第二章:夢に満ちた絶望の王国へ夢と希望を届ける
1:感情移入の難度
小鳥の囀りが、窓を隔てて耳を伝って、胡乱な意識に届く。
なんだか呑気で、だけど脳裏の焦燥を引っ掻くような、朝を告げる歌声。
さて、ではどうしてこんなにも胸がざわめくのかと、記憶の曇りを拭いとってみると、
「平日じゃないか! 目覚ましはどうしたんだ、昨日の自分! どうして今の俺を陥れようとするんだよ! 見損なったよ、俺! ゴメン、言い過ぎた! 傷ついちまったよ! 許してくれ!」
まぶたと脳の眠気が一瞬で吹き飛び、強制起床。
見渡すとヘッドセットが転がっていて、ログアウト直後に断末魔を上げながら意識が途絶えたことを思い出し、
「悪魔の機械かよ……!」
責任を転嫁して、とりあえず時計を確認。
テーブル置きのデジタル時計は八時一〇分で、ホームルームは三〇分から。
「まだ間に合う! ビバ寮生活!」
秒で身支度を整えると玄関を飛び出し、
「悲報です! 新天地でもオパイは手に入りませんでした! 安心してください!」
お隣さんへ、ドア越しに元気ハツラツな挨拶を。
返事を待っていると、それなりの重量物がスチルドアに叩きつけられるから、
「うっわ、まだ家にいる……学校サボったら、夢も希望も膨らみませんよ? 無論、胸だって」
立て続けにドアが打撃されたから、うひゃあ、と頭を低くしながらダッシュ。
エレベーターホールに差し掛かり、だけど階段を跳ねるように降りていく。この時間、ほぼ各階停車になるため、一分一秒が惜しい現状では致命傷だ。
リズミカルに息を切りながら、
「ゲーム内であれだけ動けると、やっぱり違和感凄いなあ!」
昨晩の、画期的なVRゲーム体験を反芻する。
となれば、今日は経験者に詳しい話を聞いて、色々な課題を明確にする必要がある。
早めに先輩にアポ入れておくか、と玄関ホールに辿り着いた段で携帯電話を取り出したら、
「先輩から?」
いままさにアドレスを開こうとして相手からの通知が、舞い込んできたのだった。
※
譲恕からの連絡は、放課後に学内の厚生棟へ来い、との簡潔な内容であった。
伏希・子心たちの通う市立大飛鳥西高校にある、教室棟とは別に設けられた学生生活向けの施設である。在学生の多数が寮を利用していることを背景に、その生活を支える諸々が各校で整備されていき、現状の大規模化に至っていた。
各種売店に始まり、食堂、入浴場、運動場などが人気の高いアクティビティとなっている。
が、実質的な稼働率でいうなら、複数ある貸出用会議室が最も高い。
小、中、大、階段型講義室とサイズが各種揃えられており、申請さえあれば学外の人間も利用が可能である。市民サークルなどの行事や集会にも利用され、さらに学生らには無料に近い金額で開放されているため、正規の部室を持てない同好会の活動拠点となっていたりと、どの時間帯も人足が絶えない場所だ。
その会議室の中でも最大の収容人数を誇る階段状講義室にて、
「先輩! なんです、この人の集まりは! 部屋の中パンパンで、俺ら立ち見じゃないですか!」
目の下に隈を濃くしながらもテンション高めにキマった少年が、興奮を露わにしていた。
言う通り、常設の一三〇脚はすべて埋まり、椅子と同数ほどが立ったまま、通路や後背の窓際を埋め尽くしている。
がやがやと、各々は僅かなざわめきであるが、集合し合唱となり、隣り合っている者にも声を張らないと耳まで届かない始末だ。
部屋の構造上、音を部屋内の隅々まで響かせるようになっているためなおさらだ。
「まるでライブハウスですよ! いやあ、このすし詰め感、たまらないですね! モッシュしましょ、モッシュ! 先輩と奥のくっころ先輩の場所を代わってもらって! そりゃあもう上へ下へのお祭り騒ぎで、俺の腰も『下ぁにぃ、下ぁにぃ』ってな有様ですよ! おいやめろ! 男の胸筋を、こすりつけるんじゃあない! そんなんじゃ腰より下が『下ぁにぃ、下ぁにぃ』になってしまいますよ!」
横暴な先輩に首を捻るタイプのヘッドロックをされて、子心の夢が絶たれたところで、
「ジョード、始まるぞ」
昨日、ゲーム内でチュートリアルを担当していた猫をひっくり返す系の女騎士が、学校の制服を身に纏った姿で、講義室の前方をさす。
譲恕に紹介された彼女は、
入室前に交わした挨拶では、
「ほら、指にじゃれついてきて可愛いだろ?」
などとクールな振る舞いで、細い指にガチ噛みして口元を血で濡らした猛る愛玩動物の写真を見せられたことから、昨日のアレはロールプレイじゃないんだな、と現代日本の闇を垣間見せられた仲だ。
二人が知り合いだということに、さほど驚きはなかった。同サーバー内で、見たところ参加者も多くない様子だったから。
もちろん、そのブラウスを張り詰めさせている巨大な胸部には驚かされたが。襟元を緩めればいいのに、なんて思いもするが、真面目な性格のせいか、リボンまできっちりと施し、暴れん坊を押し込めていて素晴らしい。
ふうむ、とその横姿を厳重に確かめていると、
「えぇ、それじゃあ今年度……第何回だっけ? まあ、いいや、定例報告を始めます」
前方の檀上。階段の上にいる自分たちは見下ろす形になるが、少し高い位置から、マイクを片手にスーツ姿の青年が手をあげる。
ブラインドが下ろされ照明が落ち、前方壁面のプロジェクタスクリーンが明瞭に。
映るのは、なにやら様々な棒グラフと、推移を表す折れ線グラフで、
「先輩、これって?」
「まあ、黙って聞いておけ。で、思ったことを後から擦り合わせだ」
「はあ、わかりました」
真面目な顔で、だけど口端を持ち上げる譲恕に、了解の意思を伝えると、
「今はまず、男の胸板に押し込められながら窮屈にあえぐオパイの姿を眺めるのは、境遇に感情移入できて新しい扉が開かれましたよ! って思っています」
ちょっとだけ、ヘッドロックの具合が厳しくなった。
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