23『人間模様16~決意の裏側①~』

 表情が、空気が、全てが凍り付いたように動かずにいる。

 隣に立つカガミも、後ろで見る千駄木も、背中を押した志賀谷ですら――その場にいるスタッフが全員、唐突に落とされた爆弾がもたらしたあまりの衝撃に思考と言動を吹き飛ばされていた。

 その中でただひとり、浅い呼吸を繰り返しながら震える指先で胸元を握りしめるシオだけが、身体に帯びる熱と頬を伝う汗の感触で時の流れを感じていた。

 『言ってしまった』というとてつもない後悔。

 そしてそれよりも大きな『言ってやった』という達成感。駆け巡る二つの背反する思いが視界すらも揺らし、足元は気を抜けば崩れ落ちそうなほどにグラついている。

 番組の、千駄木さんの意に背いた。この番組が終わればきっと、私は『Esのシオ』ではいられなくなる。

 だけど応援してくれている皆に、そして自分自身にさえ嘘を吐き続けなければシオでいられないというならば、きっと私は早晩そんなを嫌いになり、抱えていられなくなるだろう。

 口に出してしまった今でも、その考えは変わらない。


 だから私は、間違わなかったんだ。

 ならば惑っちゃいけない。

 言葉を続けなくちゃいけない。

 混乱の満ちていく現場と混沌に呑み込まれゆく思考の中、シオはその確信だけを寄る辺にしてハッキリと定めた視線でカメラを捉えていた。




 

 

 ※     ※     ※





「詩緒ちゃん、この番組はあくまでだ。起きた事を大袈裟に演出はしても、起きてもいない事を起きた事にしてはいけない」


 無情ともいえる志賀谷の物言いに、シオは言葉を失って立ち尽くした。そしてしばらくの合間を以た後、歪んだ顔を上げて彼の目を睨みつける。

 

「なら、どうすればいいんですか」


 志賀谷の論はつまり、千駄木の指示に従うなという意味を内包していた。だがそれによって生じる不利益のケアもないままに清廉を貫いたところで、結局自分は無益な人柱となるだけである。承服しかねる詩緒の口が尖る。


「簡単さ、君がこの場所と住んでいる誰かについて思っている事を、これからのクライマックスで包み隠さず言えば良い」

「でも、それだと番組が……」


 訊きたいのは、そういうことじゃない。詩緒の抗弁にははっきりと苛立ちが籠っていた。

 今まで番組は『ここにいるのは質の悪い悪霊』という体で話を進めてきている。それがここで自分が急に手のひらを返せば、前後の文脈が繋がらなくなる。

 その矛盾を詳らかにしろという事は詩緒にとって結局、番組のヤラセを暴露しろという指示とイコールでしかなかった。


「大丈夫。モキュメンタリ―じゃない以上その食い違いは僕たちがどうにかする領分で、もとより君が気を回す所じゃないんだ。『周りはそう言っていますが、私はこう感じています』……それでいい。番組の主張とは食い違うけど、ドキュメンタリーって趣旨からは外れないさ」


 そんな不服を読み取ったように、志賀谷は先回りして補足を加えていいく。それは網の目を抜けるような、悪い言い方をすれば小賢しさすら覚える論回しだった。


「そうですけど……」


 しかしそこに一応の筋が通っていると認めたのか、口を挟む詩緒の顔からは少しだけ険が抜けていた。

 そんな屁理屈で、千駄木は納得するのか。

 私を許し、今まで通り仕事を回してくれるのか。

 ドキュメンタリーの定義云々ではなく、自分の描いた絵図から外れようとする意志を見せた時点で、彼は私を許してくれない気がする――詩緒の心配を微分していけば、結局残るのはその一点に尽きた。

 歌も、踊りも、喋りも。他人と比べて明白に図抜けた実力があったわけじゃない。

 そんな自分がここまで駆け上がれたのは紛れもなく、自分の手綱を握る千駄木が持つ業界内における影響力の大きさによるものだった。

 その力が不興を買った事でマイナスに反転し、ひとたび自分に襲い掛かってくれば……結末は想像するまでもないだろう。

 今の地位や名声に未練がある訳ではない。だけど家族を思えばどうしても、今ここで路頭に迷うわけにはいかない。

 ならば従う以外の選択肢はない。それに従いたくないだけで最初から、結論は出ているもどうぜんだった。

 けど。

 ならば。

 このままずっと私は、言いなりになって嘘を吐き続けるの――?


「……これは千駄木にも言ったけど、視聴者は嘘を簡単に見抜くよ」

「えっ?」


 認めたくない明日への板挟みの中、ふいに投げかけられた志賀谷の一言。それが突然話題を変えられたようにしか思えなかった詩緒は、芯の入らない虚ろな声を返す事しかできなかった。


「ここに入る前、バスの中で千駄木とやりあっていたろう。だったらもうのさ」

「おそい……?」


 意味も解らずに、詩緒は頷きながらただ向けられた言葉を繰り返す。そんな彼女に考える時間と余裕を与えるように、志賀谷は腰に手を当てて靴の先でゆっくりと地面を二度叩いてから改めて口を開いた。 


「口に出してぶつけてしまった時点で、千駄木のやり方に対する疑念が君の中ではっきりと形を持ってしまった。突き返されたそれをずっと抱えたまま、明日も明後日も1年後も、平然とシオをやっていられる自信、あるかい?」

「……っ!」


 志賀谷にとってその問いかけはあくまでイエスとノー、どちらの答えが返って来るかを限定してはいなかったが、詩緒本人にとっては決まりきった答えを確認するためのものでしかなかった。

 思わず絶句し瞳を泳がせる彼女に向かって、志賀谷はなおも続ける。


「中には目的の為に嘘で自分を殺しきれる人もいるけど、詩緒ちゃん、君はそうじゃない。だからこそ千駄木と言い合いになったんだからね……いくら見事な演技で覆ったところで、見る人が見ればすぐ抱え込んでいる嘘に気付いて騒ぎ始める。そうなればどの道、千駄木は君を責め立てるだろう」

「そんな――」


 ひどい虚脱感と共に、詩緒の全身から力が抜けていく。その両足は大きくを踏んでいた。

 分岐点は自分が思っているよりもっともっと前にあり、今更自分が何をしたところで流れを変えられはしない――

 志賀谷によって導き出されたその答えは、今までに突きつけられてきた現実とは別の意味で、あまりに無情な結論だった。


「じゃあ、もうどうしようもないじゃないですか――」

「いいや」


 消えゆくロウソクの火にも似た頼りない揺らぎを見せる詩緒の声に、志賀谷は力強い否定を被せて手を伸ばし、その右肩を軽く掴む。


「詩緒ちゃん、君はひとつ勘違いをしている」

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