6:申し訳なくて、美しくて

「お前が味方してくれて、本当に良かった」


 朽ちた街道沿いに進んでいた撫依は、隣に並ぶ少年へ、己の本心を真に込めて伝えた。

 中腰でこちらを見上げる視線を頑なに外さない変わらぬこだわりを見せているが、こちらの感謝は彼の人品には関わらない部分なので大丈夫だ。


「ずっとふさぎ込んでいた姫様の、あんなにも活力に満ちた姿を見るのは久しぶりだ」

「嘘でしょ? 毎晩、うちの壁でケンカ太鼓を奏でていますよ?」


 などという証言は、


「そんな、姫様……」

「おいたわしや……」

「去勢を提案します」

 国民会議が始まったので、総選挙も近いだろう。


「とにかく、喜びや笑いなんてもってのほか、恐れも怒りも、人に見せることがなくなってな」


 かつて、春の時代においても姫の近衛であった自分は、その変化を目の当たりにしてきたのだ。

 戦局が劣勢になるにつれ、王族が一人また一人と倒れるにつれ、民の墓が街を埋め尽くすにつれ。

 少しずつ、しかし致命的に、深窓の姫君の心を砕いてきた。

 とどめになったのが、亡命後にワンダーマテリアを経て帰京を果たしたが、己の能力では奪還が叶わないと悟った時だった。

 どうにかできないものか、力になれないものか、と話しかけても、曖昧に「大丈夫」と距離を取られるだけになってしまっていて、


「だから、あの方のあんな感情剥き出した顔を見られて、すごく嬉しかった」

 だから、

「ありがとう。感謝している」


 己では届かなかった手の、その先に触れてくれた少年に、自然と口元が綻んでしまう。

 感謝を告げられた側は、だけど腕を組んで、何かを考えこむような素振りを見せて、


「ここで『じゃあお礼はオパイでいいですよ』とか言ったら、撫依さん本気で触らせそうだからなあ」

「……よし、ここは舞台から飛び降りたつもりで」


 スクリーンを操作して、


「え? マジですか? いやいやそんな付け込むような真似なんかいやいや……なんです、このすごい勢いでカメラを威嚇している猫さんは」

「秘蔵の密着授乳シーンだ……本来ならこんなデリケートな映像を表には出すつもりはなかったんだが……くっ、シシンがそう言いうなら……!」

「ゎぁゕゎぃぃ……あ、そうだ。皆さんこの先の打ち合わせを……」

「あ、あれなんだ⁉ いま見つけた! いま見つけたよ!」

「おいおい、一人で行く気か⁉ 危険だぜ⁉」

「お前だけにイイカッコさせられないじゃん⁉」

「おいどうして逃げるんだよ! 待て! 俺を一人にしないでよ! 怖いの! すごく怖いの!」


 どうしてか、同行者全員が足を揃えて駆け出して行ってしまった。

 ちくしょう、と毒づく彼の背を叩き、足を進め直すと、


「一つ聞いていいか?」

 なんです? と笑顔で振り仰ぐから、

「協力は、すごくありがたいんだが」

 彼の好意は、どこからくるものなのか、


「どうして、こんな末期の世界を助けてくれるんだ」

 訊ねずにはいられなかった。


      ※


『そうですねぇ』


 リスポーン地点のテラス、その手摺りに体を預けたウィンディは、開いたスクリーンで現在進行のチャットログを眺めていた。

 各世界の進行度や個々人の戦果を管理する以上、言動の全てが記録として残されるようになっているのだが、会話をログとして閲覧が可能となっている。もちろん秘匿設定も可能だが、公開されないだけでログ自体は残る仕様だ。


『まあ、先輩と遊ぶ、ってのが入りだったのは間違いないんですけどね』


 バカの話を、目で追って聞いていく。

 ウィンディは、夕飯後に時間を持て余して再度ログインしたことを、またジョードの話から好奇心に負けてログを開いてしまったことを、少しばかり後悔していた。

 まさか、こんな秘密めいた話を盗み見ることになってしまうとは。さらには、今更ログを閉じるには、好奇心が邪魔をする。


『一つは申し訳なさ、もあるんですよ』

「へぇ? 何に対してかしら」


 秘匿設定した独り言に応えるよう、子心の名前を冠したログが刻まれる。


『世界のリソースを全て引き出したってことは、俺が強力な個となりましたけど、つまるところ、これ以上戦力は増えないってことですよね』

 確かに、だ。

 世界の余白が無い状態であり、この状態では来訪者に割くリソースはない。つまり、後続はないということで、


『押し上げた戦線を維持できる頭数がいれば、すごく楽になるはずなんですよ。今みたいな、シーソーゲームを回避できるはずなんで』

 つまり、それが自分の罪であると。


「思った以上に頭はあるのね」

 毎晩のように魔宴をひらくヤベー奴から、毎晩のように魔宴をひらくヤベーけど思慮が一握りはある、に加点。


『最後に』


 興味にひかれて、視線を注ぐ。


『最初に来た時、感動したんですよ。城も街並みも外の打ち捨てられた農村も、この朽ちた街道も』

 一呼吸を置いて、

『全部、すごく綺麗だなって』


 衝撃を覚えた。

 自分たちが失い、見捨て、諦めたものを、美しいと言われたことに。

 そして、それが彼の戦う理由であることに。


『後から、皆さんが残したものだって聞いて、ああ、ここに住んでいた人たちがいたんだ、笑って、怒って、賢い事や頭の悪いことを、していたんだ、って。ならきっと、皆さんがいた方がもっと綺麗になるんじゃないか、って』


 胸が絞められたような気がして、スクリーンに指を伸ばす。


『あ、拠点が見えてきましたよ! 今日はあれで最後にしますか!』

 だけど、閉じるつもりにもなれなくて、流れ続けるログに目を泳がせ続けていた。


      ※


 結局、彼らが解散になるまでの間、ただただ会話を盗み見続けてしまっていた。

 今は、皆のログアウトに合わせて、自室に戻ってきている。

 異邦人である子心の言葉に、どうにも胸が跳ねていた。

 冷えていた熱が、赤みを付け始めているような気持になる。

 明りのない部屋の、かつてに比べれば簡素に過ぎる小さなソファベッドの上で、


「少しばかり、見直してあげようか」


 隣人が居るはずの壁に目を向ける。

 と、


「うひひ! 今日の犠牲者はお前だ! むっちむちに詰まっている体を、これ見よがしにぶるんぶるんさせやがって! うひゃあもうたまらん! この右左の慣性が追いつかなくてゼロになる感覚があっあっあっ」

「今日は魚肉ソーセージかよ!」


 ハンマーパンチで壁を打撃すると、向こうから「ヒッ……!」という悲鳴が届けられるから、


「無し無し無し! 加点はゼロよ! バカが!」


 毛布に潜り込んで、目を閉じることにした。

 今日のことは、一旦全部無かったことにならないものかと、切実な願いを星に祈りながら。

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