5:初めての終わり

 さっきから、ひっきりなしに通知音が鳴り響いている。

 簡易通知が『LVUP』をスタックさせ続けているから、


「さすが開始直後! レベルの上がり方がハンパじゃない! んんんんんんッ、この新雪を汚すかのごとき無敵感と高揚感、たまらないぃぃぃぃぃぁぁぁぁぁぁぁ!」


 絶叫しながら丘を登り、目についた動くものすべてを殴り倒しながら、見通しの良い丘を下っていく。

 野生生物すら姿を見せないフィールドで、動いているのはただ一つ。

 こちらの腰ほどまでしか背丈のない二足歩行の、猿に似たシルエットをしていた。

 なぜシルエットかと言うと、全身が『黒塗り』であるため。

 水に浮く油のような異様な光沢をもつ黒の塊。

 それが、群れを成して徘徊していたのだ。

 個々、微妙に形状が違うので個性はあるのだろうが、どれも大きく逸脱はしていない。

 そんなこの世のものではない異形の姿に、


「テクスチャ貼り忘れか⁉ おい、運営! 昔の容量足りなかった時代ですら色違いとか工夫していたのに、今のご時世こんな手抜き許されざるよ! わかった! 許すよ! だからオパイ付けてくれ! もういい、へその辺りでいいから!」


 怒り任せに、パンチ、キック、プランチャをぶちかまし、黒色を飛び散らせながら、転がるように丘を下っていく。

 丘の下には平野が広がっていた。

 街道らしき石畳が見えるが、すでに朽ち下草に呑まれつつある。長年使われておらず、さらには戦火のためにかあちこち破壊されているのが見て取れる。


「背景美術周りは、異様にリアルなんだよな」


 昨今ありえないほどの手抜きMOBが出てきたかと思えば、生活と歴史を容易に想像できる舞台がある。

 城門を出たところも、丘と反対側には農地と酪農を行っていた形跡が見受けられて、一目で状況を理解できるほどに、小物や荒れ具合が真に迫っていた。

 普通、ゲームビジュアルはプレイヤーの目につく部分へ注力するものだ。一度通り過ぎて終わりの街道脇の農地よりも、延々叩くことになる敵の造形に凝った方が効果的である。

 不思議なほどアンバランスなのだが、


「製作チームの進行にムラがあるのかなあ」


 運営側の内情など、考えても仕方がない。

 今は、初日らしく暴れるだけだ。

 迫りつつある平野に目をやれば、


「あれ、なんだ?」


 三〇〇メートルは先だろうか。

 平野の真ん中に、MOBと同じ色合いをした将棋の駒のような巨大なオブジェクトを発見した。


      ※


 サイズ感としては、高さ五メートル、幅三メートルほどだろう。

 様子を見ていると、オブジェクト内部から、

「MOBを生成している?」

 先ほどから殴り飛ばしている、人型の影がわらわらと飛び出してきていた。

 ゲーム脳が察するに、


「あの拠点を奪うのが目的なのかな? おいおい新雪を汚していたと思ったら、俺の初めてを奪うつもりか? どっちが奪う側か教えてやるぜ、と思ったけど向こうは初めてじゃないんだよ! なんだよ、俺だけ四回戦ボーイじゃないか!」


 絶望のあまりジャンプ、からの丘を転がり落ちていく。あまりにもスムーズに転がるから、キャラクリのことを思い出して絶望を深め、回転が止まってもしばらく立ち上がれなくなってしまった。


「あ、あの……?」


 丘の下でMOBと戦っていた男所帯の一団が、触れていいのか判断に迷う様相で、おずおずと動かない子心に声をかけてきた。

 目の死んだ少年は、ちら、と見上げて、


「わかりました……もう、その胸筋で妥協します……拗ねてもいられないし……」

「それなら結構ですが……」


 男たちは自分の胸元を両手で隠しながら、真摯に対応してくれる。

 それで、と切り出した先行者たちは、


「どうして初期装備でこんなところに? 額に『通報ボタン』て二つあるし」

「そうだ! 運営への怨嗟で飛んでたけど、思い出した!」


 叫び、指さす先は、平原の先に見えるオブジェクト。

 男らは首を傾げて、


「『拠点』ですか?」

「たぶん、アレを壊すゲームなんですよね、これ!」


 いや、まあ、という曖昧は返答を肯定とみなして、

「なら、ちょっと一発殴ってきますね!」

「は? 一人でなんて無理ですよ! 君、初期装備で裸みたいなものだし!」


 周りが、口々に制止を言葉にするが、


「一発ぶち込んで、ダメなら戻って、クリアするまでぶち込み続けるのが、俺の流儀ですから! 誰にも止めさせねぇ……っ!」


 うおぉぉぉぉぉぉぉぉ! と叫びながら走り出した後ろ姿に、

「……とりあえず、責任者に連絡しておきます?」

 取り残された者たちは、賛成多数で、不可解な状況を閉じることとしたのだった。


      ※


 やはり、ゲームなのだろう。

 脚力も異常に強化されていて、一〇〇メートルを五秒ほどで踏破した。

 腕を振り回せば、群がる小人らを一掃できるし、レベルアップの通知音も止まらない。

 ゲーム開始の無敵感のまま、どこまでがごり押しできるかを探るのが、少年のセオリーである。これによって、限界の線引きと、レベリング効率の高いところを探すのだ。

 今作でも己のセオリーに従って、走っている。

 目標まで、残り五十メートル。

 予感はあるのだ。

 きっとダメだろう、と。

 準備もしていない単騎の初心者が、先駆者たちの先にあるMOBの生成地点を、どうにかできるはずがないのだ。

 システムこそ理解していないが、彼らが一息に制圧していないということは、それなりの難度があるのは間違いない。そこを殴りつけるのは、ただただ、確認のため。

 だから、覚悟を決めて、大地を蹴る。

 彼我距離はおおよそ一〇メートル。人類の幅跳び記録は九メートル弱だから、ゲーム三昧の貧弱少年に届くものではない。

 が、この現状の助走速度を考えれば、お釣りがくる。

 巻きたてた土煙を割り、拳を振り下ろし、残り0メートル。


「っていっ!」

 硬い感触が、手、腕、肩を伝い、しかし抗うように押し込む。

 と、突然、負荷が消え失せて、


「うわっ!」


 分厚いガラスの砕けるような、重く響く破砕音が響き渡った。


      ※


 テラスから様子を見ていた譲恕だったが、


「あのバカ、なにしやがった?」


 響いた拠点の破砕音と同時に通信がパンクするほどの連絡が舞い込んでいた。

 映しだされたビデオチャットは、口々に『通報ボタンを二つ持ったほぼ全裸が拠点をグーで殴り飛ばした』ことを、恐々と語っている。

 仕方ないだろう。情報を聞く分には、この世の者ではない。

 けれど、明らかに顔見知りの犯行であるので、被疑者に連絡を取るべく、


「ログイン名簿は……」


 エリア内にいる人間の名簿を見渡し、お目当ての名前を見つけると、フレンド登録と同時に名前を押して、通話を投げやった。


      ※


 勢い任せに草むらに転がって、空を見上げていると、


「コール?」


 半透明のスクリーンが、視界の脇に。

 応答するために指で触れば、


「あれ、先輩? このサーバーだったんですか?」

 現実でバイト先の先輩の、そのままの顔がポップしてきた。


「……自前の顔まんまとか……そこそこ程度の顔面でナルシストは、この先生きるの辛いっすよ……?」

『歩く『通報ボタン』に言われたくねぇよ。てか、お前の顔面もそのままだからな』

「えぇ! キャラクリないどころか、人権侵害じゃないですか!」


 ぷんすこぷんすこ、腕を組んで足をバタバタさせて抗議の姿勢を見せる。

 先輩は面白がるように笑って、だけど、

『拠点を砕いたのか?』

 口元の柔らかさはそのままに、眼差しは詰問の形に。


「将棋の駒みたいなやつでしょう? ええ、今、素手でぶっ飛ばしましたよ」

 応える声は、ちょっと虚脱が大きい。

 拍子抜け、だったのだ。

 きっと初心者の壁になるだろう、最初の目標になるだろう、と目論んで全力パンチを見舞ったら、かなりの余力を残して砕いてしまったのだから。

 キャラクリもないし、なんだか、思っていた理想郷とは少し違っていて、


『その拠点を砕いていくと、敵が強くなるんだよ』


 え、と頭を上げる。腹に、力が戻るのがわかって、

『詳しい話は後でしてやるけどな。ひとまず、砕けるだけ砕いてみたらどうだ?』

「先輩! 俄然、やる気が出てきましたよ! 先輩! あとはキャラクリの仕方を教えてくださいよ! チュートリアルにいた犯罪女騎士さんみたいな、バインッ! っていう体を欲しているんです! そう、この両手が! 指の隙間から溢れるドリームを求めているんだ!」

『その夢って、最後には一握りしか残らないやつじゃないか? あとな、後で説明してやるけど、キャラクリはない』


 残っていた僅かな砂が手の平から零れ落ち、腹から力を失った子心は、力なく泣き崩れるのであった。


      ※


 次の拠点位置を教えて通話を切ったジョードは、難しい顔をして手摺りに背中を預ける。


「どうした? 結局、あの少年が単独で『拠点』を潰したのか?」

「みたいだ、ナディ。次の拠点に向かうってさ」


 バカな、と女騎士は、驚いて腕を組み、難しい顔をする。


「侵攻度が高い現状、確かに敵も拠点も広範に展開しているから『密度』は低い。とはいえ、装備無しの単騎が軽々と潰せる代物ではないぞ」

「そうだな。ローテーション組んで、数パーティでかかって難なく破壊できる程度だ」

 だから、反攻勢は人手が集まってから開始するのが通例であり、戦力である自分の到着を待っていたのだ。

 が、そのパワーバランスが一挙に崩れてしまった。


「クラスは? 素手格闘の強い、格闘士やニンジャでは?」

「選んだ記憶がない、だと。いきなり、ここに放り込まれたって。その辺、チュートリアルが機能していれば、すぐわかったはずなんだがなあ」


 目を逸らされる。

 ……ほんと、こいつは。

 呆れに肩を落としつつ、


「で、ステータス画面開かせてみたら」

 おどけるように手を振り、

「『ピリオド』だと」

「『終わり』? 聞いたことのないクラスだが……」

「俺もだよ。けどまあ、それなら、今のおかしな状況はこのクラスが原因だろうな」


 画面を開き、ログアウト操作を開始。


「おい、帰るのか? まだ、今日のノルマが終わって……」

 ナディの声を遮るように、遠くから響く破砕音。

「あいつがどうにかするさ。それより、怪しげなクラスを調べなきゃならんだろ」

「む、確かに」


 二人で、音の鳴り響いた彼方を見やりながら、


「……取り戻せるかな、この国を」

「どうだかな。希望の星になってくれれば、万々歳だ」

 同時に、

「現状じゃ、厄星の方が可能性高そうだけどな」

 未来のことなどわからないのだから。

 巻き起こるであろう未だ目に見えない数々の不和に、頭を抱えるしかなかった。

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