2:かつては、かつてであって、けれども

 譲恕は、人の行き交う賑やかな厚生棟の廊下を、テレビで聞きかじった流行りの曲を口ずさみながら、目当ての講義室を目指していた。

 これから門限までの、愉快な時間潰しの打ち合わせが。

 今日の授業にあった、面白おかしい誰かの回答についてが。

 遠い先にある、大きな目標へ向かう小さな歩みが。

 この開放感に溢れた陽気でのどかな様子が、最後の騎士団長などという薄暗い現実を抱えて落ちのびてきた自分には、とても好ましいものだった。

 故郷であるアスバリアから亡命してきたとき、国籍と共に社会的な身分を確定させる必要があった。当初は、年齢が適合したことからほぼ強制的に学生を選択させられたが、学び舎に通う経験は新鮮であり、こちら社会を把握するのに好都合だった。


「最初は苦労させられたけどなあ」


 駆け足ですれ違っていく元気の良い一年生たちを視線だけで見送りながら、目当ての会議室のドアを引き開けて、


「……おお」


 防音壁でできた会議室は、外の喧騒を一切遮断してしまう。空気が凛と張り詰める音まで聞こえてしまいそうな静寂の中。


「久しぶりに、アスバリア勢でミーティングをするって聞いてねぇ」


 窓から差す今日の終わりを告げる色の陽光のなか、行儀が悪くも机に腰かける女子生徒が、悪戯めいた笑みで佇み、譲恕を待ち構えていたのだった。


      ※


 ただ、女学生と言うにはあまりに豊かな四肢を持ち、誇示するようかのようにブラウスの丈が不足している。くびれとへそが、挑発的にちらりちらり顔を覗かせており、


「いい加減、採寸取り直せよ」

 呆れた口で、譲恕は指摘せざるをえなかった。


「ふふ……さすが、最後の騎士団長様ね。風紀委員長と同じこと言うじゃない?」

「誰でも言うだろ……スカートも短いし、リボンもちゃんとつけろ」

「無体なこと言うわねぇ。こっちの下着ってどれも可愛いから、たくさん見てもらいたいのに」


 しなを作ってただでさえ短いスカートを持ち上げる姿に、諦めのため息。


「で、メイロウ・グルーサム」


 和名、久留佐・明楼くるさ・めいろう。つまり、譲恕らと同じ、アスバリアからの亡命者であり、


「王国に仇なす森の魔女が、いったい何の用だよ」


 自己の利と欲に忠実な、国体の秩序を揺るがしていた敵対者であった。


「もう! ずっと前の話じゃないの。邪険にしないでよぉ」

「まあなあ。かつての興国もいまや廃墟だからな」

「そ! 袖すり合うも他生の縁って、言うじゃない?」

「……なんだか、そのままの意味になっちまうのが笑い処か?」


 うふふ、と底のない深い笑みで応えると、来訪の目的が、


「お姫様の様子はどうなの? あと、何か甘いものちょうだい?」

 世間話と状況の詮索であることを悟ったのだった。


      ※


「姫は相変わらずだよ」

「国を失ったショックで引きこもり、ねぇ……あなたも最初は似たようなことになってしまったけど、すぐに立ち直ったのに」


 確かに、故郷を失ったことで自暴自棄になり、当初は提示されたワンダーマテリアルの利用も消極的だった。その時、現実逃避のビデオゲームに没頭し、更正した今でも続けている新たな趣味となっている。


「まあ、今日はナディに頼んで、連行する手筈になっているんだけどな」

「お姫様が? 珍しいじゃない。初回に参加して以来、じゃないの?」

「ああ。ちょっと、デカい問題が発生したんだよ」


 手近な椅子に腰を下ろしながら、続きを待つでもなく沈黙で促してくる魔女へ事情を告げると、


「ピリオドがな、発生しちまった」

「……あら」


 赤い目を丸く大きく見開いて、豊満な胸元を歪めながら前のめりに食いついてきた。

 彼女の反応に、知っていたのか、という思いもある。自分も、調べてみるまでは聞いたこともなかった名前だ。

 だが、知識を力とする魔女にとって、新世界のあれやこれやは絶好の機会であることは間違いなくて、ならば知っていること自体に意外性はなかった。けれども、


「まあ、いつかはと思っていたけど、案外早かったのねぇ」

 なんとも寂し気に首を傾げる姿は、すごく意外で、


「こっちに合流する気はないのか?」

 故郷を同じにする者同士の共感からの提案を見せる。

 が、あまり乗り気な様子はなく、


「いま参加しているところ、稼ぎがいいからねぇ……ピリオドがイイ男だったら考えてあげるわぁ」

 挙句、絶望的な条件を突き付けられたことで、騎士団長は半笑いに。


「ふふ、じゃあねジョード。他の誰もが、私へのわだかまりが溶けたとは思えないもの」

 体のあちこちを揺らしながら立ち上がると、スカートの裾を振って、


「お姫様が来るのにいざこざなんて、喜ぶ人なんかいないでしょ?」

 肩越しにウインクを見せる。

 と、突然にドアが力いっぱい開け放たれて、


「いっちバーン! じゃないじゃんか! くっそ、この完全防音部屋マンが! 住んでやるぞ! いいのか⁉ お隣さんの打撃音が日に日に大きくなっておっかないんだよ! わかるか⁉ お願いします……!」


 話題のバカが一回転しながら現れて、回転が止まると、


「先輩! なんですか、この素敵な女子高生(25)みたいな美人さんは! 爆発……瀑布……いや、生誕……先輩! 的確な言葉が出てきません! 無力な俺を笑うがいい! 人類が怖れを忘れたとき、第二第三の俺が……! 俺が……!」


 開かれた胸元をガン見しながら前屈みになって喚くから、


「ちょっぴんぐ☆らいとっ」


 人智を越えた魔女の打ち下ろしの右ストレートが、戦慄く頬に叩きこまれたのであった。


      ※


 可愛らしくぴょんと跳ねながら、やはり可愛らしい掛け声とともに、


「えぐいことに、軽くジャンプしてやがるし」

 骨が骨に打たれる鈍い音が響いた。

 ジャンプすることで胸部の可変荷重が浮き、沈むため、

「純粋な体重だけじゃなくて、移動エネルギーも込めるとか」


 被害者が、笑い始めた膝をこらえきれず崩れ落ちた。

 数秒、状況が固まったままで推移したが、


「見無い顔ねぁ? もしかして、あなたがピリオドなのかしら?」

 魔女がおもむろにしゃがみ込んだ。

 おいおいその姿勢だと完全に見えちまうぞ、と騎士団長が危惧するも、顔を上げた少年が三角地帯に視線を落としながらも、すぐさま胸元に釘付けになるから『さすがだな』と称賛のような侮蔑のような、不思議な気持ちが渦巻いてしまう。

 とはいえ、興味深い状況であるから、声をかけずに様子を見ている。

 魔女の独善的な性格を考えるに粉をかける程度はしそうだが、頭おかしい言動を連打してくる人間はどうだろうか、と伺っていると、


「あらぁ」


 無造作に、子心のこめかみの辺りを両手で挟み込んで、


「あらあらあらあらあら」


 活きが良い大型犬を撫でるような乱雑さで、髪の毛をわしゃわしゃし始めた。

 何事か、と目を剥いていると、


「なんだかもう、たまらないくらい愛くるしいわねぇ! 昔飼っていたワンちゃんにそっくり!」


 頭おかしくなりそうな言葉に、譲恕はのけぞってしまった。

 無抵抗で撫でまわされている子心は、一切胸元から視線を外しておらず、


「こっちに興味があるのかしら? ふふ、手なら入れていいわよ?」

 おいおいおい、と眉尻を下げると、


「先輩! は、早く! 俺の額に『手』って書いてくださいよ!」

「あらぁ、お利口さんなのねぇ! ご褒美は何がいいかしらぁ!」

「はああ、わしゃわしゃがすごいいぃぃぃ……! もっと下を……! もっと下をお願いします! 具体的には薄い皮に覆われた部位を……! あっあっあっあっ眼球がすごあっあっあっ!」


 まぶたの上から目をぐりぐりされる後輩と、ぐりぐりするかつての敵対者に、ちょっと目眩がしてきたので、世界から取り残された騎士団長は、ポケットからチョコチップクッキーを取り出して封を切るのであった。

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