5:面倒を厭い、希望する

 外は、日が落ちて、車のヘッドライトが眩しい時刻。

 ウィンディは寮近くのコンビニを、弁当袋を提げながら後にする。

 梅雨時期の晴れ間に、立ち上った湿気が汗を誘う。一刻も早く部屋に戻り、エアコンとかいう異郷の文明力を堪能する必要に迫られていた。

 逸りはするが、けれど足を早める気にはなれない。

 猫背で、半目を下に向け、べた足で。

 理由はわかる。


「……無意味であることを、久しぶりにつきつけられてしまってはね」


 かつてに味わった、失意を再確認したのだ。

 意味があるものなのか。

 自分が毎日のように『奴等』の拠点を薙ぎ払っても、力を活性化した彼らが戦線を押し上げても、翌日には振り出しに戻っている。

 いくばくかの前進はあるにしろ、アスバリア全域で見れば猫の額ほどの進捗でしかない。

 亡命直後、一縷の望みに縋ってワンダーマテリアルで帰還したあの日、そしてその翌日に味わった失意だ。

 故郷を取り戻すことは、ひどく困難である、と。

 ジョードに頼まれ、ナディに腕を引かれたから赴いたのだが、やはり断れば良かった。こんなにも、心が荒れるのだったら。

 濡れた紙のように、地へ重く伏せる失意に折れた胸を、 


「あの隣のバカまでいるんだから」

 追い打つよう、怒りに灯った火が照らしつけてくる。

 殴りつけた拳が疼くから、


「……殴り足りなかったかしら」

「物騒すぎるでしょ、姫様」

 拳に落とした視線を、声のほうへ。

 前方、寮へ向かう夜道に立ちふさがるのは、


「ジョード」

「またコンビニ弁当ですか?」


 数えるほどしか残っていない家臣の、その筆頭の姿であった。


      ※


「俺らと違って、王族はこっちの政府から年金を貰っているんだから、いいお店行きましょうよ」


 さも正論を述べるジョードに、屹然と反論する。


「誰かに会うのは好きじゃないわ。それに、同年代の標準的な食生活から見たら、毎日コンビニ弁当は相当な贅沢なのよ?」

「金銭がかかるから贅沢、っていう定義はちょっと目頭熱くなるんで、やめてもらっていいですか?」

 解せぬ、と猫背をさらに丸めて藪にらみに。


「もう目付きまで悪くなって……王と王妃が見たら泣いちゃいますよ。あれだけ、蝶よ花よで寵愛されてきたのに」

「王位にかすりもしなかったから、お兄様お姉様たちも、私にだけは優しかったわね」


 だから、あの地獄……国民の大半と家族の全て、そして国土まで奪われるという地獄を経なかったら、世界に暗がりがあることすら知らずにいただろう。

 かつてを思い出すと、どうしても現状への『不平不満』が沸き立ってしまう。どうにもできない怒りであるから、


「それで、騎士団長様はどうしてここに?」

「姫様と同じで買い物ですよ。牛乳が切れてて」

「現場はいいの?」

 ああそっちか、と肩をすくめると、


「デイリーはこなしたから。姫様のバフ有りでの浸透力も確認できたし。おかげで、明日は相当なマージンが持てるはずですよ」


 中空に、図を描くように指を走らせていく。

 この男は、ずっとこうだ。

 一時は絶望に沈んでいたそうだが、動き出せば下働きも厭わない勤勉さを見せてくれる。

 失陥間近の末期、王と元騎士団長が倒れ、王子たちが力尽きた後、皆が戦い抜けたのは彼の献身が大きかった。

 今も、数少ない戦力の分配とケアを担っており、無意味なことを、と思うと同時に感謝の気持ちも胸にある。

 比べて自分はというと、良くないとは思いながらも、諦観からくる無気力に溶けてしまっている。

 どうせ、だって、それなら。

 未来形の否定を重ねることで、千々乱れそうな感情を縫い合わせ押し込めて、どうにか形を保っているのだ。

 きっと、民からは他の王族であればと陰口を叩かれ、役に立たないと嘲笑されて、


「伏希が褒めていましたよ」

「え?」

 意外な名前が、意外な言葉で彩られるから、驚きに顔をあげる。


「あんなに嫌そうな顔しながらもわざわざログインしてくるなんて、なんて律儀なんだって」


 実情を知らない言葉だと、ウィンディは思ってしまう。

 なんと言われようと故郷であり、思い出があって、愛着があって、


「自分なら付き合いでも、一度投げたゲームに嫌々立ち返るなんて面倒な真似なんか絶対にしない、って」

「面倒……」

「つまり、面倒を厭いながらも直面するつもりがある、ってことらしいですよ」


 思いもよらない評価だった。

 そうなれば、自分の中にも惰性ではない義務感が、少しは残っているのだろうか。

 胸の火が、少し強まる。

 濡れて伏せる、紙切れのような自尊心を、ほんのりと乾かすかのように。


      ※


「面白い奴でしょ、あのバカは」


 譲恕は、主君の目に光が瞬くのを確かに見届けると、


「あいつの能天気さがあれば、いろいろと救われるんじゃないか。そう思って誘ったんですけど、今のところはうまく回っていますよ。撫依とも他の面々とも、かなり……すごく……度が過ぎる……まあ、馴染んでいますし」

「装飾語を諦めるとか、あなたの語彙とあのバカのどっちがヤバいのかしらね」

「姫様も、汎用力高すぎるパワー単語使うあたり、人のこと言えないでしょ」


 笑って、手をあげる。


「そろそろ行きますよ。弁当、冷めちゃうでしょう?」

 外気温が高いから冷たくなることはないにしろ、熱いほうが美味しいに決まっている。

 袋の取っ手部を握りなおして歩き始める彼女は、変わらぬ覇気ない声で、


「期待はしないわ。それに、汚れ、荒れた城なんか取り戻したところで」

 寮へ向かう夜道に消えていく。

 その儚い背中を見送って、


「けれど、希望は持てるでしょう?」

 抱く思いが同じであればいいのだけど、と嘯き微笑むのだった。

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