27『人間模様18~暴君の失墜~』

「さっ……先ほどよりも更に夜が更けているせいでしょうか。肌に感じる空気が更に重く、湿った感覚を覚えます」


 さっきの中継よりもたっぷり倍の時間をかけて最上階への階段を上り、千駄木は迫真に迫った表情をセルカの先端へと向ける。

 それは本職であるMCふたりに勝ると劣らない剣幕であり、画力だけを取ってみれば配信どころか、充分地上波テレビ中継での使用にも耐え得るものだった。

 シオとカガミ、顔だけで数字を持つふたりがいないにも関わらずじわじわと上がり続ける同時接続者の数字が真実を物語っている。

 

「ふーっ、ふーっ」


『落ち着けおっさんwww』

『頑張れ日本のサラリーマンw』

『絵面地味過ぎやろ』


 ゆっくりとドアを開け、千駄木は慎重にカメラを回して中を伺う。

 その目は必死に平静を取り繕ってはいる。だが持ち主の見積もりより遥かに高精度で音を拾っているマイクが浅い息遣いと震える鼻息をノイズとして拾い、その度に面白半分の応援コメントが流れていった。

 そんな視聴者の内訳はあんな幕切れを迎えた番組を、責任者がどう尻拭いするのかが半分。そして意外なことに、ただ千駄木の作りだす配信内容に興味を惹かれてブラウザバックを推せなくなった人が半分を占めていた。

 テレビ業界人としては重鎮であっても、実際にカメラに映るモノとして千駄木は全くの素人である。台本を用意する暇もなかった喋りは拙いし、画角は絶えず揺らぐ上、声は聞き取れなかったり逆に目を顰めるほど大きかったりする。

 しかしだからこそ、そこにはことが一目瞭然だった。その意識は画面の小奇麗さではなく伝える情報そのものに重点を置いている。

 故に、画面には『プロとしての業』は微塵も映っていない。なるほど業界内であれば即座に商品未満と切り捨てられる絵面であることに間違いはない。

 しかし河岸かしを変えた今、その不器用さはむしろ飾らない自然さという武器となり、評価を受ける一因となっていた。

 シオとカガミ、そしてふたりを撮影するクルーたち……いくらドキュメンタリーチックに舞台を仕立てようと、恐怖に対する耐性が低かろうと、MCのふたりには訓練を受けた上でテレビに出演する事によって芽生える『プロ意識』が存在し、また消すことは叶わない。

 だからこそ作られる表情やしぐさに迫力が備わり、大袈裟な言動にも演技臭さを感じさせないように務める。撮影する側も手練れの集団であればなおさらだった。

 だからこそ、を完璧に拭い去ることは出来ず、視聴者に伝わってしまう。

 『テレビには内外問わず数々の嘘が跋扈ばっこする』――そんな事実に基づく先入観。それに飽き飽きした時、ユーザーはこぞって素人のウェルメイドを求める。

 普段の、いちテレビマンとしての千駄木だったならば、そのそんな潮目の変りようにただ毒づくだけだっただろう。


「ありがとうございます。投げ銭もありがとうございます」


 だが彼は激励の一つ一つに対して、自ららしからぬ低姿勢で丁寧に礼を述べていく。

 無論カメラに映る側になったところで、この男に瞳の向こうにいる視聴者を貴ぶような意識の改革なぞ起こりはしない。千駄木にとって視聴者という存在はあくまで自分がものであり、序列は明らかに下という変わらぬ不文律が存在していた。

 にもかかわらずそんな謙虚な姿勢を見せるのは……単純な話で、迫りくる恐怖を紛らわせるためだけに過ぎなかった。

 ここに立っているのは自分ひとりではあるけれど、そんな自分とコミュニケーションを取れる意識は何前何万と自分の周りにいる。

いてくれる。


「さて、何が起こるか……ここからは見逃し厳禁ですよ」


 だから自分はひとりではない。怖くはないんだ。

 繰り返し、繰り返し千駄木は自分に言い聞かせ、その思い込みを燃料にして歩を進めていく。そうして彼の配信がSNSのトレンドを席巻し始めた頃、部屋の中央に辿り着き長い間動きを止めていた千駄木のカメラが、再びドアを捉えた。


『諦め早すぎwww』

『あれ、出てくの?』

『チキン乙』


「違います」


 流れる嘲笑のコメントを必死に苛立ちを押し殺した丁寧な言葉で、しかしはっきりと千駄木は否定した。


「先ほどチャンネルにアップされた短い動画を見た方も多いと思いますが……あぁ、いらっしゃいますね。その音はこの部屋ではなく、隣で発生したものだったんです。そしては、部屋中のものが飛び交うという怪現象に遭遇しています」


 画面の向こうに語り掛けながら、千駄木は静まり返ったままの部屋を出る。しばらく靴底が砂利を擦る音が続き、やがて隣のドアの前を大写しにして画面が止まった。


「こちら、です。番組ではあくまであの部屋に潜むという地縛霊にフォーカスを充てていたせい時間を割けませんでしたが、ここからは文字通り、何かが起きるまで何時間でも、この千駄木が張り込もうと思います……!」


 ぎぎ、ぎぎぃっ……

 錆びついた蝶番が鈍い悲鳴を上げ、ゆっくりの新たな闇の口を開く。

 気のせいでも、噂話でもなく。事実として千駄木はここで不可解な現象に襲われている。


 一刻も早く帰りたい。

 いいや、決定的瞬間が取れるまで居座り続けてやる。


 不確かな予感ではなく紛れもない実経験が後押しする心霊スポット。そこに再び立つ恐怖と、撮れれば大スクープ間違いなしという高揚。双極の感情の合間で、千駄木は今や自分でも名づけようのない気持ちとそれが発する熱に浮かされていた。

 だからだろうか、一歩一歩踏み占めるような足取りでドアから完全に背中を話すまで、千駄木はチャット欄に漂い始めた異変に気付けなかった。


『手ぇ込み過ぎだろwwww』

『あれいまなんか映らなかったか』

『てか、後ろのドア動いてない』

『音割れひどい、おま環かな?』

『いや、私も』


「え?皆さん……?」


 足を止めセルカを手繰り寄せ、そこではじめてコメント確認した千駄木の顔が引きつる。


「まだ、こちらには何も……っ?!」


 現場にいるただひとりの当事者であるのはずの自分が、何かが起きているという事態に乗り遅れている。

 その異様に戸惑う声は、急速に全身を襲う寒気によって乱暴に打ち切られた。ぶるりと身体が震え、思わず振り返り退路を確認しようとする視界に、ゆっくりと閉じられるドアが映り込む。


「はぁ?」


 猛烈に膨れ上がる不吉な予感に、千駄木の口からは見えない敵への威嚇とも取れるような声が漏れ出ていた。

 だがそれすらも掻き消すように、誰も触れていないドアが閉まる音が乱暴に響き渡る。


「ちょっ――!」


 外界と隔てられるその合図に一拍遅れて手を伸ばした千駄木が乱暴にノブを回し体を叩きつけるが、ドアは裏から押さえつけられているかのように微動だにしなかった。


『盛 り 上 が っ て ま い り ま し た』

『おっさん迫真wwww』

『やべえタイミング完璧』

『ちょっと待ってなんか声聞こえる』

『嘘つくなよ怖いからバックするわ』

『1人で来てるはずなのにカメラ切り替わってるじゃん。捏造乙』


 途端にチャット欄の流れる速度が数段階蹴っ飛ばされる。しかし突然の事にセルカを取り落とした千駄木はその盛り上がりにも、落としたスマホは壁を向いているにも拘らず、姿という異常に気付くこともできないままでいた。

 突然しっかりとした撮影機材に切り替わったように上がった解像度の中、千駄木の狼狽が余すところなく映し出されていく。 


「いいい、いよいよご登場ということ、でちょうか……」


 台詞を噛んだことにも、それによって自分の態度が全く取り繕えていない事にも。

 そして何より自分がカメラを握っていない事にすら気づかないまま。千駄木はもはや誰に向けているかもわからない言葉を虚空に向かって吐いている。


「今度こそはっ、はっきりその姿を――あっ、おい、嘘だろ?!」

 

 そんな彼に追撃を掛けるがごとく、血管を浮かべるほど強く握りしめていたライトが明滅を繰り返し、真っ暗闇のまにまに千駄木を突き落としては光の中へ戻して弄ぶ。

 配信者としての体裁を一瞬で剥ぎ取られた千駄木の全身を少し遠くで、ばっちりと画角に収めていたカメラが、だんだんとズームアップしていく。


『なんか映ってる?』

『スタッフの手か』

『にしては形、変じゃね』


 恐怖に耐えて残ったメンバーがひとしきり中年の慌てふためきを楽しんだ後、チャット欄の関心は明滅しながら千駄木の背中に迫るカメラの右端に映る黒く、丸い影に移っていた。

 しかしその正体が何なのか、結論が出る前に明滅も収まり、あたりはがいよいよ完全な闇に覆われてしまう。


「おい、おい点いてくれよぉ……」


 黒一色の画面の中、もはや威厳の欠片もない弱々しい輪郭の声だけが唯一伝わって来る生の情報であり、機材のトラブルや配信が終わったわけではない事を辛うじて教えていた。


「ヤバいって、これマジでぇ」


 声と指先を震わせながら、千駄木は祈りを込めて必死にライトのボタンを弄る。だが先端に密集するLEDの群れが光を取り戻すことはなく、ただただマイクも拾ってくれないカチカチという音だけが虚しく響き渡った。

 それでも千駄木は諦めず、電池の蓋を開け締めし、また乱暴に振ってみてはスイッチを連打する。

 業界では無音や動きのない画面が3秒以上続けば放送事故。だが彼にとってもはやそんなことはどうでもよかった。


 カチ。

 カチ、カチ。

 かしゃ。

 ばん。

 カチカチ。

 カチカチカチ。

 ばん、ばん、


「……え?」


 一心不乱にライトへ集中を割いていたせいで、またも千駄木は違和感の接近に遅れた。

 合間に挟まる、何かを叩くような音。それにようやく気付き、生唾を飲み込んで指を止める。


 ばん。

 ばん……ばん、

 ばん、ばん。


 ……同じだ。千駄木の身体が強張っていく。

 例えるなら壁を叩く音に似ていた。

 しかし初めは遠くから微かに聞こえる程度だったその音は、声を潜めている間に少しずつ、だが着実に千駄木の背中へ近づいていた。

 錯覚では、ない。

 そんな確信に近い直感と共に浮かぶ、もうひとつの思い当たり。


 ばん、ばん、ばん、ばん。





 これは、足音、ではないか。






 ばんばんばんばんばんばんばんばんっ!


「――!!」


『うるっせえ!』

『頑張ってんな、演出』

『やばwwww』

『鼓膜ないなった』

『無理無理無理無理』

『つか音よ』


 声にならない千駄木の叫びが視聴者の耳朶を劈き、それを合図としたかのようにぴたっと止まる。ライトを抱え込むようにその場にうずくまった千駄木の視界が、再び白色光に包まれた。

 バク吐く心臓に血走った眼が捉えたその光は、千駄木とにとってまさに救いそのものであり、その胸の内にどうにか立ち上がる力を湧き上がらせる。

 だが、それがいけなかった。

 碌に警戒もせず立ち上がり正面に光を当てた結果、浮かび上がったシルエットは先ほどカメラの端に見え隠れしていたもの――





「うわああああおかーさーーーーん!」


 鼻先が触れ合うほどに迫ったマネキンの生首だった。

 とうに丸裸にされた心で何の準備もないままそれと対面を果たした千駄木は、数万を超える衆人環視の中絶叫と共に一張羅のスラックスへ黄色い染みを作って配信最高の盛り上がりを作り上げたのだった。


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