絶望的だと言い含められている。
くわえたストローから思わず口が離れるほど、気が重くなってしまっていた。
少しばかり、上方に持ち直して、
「どうなってしまうのか、見届けたい気持ちはあるの」
「最後の王族として?」
そうね、とあっさりとした肯定して、同じ問いを返す。
「あなたはどうなの? 噂じゃ、眼球をぐりぐりしたって聞いたけど?」
正気を疑う初遭遇であるが、まあ『アレ』と『コレ』なら仕方ないかなって。
魔女が厚い体をくねくねさせはじめ、
「あの子ねぇ、すっごい気に入っちゃったのよぉ! もうなんかこう、可愛らしくてぇ、鼻息が荒いとことか昔飼っていたワンちゃんみたいでぇ!」
開くような笑顔で、ペット自慢を始めたので軽くヒき、
「それにぃ、私のこと『素敵な女子高生』って言ってくれたのよぉ! 嬉しいじゃない?」
「えぇ……だって、どう見たって女子高生(25)じゃない……」
魔女の追い打ちに、盛大にヒいた。
ただまあ、とメイロウはストローに口をつけて湿らせると、
「近いうちに戻ることになるかもしれないけどねぇ」
にこりと、深い笑みに戻った。
※
いま、ピリオドを得たことで、騎士団長と近衛ら首脳陣は本格的な郷土奪還を目指し始めていると聞いた。
そうなれば、当然の障害として、
「どうしても、うちの森を攻略する必要があるからねぇ」
己の城塞である、深い森が立ち塞がることになる。
「いずれ泣きついてくるはず。その時に、お高く売り込むつもりなのよぉ」
「良い性格してるわね」
「性悪の、お城に仇なす悪い魔女だからねぇ」
半目が睨むように狭まるのを、楽しげに目を細めて応える。
ちょうど、互いのカップも空になったのが確認できたので、そろそろお開きか、と腰を上げると、
「いた! 見つけましたよ! いやただの偶然ですが! くそう、もう見たくもない
バイト先のネオンに照らされて生まれる、青春の闇が深い! 深くないですか⁉ ヤドカリになってその二世帯住宅の深みに間借りしたい……! どこの不動産に相談すればいいんです!」
とても可愛らしい少年が愛くるしい必死の形相で、辺りに絶叫を巻き上げたながら、道路の向こうから全力疾走をみせており、
「……広義的には、アスバリアの代表の管轄、なのかしらぁ?」
見れば、心底嫌そうな顔で『こっちよこすな』と手を振っているから、視線を戻すと、
「どうしたの? 怖い顔して、可愛いわぁ」
目の前に迫った子心に鬼気迫る表情の理由を訊ねると、
「魔女、だって聞きました……」
「あらぁ、そうなの」
なるほど。思ったよりも早く売り込みの時が来たようだ。笑み、胸を張って姿勢を正せば、
「じゃあ」
少年が意を決するように、一度視線を伏せ、
「このオパイ、魔法によるニセモノだとでも言うんですか……!」
慟哭に震える両手の十の指によって、左右に並ぶ二世帯住宅(豪邸)が鷲掴みにされてしまったのだった。
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