むっちゃんのママ

 むっちゃんを「可愛い」と言う時、みんな決まって目を哀しげな色にした。かわいそう、という声がどこからともなく聞こえてきそうだった。ずっとそうだったから他人の表情には敏感になってしまった。

「えー、うそぉ。むっちゃんママ、それすっぴん?」

「もー、ほんと恥ずかしい。今日化粧する暇なくて」

「化粧する必要ないでしょ! いいなあ、そんなに綺麗で。羨ましい」

「そんなことないって」

 ママ達が楽しく談笑している横でむっちゃんは水たまりをじいっと見つめる。水たまりに映る自分は浮かない顔をしていた。

 ママよりも細い目、ママよりも低い鼻、ママよりも冴えない笑顔。対してママはむっちゃんよりも目が大きくて、むっちゃんよりも鼻が高くて、むっちゃんよりも笑顔が明るい。むっちゃんよりも可愛いから、綺麗だから、いつも比べられる。むっちゃんを見て、ママを見て、もう一度むっちゃんを見て。ママに似ればよかったのにね、という言葉を心の中に閉じ込める。それが嫌で嫌でたまらなかった。

「睦月、行くよ」

 いつの間にか話を終えていたママがむっちゃんの手を握る。むっちゃんはこくりと頷く。

「ねえ、ママ」

「ん?」

「むっちゃん、おけしょうしたい」

 ずっと思っていた。化粧をすれば綺麗になれる。そうしたら、きっとママと比べられない。「むっちゃんはお化粧したら映えそうだよね、元がいいから」と名前も知らない誰かのママに言われたのをむっちゃんはよく覚えている。元がいいってなんだろう、と思ったけど、でもママには「すっぴんの方が綺麗」と言っていたから本当はそう思っていないのかもしれないと幼いながらも考えてしまった。

「なあに? どうしたの急に」ママは目を瞬かせて、おかしそうに笑う。「むっちゃんは化粧なんかしなくても大丈夫」

「大丈夫って何で? 何でむっちゃん、大丈夫なの?」

「だって、むっちゃんはそんなことしなくても可愛いから。それにある程度の歳になってからじゃないとお肌ぼろぼろになっちゃうよ」

「ぼろぼろは、嫌だな」

「でしょー? だから化粧なんて考えなくていいの」

 じゃあ何歳になればできるのかな。やっぱり大人にならないとだめかな。早くお化粧できるようになって綺麗になりたいな。そう思うことで、むっちゃんはママから目を逸らした。ママは何かを気にするような、悩ましげな顔をしていた。



「むっちゃんママ、ほんっと綺麗。どうしたらああなるんだろ」

「ねー。すっぴん恥ずかしいとか言うけど、すっぴんでも十分綺麗だっての」

 その日はママが保育園の先生と話があると言うので、むっちゃんは廊下に飾られた絵を何の気なしに眺めていた。突き当たりを曲がったところにある玄関付近から声が聞こえて、むっちゃんは耳をすます。

 ママの話、してる。

「でもさあ、ぶっちゃけどうよ?」

「え、何が」

「いじってるっぽくない? あれ」

「……整形してるってこと?」

「えー、ちょっとー」

「いや、まあ確かにね? あの差はね?」

「私、なんとなくわかるんだよねぇ。鼻筋とか絶対あれシリコン入れてるでしょ」

 整形。どこかで聞いたことがある。どこだっけな、必死に記憶を辿った先はテレビのコマーシャルだった。美容外科のコマーシャルで「整形」と言っていたはずだ。

 きれいになるために、変えちゃうんだっけ。

「まあねえ、睦月ちゃん見ちゃったらもうね」

「パパ似かもよ?」

「前言ってなかったっけ。睦月は旦那に似たみたいで、って」

「どうだか。離婚してるんだし、何とでも言えるでしょ」

 重い足取りでその場を離れても、心の中はぐるぐる渦巻いていた。何を話しているのか全て理解できなくても、何となくわかった。言葉にできないけど、どうしたらいいのかわからないけど、とにかく不安で仕方なかった。

 結局、心の中で渦巻く不安は美味しいご飯を食べても、温かいお風呂に入ってもどうにかならなかった。明かりの消えた室内で布団にくるまりながら、むっちゃんは独り言とも取れる声音で、

「ママ、せいけいしたの」

「……えっ」

 隣で寝ていたママが勢いよく起き上がった。むっちゃんは布団で顔を隠して続ける。

「誰のママかわかんないけど、言ってたよ。むっちゃんのママはせいけいしてるって」

 心臓の鼓動が速い。このまま口から飛び出してきてしまいそうだ。むっちゃんはこのまま寝てしまいたいと思った。普段ならすぐに寝れるのにこういう時だけ寝られないのはずるい、と。

「うん。ママね、整形してるの」

 ほんとに、そうだったんだ。

 心臓の鼓動を紛らわすように、しわができるほど布団を握る。

「ママ、こんなに綺麗じゃなかったの。だから、ね。ずっと言わないつもりだったんだけどな。

 むっちゃん。むっちゃんは、整形して綺麗になったママ、嫌い?」

「嫌じゃない!」

 むっちゃんは咄嗟に起き上がった。

 きっとママは卑怯な聞き方をした。むっちゃんはママのことが好きで好きでたまらないのだから。嫌いなんて言うはずがないのに。

「ありがとう。ママもむっちゃんが——睦月が大好きよ」

 慣れない暗さに目を凝らしながら見たママの顔は穏やかだった。焦りはなく、どこか開き直っているみたいだ。

「むっちゃん、今は無理でもこの先、いつでも、いくらでも整形できるから。ママ、むっちゃんも整形するならしていいと思ってる。むっちゃん、整形は悪いことじゃないからね」

「うん」

「整形すれば、むっちゃんも可愛くなるよ」

 むっちゃんはママが整形したことなんてどうでもよかった。ママを責めたいわけでも、失望したわけでもない。ただ、気づいてしまった。

「ママ。むっちゃん、可愛い?」

「可愛いよ」

 誰かにむっちゃんを「可愛い」と言われたり、むっちゃんと見比べられた時、ママはいつも焦っていた。何かを隠しているような、それがバレないか危惧しているような、そんな顔。そして、ママがむっちゃんに「可愛い」と言う時は決まって目が笑っていない。

 暗がりの中、だんだん慣れてきた目に映ったママの目は静かに細められていた。

 むっちゃんは気づいてしまった。ママが自分のことを心の底から「可愛い」と思っていないことに。

 ママが元から綺麗なら、整形してそれを周りに隠していなければ、むっちゃんを心の底から「可愛い」と言ってくれたかもしれない。むっちゃんはゆっくり布団に身を預けて、いるかもわからない神様に祈った。

 きれいなママをください。



 むっちゃんのママはとっても綺麗だ。

 すっ、と細くて涼しげな目、低くてもすっきりとした鼻筋、決して明るくはないけど惹かれる笑顔。一見地味なように思えるが、その実、綺麗な顔立ちをしている。

「むっちゃんも大きくなればママに似るんじゃない?」

「ね〜! 化粧なんかしちゃったら、もうねえ」

「面影ある感じする」

 むっちゃんのママは毎日「可愛い」と言ってくれる。

「むっちゃんは可愛いね」

「んー、そお?」

「うん、とーっても可愛い」

「えへへ」

 むっちゃんはママに心の底から「可愛い」と言われた。それだけで幸せだった。

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