5
予約していた旅館の前で、田村と別れた。
深酒するつもりはなかったが、足元がおぼつかなかった。なんとかチェックインを済ませ、案内された部屋で座り込む。ため息しか出ない。料理のせいか、酒のせいか、喉がひどく渇いていた。重い腰を起こし、水差しの水を飲む。濡れた顎をそのままに、敷いてあった蒲団に潜り込んだ。
田村の誘いは結果的に正しかった。酒でも飲まなければ、今夜は眠れない。信じてきた常識が足元から揺らいだのだ。
大げさに寝返りを打ってみた。古いタイプのエアコンがカタカタと鳴っている。今から思えば慶子が死んでから、私が生きてきた現実など、どれほどの意味があるのだろうか。慶子がそこにいるなら、私は現実をありのままに受け入れたい。その想いに嘘はなかった。
うつらうつらとしてくる。
やがて訪れた眠りは、私を地の底に連れて行った。
夢の中だとは知りつつも、あらがえない自分がそこにいる。
一人きり、私は当てもなく歩いていた。山深い道がうねりながら続いている。それをただひたすら辿っていた。
どれくらいそうやって歩いていただろうか、道は絶壁の手前で忽然と消えた。
必然的に、私は立ち止まり、目の前にある平たい石を見下ろした。巨木の切り株のような形をしている。高さはないが、かなりの重量感がある。神聖なものなのか。周りには縄が張られ、白い布がぶら下げてあった。
まるで大きな蓋のようだ。
誘われるように石に近づき、私は跪いた。何かが聞こえてくる。がやがやと耳の奥に音の破片が擦れ合う。聞き取ろうとするが、消えてしまう。気のせいかと思うと、まただ……。
どうも女の泣き声のようだった。
耳を澄ます。この石の裏側から聞こえてくるようだった。声は聞き慣れたものだ。……慶子の、それに似ていた。聞けば聞くほど、石の下で孤独に震えている慶子がイメージ出来た。そう思い出すと、いても立ってもいられなくなった。私は石にしがみつき、ありったけの力を込め、石を横に押しやろうともがいた。
しかし、びくともしない。
爪が割れ、血がにじむ。無力さに拳をつくり、打ちつけたが、虚しい痛みに顔をしかめるだけ。こんなに近くいるのに、会うことも叶わない。唸りながら、瞳を濡らした。
慶子。
自分のすすり泣きで目が覚めた。涙を拭わず、見慣れない天井を眺めた。
何があろうとも慶子を連れて帰る。
私は何度も自分自身に言い聞かせていた。
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