第6話
それは私たちが付き合って5年目の夏だった。
お互いに社会人として働き始めていた私たちは、
夏休みを使ってあるところに来ていた。
「なんだか、緊張するな」
私の隣に立つ謙也がいつになくそわそわと肩を揺らしていた。
えんじ色の三角屋根が特徴的な戸建て。
その前に私たちは立っていた。
目の前の門扉の脇には一枚の表札が備えられている。
そしてそこには『渡井』という苗字が刻まれていた。
渡井真波。
それが私の本名だった。
そう、私はその日初めて、謙也を実家に招いたのだ。
理由なんて、言うまでもないだろう。
私はちらりと左手を見つめた。
薬指には燦然と輝くサファイヤリング。
彼からのプロポーズが一瞬頭をよぎる。
「ご両親、許してくれるかな?」
「それは謙也次第かな」
「真波、あまり縁起でもない冗談はやめてくれよ」
ふふっと私は思わず笑ってしまう。
それは、謙也をからかうのが楽しかったからというのが一つ。
そして、もう一つは謙也の緊張っぷりがあまりに可笑しかったからだ。
真波は心配などこれっぽっちもしてなかったのだ。
お父さんもお母さんも、あってすぐ謙也を気に入るだろうと
確信していた。
だから、今でも思う。
なんで、その可能性を考えなかったのだろうと。
父も母も、謙也を気に入るのであれば、きっと…。
謙也が震えた指先でチャイムを押すと、インターホンから声が聞こえた。
謙也は私の方を向いて小さく頷くと、扉を押し開けた。
私は彼に手を引かれ、玄関の前まで歩くと、彼女が私たちを出迎えた。
「こんにちは、浜川謙也さん…ですよね。
お話はよく伺っています。…姉から。」
肩までの艶めくミディアムヘアを揺らしながら、
朱音はお辞儀をした。
そして、にこりと軽く微笑んだ。
「こ、こんにちは」
早くも噛んでしまう謙也に嘆息しつつ、私は朱音の方を向いた。
「ただいま、お母さんとお父さん、いる?」
「うん、リビングで待ってるよ」
「そっか、よかった。じゃあ、早く入らないとね」
私が中に入ろうと歩き出そうとした時だった。
謙也が玄関前で立ちすくんだまま、放心していることに気づいた。
「…謙也?」
「…あ、ああ。ごめん。入ろうか」
「うん」
急に慌てだした謙也はそそくさと一人で中に入ろうとする。
まるで、私のことを置いていくかのように。
私はその様子を少し不思議そうに見つめていた。
こんなこと、初めてだったからだ。
謙也が前を歩くとき、私の手を引かなかったことは。
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