第12話 壊れちゃった

 白いお皿はぼくの手をはなれ、地球の重力にそって落ちていった。このお皿はすごく高いようで、金色の細い線でかっこよくブランドの名前が書いてある。家にきたおばちゃんたちはこのお皿をみて、お母さんをほめていた。「河合さんのおたくはすごいわね」。そんなことないわよってお母さんは返すけど、喜んでいる顔は隠しきれなかった。

 ぼくは貴重で大切な高級品を落とした。散らばっていく破片。ぼくは金色のブランド名が表にくるように割れたお皿を机に置いた。お供え物のように真ん中に、そのまわりをビールの空き缶が囲んでいた。

 お母さんはちょうど6時に帰ってきた。ぼくはお弁当を取りに行って、毎日やっているように用意をはじめた。お母さんはぼくの狙った通りに割れたお皿に気づいて、そして怒った。お母さんはぼくが仕掛けた罠にまんまと引っかかった。完璧だった。これは二人共が幸せになる方法なんだ。

 お母さんはお父さんが割ったと思った。ぼくは間違いを直した。

「ぼくが割ったんだよ」

「まさくんが? あいつをかばうなんてバカなことはしないでよ」

「違うよ。ちゃんとぼくが割ったんだ。使おうと思ったら、手から滑って落としちゃったんだ」

 お母さんは怒った。頭からゆげがたちそうなくらいに。

 これでよかった。

「わかってるの? あのお皿がどれだけ高いか。信じられない」

「ごめん」

 お母さんは割れたお皿からブランドの名前が書いてあるのを取り出して、ぼくに見せつけた。

「これが見える?」

 ぼくには読めない。

「大切な物だったのよ」

 お母さんは大声でぼくに言う。その目は怒りに燃えていた。その奥で、ずっとずっと奥の方で、ぼくにはわかる、光っているんだ。

 これでよかったんだ。

 お母さんの声はぼくに届く。ちゃんとぼくに届く。ぼくにはその裏の気持ちがわかる。ぼくとお母さんは一緒だから。ぼくははいって返事するんだ。これでいい。これでもいいんだ。

 お母さん、喜んでくれるよね。

「役立たず」

ぼくが的になるよ。ぼくがいないとお母さんは壊れちゃう。怒りはぶつける相手がいないとだめなんだ。かわりに、お母さん、ぼくのそばにいて。ぼくたちは二人で一つだよ。ぼくはお母さんがいないとだめなんだから。

「まさくんは馬鹿よ。信じられない。どうしてくれるのよ?謝って済む問題じゃないのよ」

 お母さんの喜びが前へ前へとあふれてくる。怒りはするするとひっこんでしまった。つばがとんでぼくの顔にあたった。

 ぼくはお母さんの力がはいってカチコチになった手を握った。久しぶりにさわるお母さんの手は冷たくて、細くて、骨が出っ張っていて固かった。思い出では、もっとあたたかかったような気がした。ぼくは力を込めた。お母さんの手。ぼくとお母さん。

お母さんは、ぼくの手を振り払った。

「なによ、気持ち悪い」

 ぼくは手を離した。触れていたのは短い時間だった。でもまだお母さんの感触は残って、ぼくはそれが消えてしまわないように、手のひらに意識を集中させた。いつまでも消えないように。

「ちゃんと反省してるの?」 

 ぼくはまたお母さんが怒るためのきっかけをつくることができた。これでいい。これを幸せっていうのかもしれない。お母さんはぼくを必要とする。

「ごめんね、お母さん。ぼくは悪い子なんだ。だからもっと叱って。そうじゃないとぼくは直らないから。ぼくはずっと悪い子で怒られてあたりまえなんだよ」

「そうね、ま、まさくんは悪い子ね。私の足を引っ張ることしかしない。わ、私が望んだようにはならないできのわるい子なのよ」

 言葉がさきにさきにとあらそいあいつっかえながら、しかも口からとぶつばにもきにしないで、お母さんはぶちまける。言いたくてしょうがないんだ。

「ごめんね、ぼくは頭も悪いし、勇気もないし、優しくもない。ぼくはだめな子なんだ。お母さん、ぼくを叱って」

 お母さんは笑った。その高い笑い声は家の外にまで響くんじゃないかと思った。

「まさくん、あなたは元気でいるだけじゃだめなの。あなたはただいるだけじゃ喜んでもらえないのよ」

「うん。知ってるから。誰もぼくをみてくれない。ぼくはぼくじゃいけないんだ」

 ぼくは笑った。お母さんもニコッと笑った。幸せいっぱいってかんじ。すごくやわらかで、お母さんの全部がつまった笑顔だった。お父さんでもテレビのなかの人でもこんなふうにはできないはずだ。ぼくだけだ。怪我をしたお母さんとぼくは、肩をくんで進んでいく。よろめきあって、つまずきながらも。ぼくたちは二人で一人なんだ。もっとお母さんに喜んで、笑って、幸せになってほしかった。それだけだった。これでいいんだ。うれしくて、うれしくて、そして痛かった。

「かわいそう。まさくんはいい子になれない。悲しいね。かわいそうだね」

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