第30話 襲来
島生活四日目の朝。
すっかり回復した伊舞は、四軒目の家を再構築した。
それから、念力の使える茉莉を中心に、20人ほどで引っ越し作業や家の中の点検を行った。
他のメンバーは朝食を作り、乙姫は冷凍室の温度を下げてから炎で朝食作りを手伝った。
そして俺は、冷蔵室に氷を足してから、暑い村中の気温を少しでも下げるべく、全ての家を氷の塀で覆い、道のわきには氷像を立てていく。
氷はじわじわととけて周囲の地面を濡らして、打ち水と同じような効果が期待できるだろう。
「氷像はこんなもんかな」
思いつく限りのゆるキャラを作り終えた俺は、汗もかいていないのに、額の汗を腕で拭うジェスチャーをしてしまう。
働いたという実感が欲しかった。
「それにしても、生活も安定してきたよな」
最初は不安だらけの島生活だったけど、超能力を駆使して、ほとんどの問題は解決した。
短パンのポケットからスマホを取り出して、メモを表示した。
昨日、俺らがキョン狩に言っている間、伊舞はリハビリとして、植物から紙と鉛筆、布を作ってくれた。
多くの女子が服飾技術を持っていたので、これから毎日敷布団やタオルケットを作り、今後、必要があれば、着る物も作ってくれるそうだ。
結果。
【水】解決★
【住居】解決★
【食料】解決★
【塩】解決★
【火】解決★
【食器】【調理器具】【かまど】解決★
【上下水道】【トイレ】解決★
加えて。
【紙】解決★
【ペン】解決★
【寝具】【着る物】解決★
という状況だ。
「ハニー」
拠点の方から、愛らしい声が聞こえてくる。
振り返ると、純白のポニーテールが可愛く左右に、大きなおっぱいが見事に上下に揺れる魅惑的な動作を付属させた赤音が、上機嫌に走ってくる。
――こういうのをイイと感じてしまうのは、女子に失礼かな。
同じカラダの一部で外見上の話なのに、笑顔や髪に魅力を感じるのは良くて、おっぱいやお尻に魅力を感じるのは下品で悪い気がする。
酷く低俗なことに悩みながら、俺は手を挙げて応えた。
最後に赤音が大きくジャンプ、俺の目の前30センチへ華麗に着地した。
それでも、約一部分、おっぱいだけは華麗にとはいかず、上下左右に揺れていた。
「ごはんができたよ、ハニー♪」
「お、おう」
――ぐっ、鎮まれ、俺のナカの野生。目覚めろ理性。
おっぱいを視界に入れるのは何かに負けた気がするので見ないようにするという、男子特有の矜持を発動させて、俺は視線を赤音の笑顔で固定した。
「いまさら視線を上げても遅いよハニー」
「はうっ!」
俺がズガンと打ちのめされると、赤音は鈴を鳴らすようにコロコロと笑った。
「いいんだよハニー。そうやって、どんどんボクに夢中になってね。だってボクのおっぱいはボクの一部で、ボク自身で、ボクのおっぱいが好きっていうのは、ボクを好きってことなんだから。女の子が眼鏡の似合う男子が好きとか、背の高い男子が好きとか、タバコの似合うワイルドな男が好きとか、そういうのと同じだよ」
「同じじゃないだろ。だって、それだと、もっとおっぱい大きい奴が現れたら乗り換えるし、年取って垂れたら愛が冷めるだろ?」
何故か、俺はムキになって否定した。
すると、赤音はきょとんとまばたきをしてから、首を傾げて俺の顔を覗き込んできた。
「あれ? ハニーってボクより狩奈や心愛のほうが好きなの?」
「え!? いや、そういうわけじゃ……」
「ハニーってボクがおばあちゃんになったら好きじゃなくなるの?」
視線を伏せて、捨てられた子犬のような声を出されて、胸が痛んだ。
「そんなわけないだろ! 俺は赤音がおばあちゃんになっても好きだから! はぐっ!」
衝動的に声を張り上げてから、口をつぐんだ。
でも、いまさら後の祭りだ。
赤音は悲し気な表情をニンヤリとゆがめた、小悪魔フェイスで、スマホを取り出した。
タップ。
『そんなわけないだろ! 俺は赤音がおばあちゃんになっても好きだから!』
「もう、ハニーってばぁ、これモーニングコールにしちゃお♪」
「やめろぉ! 同じ部屋で伊舞たちも寝ているんだぞぉ!」
「え~、どうしよっかなぁ」
狼狽する俺の姿を楽しむように、赤音は焦らしながら悩むふりをする。
「じゃーあ、ハニーのほうからキスして欲しいな」
新婚妻が夫におねだりをするような甘い誘い。一瞬、息が止まった。
「ん」
目を閉じて、赤音は、ちゅっとくちびるを突き出してくる。
みずみずしくてやわらかそうな二枚の桜色に、頭の奥が熱くなった。
島の強い太陽を浴びて輝く純白の髪をまとう、人間離れした美貌のキス顔に、俺は魂を吸われたような感覚に陥る。
そのまま、意志薄弱のまま、焚火に明かりに誘われる虫のように、俺は彼女の肩をつかんだ。
――赤音がいいって言っているんだから、やっちゃってもいいんだ。
――赤音に恥をかかせるな。これは、赤音のためだ。
――むしろ、赤音の願いを叶えてあげるんだから、いいことじゃないか。
頭の中は、キスを正当化する理論でいっぱいだった。
倫理偏差値22ぐらいまで退化したくせに、エロ理論偏差値だけは50ぐらいありそうだった。
彼女の肩を引き寄せて、肌の滑らかさと体温を感じていることに達成感を得ながら、顔を寄せた。
――キスする。キス、キス、キス、恋人同士がする、キスを、赤音と。
頭の中は、相変わらず言い訳でいっぱいだ。
――大丈夫。これは、毎朝気まずい空気を流さないため、俺のことを信用して俺と同じ部屋で寝てくれる【伊舞たち】のためでもある、正義の行いなんだ。
――なんだそれ。
そこで、ふと冷めた。
「ごめん、やっぱりできない……」
赤音のまぶたがぱちっと開いた。
「なんで? ハニーのそういう女の子を大事にしたい部分は好きだけど、臆病過ぎると白けちゃうよ」
赤音は、冷たく怒ったような、不機嫌な声を出した。
でも俺は、童貞感まるだしの狼狽ぶりを露呈しながら、言葉に迷った。
「いや、だってさ……モーニングコールで気まずくなりたくないからとか、ファーストキスが交換条件って雰囲気ないじゃん。それに、赤音とキスする理由に、他の女が絡んでいるのも失礼だと思うし。赤音とキスするなら、俺か赤音の、どっちかの意思でしたい。白けようとなんだろうと、これだけは譲りたくない……んだけど駄目かな? 赤音?」
手の平に伝わる、彼女の肩の温度が一度上がった。
赤音は、目を丸くしたまま固まって、かと思えば、うっとりとまぶたをとろけさせながら、瞳を濡らしていく。
「ハニー……大好きぃ!」
「うわおっ!?」
赤音が、大型犬のように跳びついてきた。
妖艶かと思えば愛らしく、不機嫌かと思えば無邪気で、相反する魅力に溢れた彼女らしさと、彼女の感触に、ドギマギしてしまう。
「えへへ、ハニィ、ハニィ♪」
赤音は力いっぱい俺を抱きしめながら、俺自身を堪能するように体を揺すり、耳元で囁き続けてくる。
――やばい。可愛い。可愛すぎる。
俺も一応は男なわけで、こんなに可愛くて、何よりも裏表のない純粋な女の子に愛されまくれば、気持ちが傾いてしまう。
今すぐ抱きしめて、キスをしたくなってしまう。
――むしろ、それ以上のことも……。
そうやって俺が理性と本能の間を絶え間なく揺れ動いていると、赤音が小悪魔モードに移行した。
「ハニー、下、反応してるよ」
「はぐっ!」
「いぃよぉ、キスしなかったのは許してあげるぅ。だってハニーがボクのことをどう思っているかわかったもん」
「いや、ちが、これはですね赤音さん」
思わず敬語になりながら言い訳を探していると、遠くから伊舞の声が聞こえてきた。
「恭平! 剣崎が来たわ! 恭平を呼んでいる!」
「剣崎が!?」
「行くよハニー!」
言うや否や、赤音は俺から体を離して、走り出した。
切り替えが早くて助かる。
俺は、最悪の事態を想定しながら、伊舞と一緒に駆け出した。
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