第14話 お母さんのむかしばなし

 わき腹が痛い。ずっと走ってきた。ランドセルが上下に揺さぶられて、なかの教科書とノートが叫んでいた。「助けて、痛い」

 ぼくはエレベーターを待つ時間ももったいなくて、階段を駆け上がった。もう外は薄暗い。ぼくは深呼吸をすることもなく、家に入った。中も外と同じで暗かった。窓から夜が忍びこんだ。

「どこにいたの?」

 暗闇から声がした。

「お、お母さん?」

「どこにいたの?」

「ごめん、帰るのがおそくなって」

「そんなこと聞いてるんじゃないのよ、まさくん。私をほったらかしにしてどこに行ってたの?」

 真っ暗闇から声だけが聞こえてくる。ぼくは電気をつけた。ろうかの先に髪をぼさぼさにして、顔をかたむけぼくを睨んでいるお母さんがいた。恨みをのこして死んだ幽霊みたいだった。

「ごめん、友達と遊んでて」

「へえ、私より友達の方が大事なんだ。まさくんは」

「そんなことないよ」

「お母さんと一緒にいるより、友達とあそんでいる方が楽しいんでしょ。遠慮しなくていいわよ」

「早く帰りたかったけど、とめられたんだ」

「そんなの断ればいいじゃない。知ってるから。心のなかではかわいそうなお母さんって馬鹿にしているんでしょ。私が生んであげたのに偉そうにして」

 ぼくがそんなこと思うわけない。ぼくにはお母さんしかいないんだ。こんなことになるなんて思ってなくて、ぼくは馬鹿だった。お母さんは目を見開いていた。

「ごめん、違うよ」

「あんたも私を見捨てるんでしょ。あいつみたいに」

 ぼくは走ってお母さんに抱きついた。きつくきつくだきしめた。ぼくの気持ちが届くように。

「ぼくは違うよ。ぼくだけは違う。あいつなんかと一緒にしないで。お母さん、大好き。ずっと一緒だよ。ぼくとお母さんの二人しかいないんだ。それでいい。ごめん、いつも通りに叱って。ぼくが馬鹿だっただけなんだ。ぼくはお母さんを見捨てたりしない。お母さんしかいらない。だからお母さんもぼくを見捨てないで」

 バラバラのパズルをひとつづつはめていった。

「まさくん」

 甘いにおいがした。

「ごめんなさい」

「まさくんは私の味方でいてね。なにがあっても、私から離れないで」

「うん、大丈夫」

「外は大雨。ここだけなの」

「うん」

 お母さんもぼくを抱き返してくれた。ぼくの背中にお母さんの手が回る。邪魔できるものはなにもない。二人だけの世界。

 お母さんとならぼくはなんにでもなれる。なんだってなれる。

「私を見捨てないで」

「うん。約束だから。お母さんも約束してくれる?」

「うん、まさくん。約束する」

 ぼくたちはひとつだ。

「ねえ、まさ君。私の話を聞いてくれる?」

「うん、お母さんのことはなんでも聞きたい」

「ありがとう。私の昔話。まさくんには知ってほしい」

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