21『人間模様14~真相と実像~』

 そろそろ23時になる。

 詩緒は志賀谷と向かい合って座り、彼女がここに戻ってくるまでの出来事、そして千駄木と2人でいた間に見舞われた災難についてかい摘まんで話していた。

 口下手なりに伝わりやすくと意識すれば、自然と話すテンポはぎこちなくなる。合間合間に間を持たせるように外す視線が捉えた腕時計の針は、数多のイレギュラーに見舞われた『霊ドル』初のゴールデンタイム放送もあと15分で終わりを迎える事を教えてきた。


 ふしぎだ。

 碌に息を吐く暇もないままにここまで来てしまった気もするし、同時にもう何週間もここに籠っているようなうんざりする徒労感も抱いている。

 矛盾しているはずなのに、自分の中で相争うことなく両立している思い――それは詩緒が今、この建物の主へと抱いている感情も同様だった。

 ここまでに自分達を苛んできた恐怖。

 カメラに残っていないという点を除けば、今までに向かったどのロケ地よりもはっきりと、ここが霊の住処であることを示唆してきていた。

 元来怖がりの詩緒にとって、その事実を恐ろしく思わないはずがない。だが同時に、降りかかった2度の霊障はいずれも自分の窮地を救ってくれた。その上――


「……で、音が止んだと思ったら、私の前にタイピンがチリン、って落ちてきたんです。まるで誰かが探してきてくれたみたいに」


 言葉で振り返るうちに、感情にまでその時の不可思議さが蘇ってきていた。科学的に説明が付かない現象、という点では同じ。

 だが、そこに悪意はない。怖がらせるでもなく、慄かせるでもなく、決して後に費やす手間や金では取り戻せないものを、ただ自分の手元に戻してくれたという善意の事実がある。

 

「志賀谷さん、ここにいる……って言われてる幽霊って、本当に噂通りの悪いなんでしょうか」


 抱く戸惑いは自然と、疑問となって詩緒の口からこぼれていった。


「あっ、す……すみません、こんな時に変なこと訊いて」


 一瞬遅れてその頬に朱が差し、大袈裟に振る手で呈した疑問を取り消そうとする詩緒を遮るように、志賀谷はその顔へと掌を向ける。


「いや、丁度僕も同じことを考えていた」


 しかしそれを言葉で制した志賀谷は、それから受け取った疑問に対して真摯に考えるように腕を組んで唸りを上げた。

 その袖口が妙に汚れていることに気付いた詩緒は、改めて彼の出で立ちを見た。


「……カメラ、取りに行っただけじゃないんですか?」


 そこで初めて、詩緒は彼の異様さに気付く。

 どんな過酷な日程が続く現場でも常に小奇麗な印象を抱かせる志賀谷だが、今の彼には服のあちこちに擦り汚れや蜘蛛の巣の痕がくっついていた。特に目を引くのは右足に吐く革靴に刻まれた爪で引き裂くような傷跡と破れたすそだった。

 少なくとも今まで通ってきた道を往復するだけではここまで汚れることはないだろう。疑問を呈する詩緒に、志賀谷はこともなく頷いて見せる。


「ちょっと気になってね。戻るついでに最初に通るはずだったルートを見てきたんだよ」

「あの塞いでた瓦礫をどけて?ひとりで?」


 いくら大の男とはいえ、あんなものをひとりでどうにかできるとは思えない。記憶の中にあるバリケードの威容を思い出し、確かめるような口調で問いを重ねる詩緒に向かって、志賀谷は早合点を笑うように軽く首を振ってみせた。

 

「違う違う。裏手に回って通用口から入っただよ。ドアがロクに開かなくて機材入れられないから、ルートからは外していたんだけどね。で、そこから入って階段を見に行こうとしたら……これだ」


 志賀谷は苦笑しながら右膝を曲げて脚を上げ、幾筋にも破れたスラックスの裾を指差す。改めて注視した詩緒は、そのくるぶしにうっすらと血がにじんでいること気付いた。


「階段の手前、踊り場の床が腐ってたんだ……そこを迂闊に踏みぬいちゃってね」

「い、痛くないんですか」

「何、見た目ほどひどいもんじゃないさ。乗ったのが僕ひとり分の重さだったから割れ目に足を取られる程度で済んだけど、これが大人数だったらどうなっていたか」

「でも、本番前にADさんが下見に行っていたんじゃ――」


 そこまで抗弁を立てかけて、詩緒は何かを思い出した気付いたように口元へと手をやる。その表情にもまた緊張が戻っていくが、寄る眉間の皺と互い違いの眉根は、抱いた驚きと同時に何か戸惑いを覚えている事を示していた。


「踊り場の辺りは大して散らかってもなかったからね……多分撮影前に入ってくれた子は、そこまで行かなかったんだと思う」


 口早に語る理由についての類推にも、詩緒は相槌ひとつ返さない――本題は、そこじゃないからだ。

 志賀谷もまたそれが当然というように、小さく頷いてから静かに続けた。


「覚えてるよね?本番前のわずかな時間であの瓦礫が積み上げられて、僕たちは通行を阻まれた……でもこうしてみると、まるで僕たちが気付けなかった危険を避けさせてくれたみたいじゃないか。普通、逆じゃない?彼が本当に悪霊だっていうならさ」


 詩緒は何度も首を縦に振る。

 直接経験した形ではないにしろ、志賀谷もまた出来事どうしを繋いで自分の覚えたものと同じ疑問を抱くに至っていた。

 だからこそ『ここにいるのは悪い人――もとい、モノなのかどうか』という詩緒の問いかけにも、嗤わずに真正面から受け止めていたのだ。そして口にこそ出していないものの、その答えもまたふたりして同じものを握っている。

 

「そうなると、の筋書きどおりに進めるのも、少し考え物だよね」


 その確認を取る必要もないといった風に、志賀谷は少し芝居がかった口調で肩をすくめた後、ずっと合わせていた視線を一度外した。

 自分の肩越しに遠くへ飛ばされた目線。振り返る詩緒が追いかけたその先には、足を組んで座りながらうんざりした様子で詰められる各務を眺める千駄木の顔があった。


「――っ!」

 

 千駄木さんと一緒に見舞われた現象については話した。けれど、千駄木さんが私に何を強要してきたかまでを話す勇気は出なかった。


 それなのに、どうして……?


 心臓が言い表せないざわめきを覚え、詩緒は回した首を慌てて戻す。それを待ち構えていたように、視界の中央で志賀谷のどこまでもフラットな目線と交錯した。

 番組の台本は集めた事前の情報をもとに放送作家とディレクター、そしてプロデューサーが合議した上で決まものであり、決して誰かひとりの独断で流れが作られるものではない。

 同時にそれは付いて回る諸々の責任も三者に等しく伸し掛かるという性質も意味しており、志賀谷の実直な性格上狂った流れのしわ寄せを誰か独りになするようなことはしないはずだ。

 にも関わらず、彼は

 その目線の移動が、何を意味するか――

 こちらを探るでも、まして責めるでもなく、しかし庇い立てをするわけでもない。ただじっと相手の出方と次の言葉を待つ姿勢。そこには確たる証拠も、ましてカマを掛ける文句ひとつも存在しなかった。

 けれど……

 志賀谷が言外に自分へと向けてきている意思。覚えたわずかな不自然さを皮切りに、後はほとんど直感に近い形で、詩緒はその正体を感じ取っていた。

 

 千駄木さんがヤラセを指示してきた事も。

 私がそれを断り切れなかったことも。

 志賀谷さんは既に、起きた事全てを見抜いている。


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