第10話
宮下は水原によく似ていた。
それも、高校に上がってとくに問題なく学校生活を送れるようになった今の水原ではなく、中学二年生の、いちばん暗い目をしていた頃の水原に。
当然顔立ちはまったく違う。それでも、一目見た瞬間に強くそう感じた。
二人とも痩せていて肌が白く、ちょっと肩を押せばそれだけであっけなくバランスを崩し倒れてしまいそうな、そんな頼りなさがあった。加えて表情に乏しく、奥行きのない暗い目をしていたせいで、よけいに頼りない印象を強くしていた。
長くいっしょにいると、こちらまで憂鬱な気分になってしまいそうだと常々思っていた。
だから里穂が、彼らと親しく付き合っているのはなんとなく嫌だった。そのうち里穂まで、彼らの持つどんよりとした暗さに引きずり込まれてしまいそうな気がした。
しかし実際はみじんもそんなことはなく、里穂はこれまでとなにも変わらない、明るい笑顔を浮かべて続けていた。
いじめグループから目をつけられ、友人たちが傍を離れていき、水原と二人、クラスからは完全に浮いてしまったあとでも。里穂はなにも気にしていないように笑い、水原に優しく接し続けた。
宮下といっしょに過ごすことが多くなってからも、里穂はなにも変わった様子はなく、ずっと明るい里穂のままだった。
だけど、それで大丈夫だとは思えなかった。
宮下を見るたび感じる不吉な予感は、中学時代、水原に対して感じていたものとまったく同じだった。そしてその水原に対して感じていた不吉な予感は、見事に的中したのだ。
全部を水原のせいと言う気はないけれど、少なくとも水原に関わったせいで、里穂は厄介ごとに巻き込まれた。きっと宮下も、いつか里穂を何らかの厄介ごとに巻き込んでしまうと、妙な確信を持って思っていた。
――まさか、こんなにも取り返しのつかないことだとは思っていなかったけれど。
里穂の病室に入る前、俺はいつも入り口のところから中を覗くようにしていた。来客用のパイプ椅子へ目をやり、そこに誰も座っていないことを確認してから、ようやく中に入る。
べつにそこに誰か座っていたとしても、それが里穂の両親だったり担任の先生だったりしたときは気にせず入るのだけど、それが水原だったりすると少し迷った。そしてそれが宮下だったときには、迷わず踵を返した。
俺も宮下も毎日のようにここを訪れていたから、廊下だとか売店だとかで彼の姿を見かけることはしばしばあったけれど、俺はそのたびさり気なく踵を返し、顔を合わせないようにしていた。彼とだけは、うまく会話をできそうな気がしなかった。
しかしその日は、避け続けていた彼とついに顔をつきあわせてしまった。
先客がいないことを確認して中に入った病室は、そもそも目的の人物が不在だった。
誰もいないベッドを眺め、俺はしばし迷う。トイレか売店に行ったのなら少し待っていれば戻ってくるだろうけれど、もしかしたらなにかの検査をしているのかもしれない。
盲腸の手術の前に何の検査がそんなに必要なのかわからないが、里穂はしょっちゅう検査を受けていた。見舞いに行っても、里穂は検査中で一時間近く待ちぼうけをくらったことが何度もある。
俺はしばらく考えたあとで、とりあえず売店に行ってみることにした。そこに里穂がいなかったらもう帰ろうと考えながら、踵を返す。
テスト前なので、今日の授業ではとくに新しいことは習わなかった。里穂に教えることもあまりない。
そこまで考えたところで、そういえば、とふと思う。
宮下はテストはどうするつもりなのだろう。相変わらず学校にはまったく出てこないけれど、もうテスト自体受けないつもりなのだろうか。そんなことを考えながら、病室を出たときだった。
廊下の向こうから、こちらへ歩いてくる宮下が目に入った。
いつものように見なかった振りをするわけにはいかなかった。ちょうど彼もこちらを見ていて、しっかりと目が合ってしまったから。
思わず足を止める。
しかし、宮下のほうはとくに何の反応も見せなかった。歩幅をゆるめることもなく、まっすぐにこちらへ歩いてくる。
ちょっと迷ったけれど、無視するわけにもいかず「おう」とも「よう」ともつかない曖昧な声を出し、片手を挙げた。
「なんか久しぶりだな」
宮下が目の前まで歩いてくるのを待ってから、とりあえずそんな言葉を掛ける。いちおうクラスメイトなのだし、愛想良く笑顔も浮かべた。俺が宮下に対して抱いている感情はとりあえず置いておいて、それくらいは礼儀だと思った。
しかし宮下のほうはそんな礼儀には構う様子も見せず、無表情のまま俺の顔を見る。それからちょっと眉をひそめて
「赤嶺のお見舞い?」
と、これ以上なく無愛想に聞いてきた。
精一杯愛想良く笑っていた顔が、一気に引きつるのを感じた。
それでもなんとか笑みを作ったまま、「そうだけど」といくらかつっけんどんに頷く。なんか文句でもあるのか、とうっかり口をつきそうになった言葉はなんとか呑み込んだ。
自分から聞いてきたくせ、宮下は、ふうん、と呟いただけで、さっさと俺の横をすり抜け、病室に入ろうとするので
「今、里穂いないよ」
そう声を掛けると、宮下は足を止めこちらを振り向いた。
それから、さっきより強く眉をひそめ
「なんで?」
と聞いてきた。まるで、俺が里穂をどこへやら隠したとでも思っていそうな表情だった。
俺は今度こそ浮かべていた笑みを消し去り、「さあ」と素っ気なく肩をすぼめる。
「なんかの検査じゃねえの」
宮下にも負けないほどの無愛想さでそれだけ言うと、踵を返す。しかしすぐに、「あ、そうだ」と呟き足を止めた。
宮下のほうを振り向く。俺の言葉は信用しなかったらしく、病室に入ろうとしていた彼の背中に、なあ、と声を投げる。
宮下は大儀そうにこちらを向き、なに、と相変わらず無愛想に聞き返した。
「見舞いに来るのもいいけどさあ、学校にはちゃんと行ったほうがいいんじゃねえの」
クラスメイトとしての礼儀だなんて、もう気にしなかった。にこりともせず、ぶっきらぼうに告げた。
――里穂が学校の授業に遅れることを心配しているなんて、宮下は知らないのだろう。少し考えればわかりそうなことだけれど、この男はきっと、その“少し”も考えられないのだ。遠くから眺めているだけで薄々はわかっていたけれど、今こうして言葉を交わして、よりはっきりとわかった。
自分が里穂に会いたいと思ったから、毎日学校も行かずにここへ来ている。ただ、それだけなのだ。里穂が望んでいることになんて、目は向かない。向ける気もないのかもしれない。
「そういうことされると逆に気遣うよ、たぶん。里穂なら」
宮下はなにも言わなかった。ただ、まっすぐに俺の目を見ていた。まるで、俺を責めるかのような目で。
きっと、俺の思い違いではなかったと思う。彼はあのとき、たしかに無言で俺を非難していた。いつもは何の表情も浮かんでいない彼の目が怒りの色を帯びるのを、はっきりと見た。
彼のその目は、いやにまぶたの裏に焼きつき、そしてそのまま消えることはなかった。
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