第一章:新天地に降り立つけども少しばかり期待とは違って

1:電源を入れたら、そこは

 大飛鳥おおあすか市。

 昔から漁業の盛んな地域であり、高じて港湾整備への注力から海運力が向上。都市間の運送能力の高まりから、自然と高度成長期頃に本格的な工業団地が誕生した、よくある港湾都市だ。

 経済の活発化から増加する人口へ対し、慢性的なインフラ不足に悩まされていたが、二〇〇〇年代中頃の市町村合併を機に大改革を実施。

 その成果の一部が、東西南北を冠する四つの市立大飛鳥高校群であり、子心が寝床としている大型学生寮『サンダーバード』である。

 棟数二十、地上六階建て、全部屋数約四〇〇〇という正気を疑う規模の集合住宅は、


「ちくしょう……! 受け取り時間二分遅れたくらいでトペコンヒーロ仕掛けてくるとか、脳味噌メキシカンかよ!」


 強権的で屈強な管理人さん達によって、その治安が万全に守り抜かれていた。

 子心は、手入れの行き届いたコンクリート階段を一段抜かしで四階まで駆け上がり、フロア端にある我が城(借部屋)を目指す。

 部屋番号を掲げたスチールの白ドアと、分電盤らを収納した壁に埋め込まれたスチルボックス、ところどころに消火器が掛けられた白塗りの壁を、いくつも超えて。

 時々『走るな!』や『奇声をあげるな!』などの警句が管理人さんの接写に添えられて張り出されているのだが、中に『廊下で肉を焼くな!』とか『イノシシを放すな!』などの具体的かつ想像を絶するものまで混じっていて、入居者の多様性が伺える。

 まあとにかく、


「ルールも守れないクズなんか、共同生活できるわけないしね! さ、一秒でも早くおうちに辿り着いて、薄紙で隠された繊細なアレを開封してイジり倒さなきゃ!」

 人それぞれ、体に染みついた習慣はなかなか自覚も改善も難しいものだ。

 掟破りの全力ダッシュは、やがて突き当りに至って、


「よし! 前面フラット娘は不在だな!」


 隣室の窓が暗いことに、一回転しながら大いにガッツポーズ。

 自室のドアノブを乱暴に引き開けると、


「よっしゃゴォォォォォォルゥゥゥ!」


 錐揉みしながら、キッチンのフロアにタッチダウンを決めたのだった。

 当然、下のフロアから天井ドンを食らうことになったが。


      ※


 サンダーバード各部屋の間取りは、標準的な学生向けアパートと大差ない。デフォルトでは空っぽのキッチンに、エアコン完備のロフトと収納付き八畳間、風呂トイレ別。

 伏希・子心は、ロフトを寝室兼私室として、フロアをリビング兼客間として利用していた。主に、バイト先で知り合った譲恕とゲームをする空間であるし、子心はまだ高校一年生なんだから、


「この先、いつ爆発寸前みたいなエッロい彼女ができるともわからないからね!」


 部屋を小ぎれいにしておくモチベーションも、悲しいけれど十分だ。

 とにかく封を切ったばかりのワンダーマテリアルを、常識に従って充電器に突っ込み、自身の空っぽな胃袋にも充電を施す。

 夕飯が終わると常識に従い、十五分程度で満充電なるわけもないと判断し、シャワーを浴びることに。

 髪を乾かすまで含めて約五分の行水であるが、常識に従うと、まあまだ充電は終わっていないだろう。

 なのでリビングに戻って、逸って躍る気持ちを手綱でロデオしながら、同封の取り扱い説明書に目を通すと、


「電源接続起動できるんかい!」


 腹の底から己が不明への怒りをぶちまける。

 と、隣室に接する壁が、大激怒のハンマーパンチに鈍い悲鳴をあげ、

「ヒッ……!」

 家主は恐怖に首をすくめざるをえない。

「やっべ、帰ってきたのか……」


 吹き出た冷や汗を拭いながら、とにかく利用可能だとわかったゲーム機を手に。

 話題のワンダーマテリアルは、形状は従来のVR機から大きく逸脱はしていない。

 が、耳まで覆う形でスピーカーとマイクが搭載されているということで、音声デバイスの選択は不可だ。ゲーマーの中には拘りのある者もいるので、正直に言うと減点だよなあ、とは思うのだけど、


「でもオパイ触れる事実には勝てないけどな! 待っていろ、見果てぬ大山脈よ! 掴めど零れる砂粒のように! なんで指の隙間から流れる砂は、あんなに気持ちいいんだ! そんな謎もきっと解けるさ、このワンダーマテリアルならね! うおぉぉぉぉぉぉっ!」


 壁がドンされて、家主がヒッ……! した。

 さすがに謝っておこうと思い、


「すいません! 今から新しいゲームやるんで、頭がテッペン昇っておりてこないんですよ! 許してください! なんせ、目の前にある全てのオパイを掴むことができるだなんて……! あなたもわかりますよね、この興奮が⁉」


 壁は、沈黙でもって謝罪に耳を傾けており、


「俺とあなたは同じはずだ! 俺はオパイがない! あなたにもオパイがない! だから、俺は止まれないんだ! 先にオパイを手に入れてきます、すいません!」


 壁がドラムロールを始めた。

クライマックスが近いんだろうなあ、と判断したため、迅速にワンダーマテリアルをすっぽりとかぶってしまう。

 スピーカー内蔵である利点の発見に、打ち震えながら。


      ※


 まずは、暗闇だった。

 視神経に負担をかけないよう暗色から始まるのだろうと、子心は納得しながら、やがて始まるだろうインフォメーション画面を待ちわびる。

 けれども期待は叶えられず、突然に幾つかの平面図が映しだされた。


「ゲーム選択画面もなしか。ゲームが一つだから良いだろうけど、拡張性ないだろ」


 テストプレイ機とはいえ、少なくない金銭を支払っている機器だ。不安が鎌首をもたげるのだが、今のご時世、ゲームに限らず家電でさえオンラインでアップデートパッチが配られる。

 初動の労力を最低限に抑えて、とにかく流通させる目的なのだろう、と判断し、


「驚くほど冒険心に溢れているなあ」


 好感度が上がった。

 気を取り直して視界を確認すると、見えるのは九枚の地図。

 世界地図のようで、どうしてかどれも青と赤で塗りたくられている。

 そこで思い出すのは、ゲーム『ワンダーマテリアル』のコンセプト。

 様々な世界があり、けれどもどれもが謎の敵から侵攻されているというものだ。


「これでサーバー分けているんだろうな」


 赤が敵で、青が味方の勢力圏なのだろう。

 さてではどこを、と指を走らせれば、画面がスライドし、次の九枚へ。

 次、次、次、とめくっていくと、


「噂通り、五十以上のサーバーがあるのか……ん?」


 表示される地図の、最後の一枚。

 これまでと違って、一面が赤色であった。

 つまり敵勢力に圧倒されているということであり、


「これは、俺に対する……ゲームは取説も読まずに高難度から初めて、ブチ切れながら難易度下げていく俺に対する挑戦でいいんだな! なあ、運営さんよお! 当然、それに見合う大山脈がお待ちいただけるんですよねぇ!」


 遠くから打撃音が聞こえてきたが、遠いからまあいいか。

 とにかく、どうせ先輩と同じサーバーに移住することになるだろうから、最初の選択はゲームの感覚を掴める激戦区の方がいいだろう、という打算もある。

 というわけで、


「ここに決めた! えーとマップ名は……」

 アスバリア、と綴られた真っ赤な地図を、力強く押し込む。

「俺をひいひい言わせそうな、いい名前だ!」

 軽い環境音が耳を打って、

「え?」


 内臓が浮かび上がるような、異様な浮遊感が襲い掛かってきた。


      ※


 3Dアクションゲームを始めて遊んだ時のような、三半規管を狂わせる軽い不快感を覚えながら、


「生まれてこの方、ゲームしかしていないボンクラを舐めるな!」


 眼球と鼻の奥に力を入れ、気合で精神の均衡を立て直す。

 明りのなくなった暗闇の中、自然とまばたきを数度。

 いつまで待てば、と五度目のまばたきをしたところで、


「……?」


 まぶたの上から日の明りが透けた。

 そればかりか、


「風?」


 頬と鼻を、そよ風が叩き、運ばれた濃い緑の香りにくすぐられる。

 目を開けばそこは古い石造りの城のテラス。

 地平線までも見渡せる広大な『世界』へ、少年は足を付けたのであった。

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