ナナシイの雑記帳

ナナシイ

あなたは小川国夫を知っているか ―積読のすゝめ―

 小川国夫。古井由吉、黒井千次などらとともに内向の世代の代表的作家と目され、彼の故郷の静岡や、彼が二十代の頃に旅をしたアフリカ、そして彼自らが進行するキリスト教を題材とした小説を書いてきた。彼がその生涯において遺した著作は三十作弱。そのうちのいくつかの作品は川端康成文学賞や伊藤整文学賞などを受賞しており、彼はその功績を称えられ旭日中綬章を受賞している。

 彼の名声と実力は確かなものである。では、本題に入ろう。果たして読者諸君はこの小川国夫の作をどこかで見たことがあるだろうか。いや、そもそも彼の名を知っていただろうか。

 余程の読書家でなければこの問いの答えはNoであろう。何故か。彼の著作そのほぼ全てが絶版状態であるからである。

 ではここで彼の著作の状況について解説しよう。彼の記した小説の中で現行本として残っているのは、2020年8月現在、次の五作である。講談社文芸文庫から、「アポロンの島」と「試みの岸」の二作、小学館P+D BOOKSから「悲しみの港」、ぷねうま舎から「ヨレハ記」「イシュア記」の二作。以上である。その他幾つかの著作が現行になっているが、そのいずれもエッセイ集などであり、純粋な小説集ではない。

 講談社文芸文庫は希少となった作品を復活させるレーベルであるが、文庫としては非常に高額であることで知られ、大型書店でもわずかな数しか置かれていないのが現状である。

 次に小学館P+D BOOKSであるが、本レーベルはネットでの販売に販路を絞っており、実店舗に置かれていることはない。

 最後にぷねうま舎であるが、本出版社は2010年創業の極めて歴史が浅い出版社であり、大型書店にしか置かれていないと見られる。更に本社から出されている二作は両作とも六千円超の価格となっており、普通見つけても買えない。

 以上のことからわかるように、彼の著作を新刊書店の中で見る確率は非常に低いと言えるだろう。

 では古書店ではどうか。

 私はおよそ二年近くに渡って東京や神奈川を中心として、東西を問わず、様々な古本屋や古本市を巡って彼の著作を探してきた。その数は優に三十を越えるだろう。しかしながら、彼の著作がブックオフや古本市場といったチェーン店に置かれていることはまずなかったし、また奇書珍書の類が並ぶ古本屋においても、二、三作程度置かれているのが関の山なのであった。彼の作が一揃いで一つの棚を占めているような書店は何処にもなかったのである。

 補足しておくと、代表作の中の一部に電子化されているものが存在する。しかし、それもやはり一部であるし、実店舗と比べ、電子書籍の知らないものへのアクセス性の悪さは既に自明のものだろう。

 一つの世代の代表的な作家がこの扱いなのである。彼の著作に触れる機会は殆ど失われてしまったのである。

 さて、ここまでつらつらと小川国夫の著作が置かれている窮状を述べてきたわけであるが、私は何も彼の著作の復刊であるとか、完全な全集の発刊を主張したい訳ではない。私が言いたかったのは、本を積むべし、これである。

 懸命なる読者諸君、諸君らが愛する作家達は、今は書店に並んでいるかもしれない。だがその状況は決して永続的なものではないのだ。十年、二十年経って、私が愛する小川国夫のように、書店から消え失せてしまうかもしれないのだ。そうなってからでは何もかも遅い。あなたがもし、あの時読んだ本をまた読みたいと思っても、それを手に入れるには私のようにいくつもの書店を駆け回る必要があるかもしれないし、ネット上で注文すれば直ぐに来るような状況でもないかもしれない。嘘だと思うならば考えてほしい。石川惇、河野多恵子、小島信夫、藤枝静男等々、小川国夫と同じような窮状に陥っている作家は何人も存在するのである。

 あなたが買い、あなたが本棚に収めた本達は決してこのような窮状に陥ることはない。それらの本は、あなたが望む時に何時でも読む事ができるのだ。あなたが読もうと読むまいと、それらの積ん読の価値が変わることはない。それらの積ん読は、書店に並んだ本達の様に消えることは決してなく、あなたに読まれる日を永遠に待ち続けてくれるのである。

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