24『人間模様17~決意の裏側②~』
志賀谷から向けられたことばの差す意味に見当がつかなかったのだろう。詩緒はただ眉根に寄せる皺を深くしながら、僅かに首の角度を変える。
「勘違い……?」
「そうとも」
深まる疑問に沈む詩緒の声と、対照的に朗らかさすら覗かせる志賀谷の声。互いの尾と頭が重なって漂う空気は奇妙な軽さを増していく。
「君の言う『どうしようもない』というのはあくまで、日生詩緒という人間が千駄木のサポート抜きでは芸能界に居られない、と仮定した場合の話だからさ」
「過程も何も――」
それが事実なのだから、仕方ないだろう。
千駄木という後ろ盾がなければ、私はどこにでもいる凡百に過ぎないのだから――卑屈でも、まして謙遜でもなくそう続けるつもりだった。
「いいや」
しかし。
挟む息継ぎの合間に突然差し込まれたきっぱりとした否定に、詩緒の目が丸くなる。
「いいかい?」
その確認は、これから放つ一言一句聞き逃してほしくないという願いの表れだったのだろう。まだ形として生まれてすらいないはずの言葉すら先回りして遮った志賀谷は、言い含ませるようなそんな声の後、再びしっかりと詩緒を視界の中央に捉えた。
「千駄木と組んで結構長い時間が経つけど、表立って彼に意見できるような胆力のある子はそう多くなかった。彼の持つ力と怖さに逆らえず、嘘を吐く辛さを我慢して従い続ける子がほとんどだったんだ」
――わたしだけじゃ、なかったんだ。
志賀谷が語ったのはあくまで千駄木とプロデュースされた誰かの過去だったが、詩緒にとってはまるで自分の現状を一言一句違わず言い当てられたような心地を覚え、空恐ろしさとわずかな哀れみ、そして奇妙な連帯を抱いていた。
「もちろん、大人しく従っていれば黙っていても仕事はもらえるし、上へも上がれる……エスカレーターの楽さと安定を手放す勇気が出せず、望んで千駄木についていく子もいた。でもどちらもそのうち心を病んで、この業界を去ってったよ」
ああ、やっぱり。
詩緒は目を伏せ、顔も知らない先人たちを偲ぶ。
誰かのいう事をただ訊くだけ。そこに一切の疑念を差し挟まずに従う。文字にすればシンプルな行動論理はその実、自分を完全に殺しきるという極めて難かしい条件が付いてくる。
決して万人にできる事じゃない。適性のないまま自分で自分を認めず、誰かのモノとして扱うという矛盾の先ある未来――自分が思い描いた予想図は決して大袈裟ではなかったのだ。
「そもそも、誰かの指示に従い続けているだけでずっと第一線に居られるほどこの業界――いや、どの世界も甘くはないさ。千駄木だって神様じゃないんだ。そのやり口が合う合わないにかかわらず、いつか必ず自分の足で立たなくちゃならない時が来る」
もはや詩緒の頭には、反論の端緒すら浮かばなくなっていた。
それは志賀谷はもう千駄木の人格を話題の中心に据えていないからであり、その焦点はプロダクション、ひいて業界――集団というものに備わる
自分で考えて動けない人間がいつまでも輝き続けられる程、世界は甘くない。それはどんな有能な指導者の下にいたとしても変わらない事実。
ましてここは誰もが陰日向に火花を散らし、生き馬の目を抜く芸能界。その論が正しく、そして過激に作用している事は歴史が証明している。
「私、は――」
目の前にいる志賀谷に宛てるでもない言葉が、ぽつりと詩緒の唇から零れ落ちた。
……なら、私はどうだろう。誰かと競争する度に圧に怯え、いっそ道を譲って楽になりたいと思うくらいだし、自分の考えを疑いなく行動の基幹に置けるほど自信に溢れてもいない。
その視点で評価を下すのならば、結局私は千駄木さんがダメにしてしまった多くの子と同じなのではないか。
「……」
だが、それを自ら口に出すことが、詩緒にはどうしてもできなかった。自らその烙印を押してしまった瞬間、自分の中で大事な何かが永遠に失われる――そんな予感と恐怖に襲われていた。
「志賀谷さーん、詩緒さーん。そろそろスタンバイお願いしますー!」
遠くでADが2人を呼ぶ声が響いてきた。滲む焦りと必死さからは、本番までもう僅かな時間の猶予もない事が伝わって来る。
「ごめん、今行くよ!……これは、それなりに多くの人を見てきたディレクターとしての見立てだけどね――」
声の元へと首を仰いで答えたあと、志賀谷は慌てることなく最後にしっかりと詩緒の瞳を見据えた。
「断言しよう。君はもう、
迷いのないその声に、詩緒の目が大きく見開かれていく。
それは今まさに寄る辺を失いかけている彼女が最も欲した、自分への確かなる評価。
「正面切って反論し、今もまだその意思を折らずに立っている。その時点で君はもう、千駄木から羽ばたくための一歩を踏み出せているんだ。それがダメになってしまった他の子との決定的な差なんだよ」
根拠を挙げないにもかかわらず絶対的な自信を持つその口ぶりが詩緒の遠い記憶――養成所で燻っていた自分を引き抜きに来た千駄木が放った第一声を思い出させていた。
しかし決定的な違うのは自分に向けられているものが、強い武器を目にしたようなギラついた眼差しではなく――
「歯向かった先まで含めて責任は僕が取るから、君は自分で正しいと思った事をまっすぐやりなさい」
手を離れて歩き出す子の背中を見る、親のそれとよく似ていた。
一足先にクルーたちの元へと戻っていく志賀谷の背中を見送る詩緒は、柔らかな熱が広がっていく胸の前でぐっと拳を握る。
その力強さに浮き出た拳骨がタイピンを僅かに揺らし、緑の光がちらりと瞬いた。
※ ※ ※
何が、起きている――?
目の前に広がる光景があまりに信じ難いものだったせいか、千駄木は急に足元の地面が消え去ったような心地に囚われていた。
「皆さんももう一度、噂をしっかり確認してみてください。きっと最初の彼以外に、ここで亡くなった人なんていない筈です。まぁ、怖い目に遭った人くらいはいるかもしれませんけど……きっとささやかなものでしょう。住処を荒らしたんだから、自業自得といえる範疇の」
千駄木の奥歯が音を立てて軋む。
台本と全く違うセリフを口走りながら、険しさを増して僅かに上を向いた詩緒の顔。それは向けられているカメラのレンズを通り越し、後ろに座る自分に対してひどく挑戦的な意味合いを叩きつけている。
被害妄想で片付けられるはずがない。現に俺の言いなりでしかなかったアイツが、今まさに穏やかな口調で牙を向き、俺の番組をぶち壊そうと……いや、現在進行形でぶち壊しにかかっているからだ。
「少なくとも私には何も悪い事は起こっていません。あったのはわざとらしい演出だけ」
「志賀谷――」
番組は明らかに破綻へと向かっている。にも関わらず全く動く気配のないもうひとりの責任者の名を口に出しながら、千駄木は頭をフルに回転させる。
シオはガラスの事を『スタッフが割ったもの』としか口にしてはいない。ならばまだギリギリごまかしようはある。
この後のシオを志賀谷が、カガミを自分が一挙手一投足制御しきれば――千駄木は横を向いて相棒の顔を伺い――そこで全てを察した。
自分と目を一切合わせず、焦りも見せず。スタッフの誰にも撮影を止める命令を下さないそのスカした顔。
間違いなく、こいつの差し金だ。
「テメェ、トチ狂ったかよ」
「あの子は正直な感想を言っているだけだし、僕は君の暴走を止めにかかっただけだよ」
一瞬にして顔を真っ赤にした千駄木が、勢いよく立ち上がる。慌てて横に立つスタッフが手を伸ばして支えなければ、マイクに椅子の倒れる派手な音が入っていただろう。
「ここに来るものすべてを害するような悪い霊が巣くっている、という話は的外れですよ。まぁ、最も――」
一触即発の空気を尻目に、シオの破壊は続く。
そこで言葉を切ってから、改めてカメラの方をキッと睨みつけるその視線に射抜かれ、千駄木の胸には猛烈に悪い予感が広がっていった。
「……めろ」
志賀谷の胸倉へ伸ばしていた手も止まり、千駄木は戦慄く唇で制止の言葉を漏らしていた。だがそのごく小さな空気の振動は当然、彼女に伝わることなく途中で霧散する。
万が一その耳へと届いたところで、崩壊に向かう流れが変わることはなかっただろう。
「私には霊能力なんてないんで、断言はできませんけど」
本来あってはならない、高らかな虚偽の宣言。
番組のハッシュタグはその直後、最大の盛り上がりを記録することとなった。
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