26『幽霊模様9~救い主を救え②~』
――シオの奴、ぜってえタダじゃ済まさねえぞ。
千駄木の腹の中で煮えくり返る怒り。それは歩を進める度開く大股と肩の大胆なスウィング、そして乱雑な歩調となって対外へと現れていた。
最後に出ていったスタッフが玄関のドアを革靴の裏で蹴っ飛ばし、軋む蝶番と舞う土埃にまた顔を歪める。
宵も中頃を迎え、窓から月の光すら届かなくなった暗闇を睨みつけながら、千駄木は左手にLEDのライト、そして右手に特性の
恰好はまるでテレビの真似事をしている素人みたいで虫唾が走る。だが便利な道具そのものに罪はない。
今や自分達を脅かすまでに市場が肥大化した、1人で撮影から中継までをこなす人種の為の秘密兵器。先端には配信ソフトを立ち上げたスマートフォンがセットしてあり、クオリティにこだわらないのであればたったひとりで生番組を放送できる。
――『本物』が出る事は分かっている。だからこんなこっぱずかしい真似もやる階があるってもんだ。
だが今度は音と叫び声だけじゃだめだ。パンチが足りない。
誰の目から見てもヤラセや造りを疑われない、生配信で怪奇現象そのものをカメラに捉え、
音の反響と埃の飛散が収まるのを見計らって大きく息を吸い込み、ここまで昂りっぱなしだった神経を一度鎮める。
怒りは後に取っておけ。あのふたりにツケを払わせるその時まで。
番組に泥を塗られた……どころではない。俺達が苦心して作り上げてきたものの土台ごと豪快に持ち上げられて、底なし沼に叩きつけられたようなものだ。
重圧に負けた挙句志賀谷にそそのかされ、加えて言えば青臭い正義感にでも駆られたのだろう。混乱に突き落とされる最中垣間見えたシオの表情とその内面に考えを巡らせるたび、千駄木は何度でも舌打ちを漏らしていた。
若い奴特有の回りが見えていない、ひとりよがりの独断専行。洗いざらい白状して本人は楽になったかもしれない。だがそうして重荷を下ろした結果周囲に生じる波紋については、考えが及んでいないのだ。
だが首謀者ふたりの未来を潰すよりも先に、俺は背負っている奴らの未来を守ってやらなきゃならない。自分の評判が地に落ちる事はつまり、預かっているアイドルの卵や抱えている企画全ての道行が閉ざされることと同義だからだ。
当然、その中にはこの『霊ドル』という番組も含まれる。
だが収拾のつかなくなった現場の撤収を指示した志賀谷によって押し込まれたロケ車の中、千駄木の話に耳を傾けるスタッフは誰ひとりいなかった。
ゴールデンに進出した瞬間、評判が地に落ちる――それが手前らの未来へどんな影を落とすか。
そこに実感が湧かないだろう。つまりは危機感が足りないせいでもあり、彼を「気弱なアイドルにヤラセを強要した卑怯者」としてみているからでもある。
もはや説得はおろか、新しく志賀谷の息がかかっていないスタッフを集める時間もなかった。そうして手をこまねいて居ている間にも現在進行形で、番組の評判は流言飛語の飛び交うネットの泥中へと沈んでいっている。
車を飛び降り、編成局長やスポンサー、そして事務所……鳴りやまない電話に張子の虎もかくやと頭を下げて回り「夜が明けるまでにトレンドの1位を取ってみせます」と根拠のない大言壮語の大風呂敷を広げ、どうにか公式チャンネルでのネット配信という形で挽回の機会をもぎ取り、ここへ取って返してきた。
ここまで
改めて状況を振り返り、あまりの心もとなさに半笑いすら浮かぶ頬を一発叩いて、千駄木は己を奮い立たせる。
弱気になるな。
この程度の修羅場、これまで何度もあったじゃあねえか。
あぁ、やってやる。
荒く吐き出す息で気合を入れ直すとともに、千駄木は右手に握るセルカのスイッチを押す。
「皆様、プロデューサーの千駄木です。先ほどは視聴者の皆様に混乱を招いてしまい、大変申し訳ありませんでした」
配信ソフトの画面が切り替わると同時に、千駄木は沈めた声を前に掲げたスマートフォンへと向ける。
こうして、たったひとりの延長戦が幕を開けた。
※ ※ ※
「……そこで、恐れのあまり逃げ出してしまったシオとスタッフに代わり、私が夜明けまでに必ず皆様へ『本物の霊』が起こす現象をご覧に入れます」
――えっ、何やってんのあのおっさん。
思わず声が出てしまった。
寝息も深くなり始めた頃に響いた、ノックというにはあまりに無粋な轟音。何事か身を起こして階下へ赴いてみると、そこには配信者の仕草がお世辞にも全く似合っていない中年男性がひとり、自撮り棒の先っちょに向かって真剣に語りかけていた。
始めは番組があんなことになって頭がおかしくなってしまったのかと(割と本気で)心配していた。
だが独白にしか見えないそのナレーションを訊く限り、最後まで明らかな霊現象が取れなかった上、MCのひとりがヤラセの自白にも似た妄言を口走ってしまったという、不本意な結果に番組の沽券を取り戻すために孤軍奮闘しているようだ。
……いや。元はといえば自分でヤラセを指示しておいてこの被害者ムーブ。面の皮が特殊合金ででも出来ているんだろうか。
あほくさ。そんな人間に協力する義務なんぞ、こっちには欠片もない。
せいぜい何も起こらない廃屋を朝まで彷徨っているがいいさ。お経のように延々聞こえてくる独り言を背に、嘆息をひとつ吐いてから部屋へ戻――ろうとして、そこでひとつの考えが頭を過ぎった。
ここで俺が何ひとつ物音を立てなければ、目の前である種の痛々しさすら帯びている中年のひとり相撲は空回りに終わり、結果として番組はいよいよマジモンのヤラセ番組という汚名を免れなくなってしまう。
それでこの千駄木とかいうユーチュー……もとい、プロデューサーがどうなろうが、それは構わない。だが、悪評を頂くのは他のスタッフや出演者――シオって子とかも同様だろう。
彼女らこそがたったひとりの暴走ともいえる専横に付き合わされただけの、本当の意味での被害者だ。今後の仕事に悪影響がないとも思えない事を思うと、そいつは何とも理不尽で気の毒な事に思えてきた。
彼らを助けるためにはここで撮れ高に寄与し、配信に決定的な瞬間を映してやればいい。だがそんな明確な答えを前にしているにも拘らず、どうにも気が乗ってこない。
というのもだ。ここで俺が従来通りの『ちょうどいい恐怖』を演出してあの配信を成功に導くというのはつまり、あえて千駄木の目論見通りに動いてやる事とイコールである。
彼を観察していたのは短い時間だが、それでもここから局へ帰った後「番組の評判が回復したのは俺のおかげだ、ガハハ」と肩で風を切る様子が目に浮かんできた。
ミスや失態は他人に押し付け、手柄はひとり占め、キャラとしてはこれ以上ないほど奴にぴったりとハマる。そうなればシオや彼女を庇い立てしたあの男――志賀谷の肩身は却ってますます狭くなるだろう。俺の望むべき着地点とは、到底言えそうになかった。
どうにか番組のプラスに働きつつ、千駄木の威厳だけを削げないものか……
「ぬおわっ!」
あぁ、うるさいなぁ。こっちは考え事してるんだっつうの。
突然の絶叫に顔を顰めつつ、声の元へと目をやる。そこには取り落としそうになったライトを必死に握り直しながら、階段の隅へと光とカメラを向ける千駄木の姿があった。奴の視線の先、円形にくりぬかれた闇の中央には、ボロボロの毛布が雑に丸めて置かれていた。
確か去年の今頃、ごく短い間ここで寝泊まりしていたホームレスの忘れ物だったはずだ。どうやら先ほどの悲鳴は、床のそいつを気付かず踏んでしまったために上げたものらしい。
「……あ、いや、失礼。足を滑らせてしまいました」
平静を装ってカメラの映像が乱れた原因を釈明しているが、画角の外で革靴の底は毛布の端っこをしっかりと踏んづけている。足を滑らせた、というのならもう少し姿勢が崩れていても良そうなものだが……どうしてそんな嘘を吐くのか。それにあのおっさん――
よく見れば、膝がちょっと笑ってないか?
振り返ってみると、千駄木はここに来てから、ある程度長いひとりの時間というものを唯一過ごしていなかったように思える。一貫していた横柄な振舞いや、『心霊番組に絡んでいるプロデューサー』という先入観を一旦頭から追いやり改めて彼を観察してみると、一歩一歩の進みが妙に遅いし、すきま風の音ひとつにも敏感に光を向けている。
さらには数秒以上の沈黙が耐えられないかのように延々と続く、実況というにはあまりに身のないトーク。
……もしかして、勢いでひとり戻ってきたはいいけど、内心めちゃくちゃビビっているんじゃないか。
そこに思いが至った途端、俺の目と口の端っこがにんまりと吊り上がる。
そうかそうか。誰の目にも明らかな衝撃映像がお望みか。
だったら思う存分、堪能させてやろうじゃあないですか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます