第一章 日常を脅かす影

第一話 いつもの狩り

「使い魔」が生まれる過程は、生物の生殖における「分裂」によく似ている。


魔女の体が人として成熟するころ、魔力が不安定で、体の一部分だけに魔力が濃く凝縮されている状態にある。そして、凝縮された魔力の一部は、生まれてすぐに魔女から乖離する。

それが形を成して、魔女の使い魔となるのだ。


そのため、魔女と使い魔では大きく魔術の傾向が異なることが多い。

魔女が得意な魔術は使い魔は不得手であるし、使い魔が得意な魔術は、魔女は不得手なのである。


――ジョーゼフ・ナレッジ『魔女についての生態』、65-67頁


*


レイラは、肌がひりつくほどの圧迫感を感じていた。


「……随分と大きな図体じゃない。なに、自らおかずにされに来たっての?」


シュッシュッと拳で空を切りながら言う。こわばった表情とは裏腹に、レイラの足取りは軽やかだった。


薄く伸びた影がレイラを覆う。

視線の先には、巨大なクマ。レイラに向かい、低く唸るような音を出し続けていた。


クマは、レイラの倍ほどはあろうかという巨体を揺らし、立ち上がった。


「やろうってのね。……いいわよ、望むところ!」

クマが再び四つん這いになり、走る。


―その動作は、巨体に似合わず、俊敏だった


気づけば、クマとレイラは鼻先がぶつかるほどの距離まで近づいていた。


勢いそのままに、クマは乱暴に腕を振りかざす。

鋭利な爪を備えた手がレイラに襲い掛かった。


「力勝負なら……、負けないっての!」


レイラが前腕を盾にするようにして、クマに向かって突き出す。

そのまま、クマの攻撃を、華奢な腕一本で受け止めた。


ぎりぎりとクマの爪がレイラの皮膚に食い込む。腕からは血がしたたり落ちた。


「っ……! この、許さないわよ。覚悟しなさい!」

レイラは、クマの攻撃を受け止めていた右腕を滑らし、クマの左腕を掴んだ。


そこからのレイラの動きは無駄がなく、流れるようで、一瞬の出来事だった。


重心を落とし、右腕を引く。

その瞬間、クマは体勢を崩しレイラのほうへ引き寄せられた。


そのまま左足を一歩前へ踏み出す。

足の位置が変わったことでレイラの体が捻じれる。


そして体が捻じれると同時に、レイラは体を沈める。


レイラは、迫ってくる顎に向かって左拳を突き上げた。


ぐしゃり、と、鈍い音がした。

クマの体がわずかに宙に浮いた。


レイラは拳を突き上げながら体を反転させ、クマの腕を掴んでいる右手を大きく後ろに引いた。

クマの浮いた体が大きく弧を描くようにして引っ張られる。


「せええりゃあああ!」


勢いそのままに、クマは地面に叩きつけられた。


その一連の光景を、カーポは息をのんで見つめていた。


「うーん、我ながら、きれいに決まったわね。さて、後処理して帰ろっか」


足元で伸びているクマを見て満足そうにうなずいた。

今日の狩りは、気分良く終われそうだった。


するとレイラの前に、カーポが立ちふさがった。


「……? どういうつもりカーポ? 日も落ちるし、はやく帰ろうよ」

「腕の傷、治すから手を出して。悪化しないうちにさっさと治療しなきゃ」


レイラは自分の右腕を見て、あっけらかんと笑った。


「あぁ……、これ? 大丈夫。この程度の怪我、治療なんかいらないよ! カーポは心配しすぎなんだって!」


レイラはそう言って、カーポを押しのけて歩いて行った。


カーポは、慌ててレイラの後をついていった。



*


「しっかし、今日は大漁だなっ! これなら盗られた野菜の分も十分に賄える……。クシシ、ご馳走だぜ」


カーポは、レイラが担いでいる大きなクマを見て、満足そうにうなずいた。


綺麗に内臓が取り除かれ、その場で血が抜かれたクマは、最初に見た時よりもげっそりとした印象を受けた。だが、それでもレイラよりもずっと体が大きい。


木の棒に括り付けられ、いくらか運びやすい形にはなっているものの、ほとんどレイラに覆いかぶさるような格好になっていた。


「ほんと、運びにくいったらありゃしない」


レイラが苦々しく呟く。

体には獣の匂いがこびりついてしまっていた。


「早く帰って、お風呂に入りたいわね……」

「そうか? でも、ま、いいじゃねえか。猛獣って感じがしてお似合いだぜ!」


カーポが、ケタケタと笑いながらレイラの周囲を飛び回る。


「言ってくれるわね……」


ぎろりと目を光らせるレイラ。

クマを括り付けた棒を握る手にも、力がこもる。

まさに、猛獣のような目つきであった。


「ひィい、悪かった、冗談だよ……」



以降、カーポの軽口はすっかり鳴りを潜めたのであった……。

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