15『幽霊模様6~どったんばったん大騒ぎ~』
「なんというんでしょうか……僕、ドアを開けた途端に独特の重苦しさみたいなのを感じているんですけど、シオさんは――」
「え、えぇ……そう、かしらね」
本人としては一世一代の名演のつもりであっただろう。実際聞いているこっちもよくまぁ嘘を真に迫らせるものだと感心してしまうような絶妙な振りだった。しかしシオの返すうろんな返事で、またも緊迫が台無しになる。
……いやぁ、居たたまれない空気だなぁ。
稚々拙々としたやりとりと、それにいちいち挟まる微妙な間。心霊番組のクライマックスとしては、現状名折れもいいところだろう。俺はその地獄のような雰囲気をMCとカメラの合間ド真ん中という特等席で眺めていた。
カガミとかいう男のほうは最初こそビビり散らかしたような表情を浮かべながら入ってきたものの、今では別の意味で戦々恐々とした顔をしている。
大方、まるでポット出の芸人が滑り倒したようなこの空気の中、それでも番組が無事に進行するか――もとい、色濃く浮かぶ失敗の気配を自分のせいにされやしないかと心配しているんだろう。
かたや……俺はカガミの前から体を滑らせ、今日においてわりと散々な目に遭っている女の子――シオの顔を下から覗き込む。
恰好こそ部屋の奥、俺の落っこちた大穴を睨んではいる。その後ろ姿だけを見れば曰く付きの場所に真っ向から立ち向かう霊能者に見えなくもない。
だがその顔はと言うと……カメラに背を向けているのが幸いと言えるだろう。恐怖や緊張、まして凛々しさなどというものとは程遠く、どこか虚ろさを漂わせてあがら沈んでいる。
番組が映像を通し、視聴者へと伝えたいもの。それに全く心が割かれていないのは明白だった。しかしそれはカガミのように失敗や不利益を憂いてのものではない。視聴者と違って現場の張本人であるところの俺は、それまでの内幕をこの目で見てきたからわかる。
俺よりよっぽど死人のような顔を浮かべるその下で、時折ポケットに入っている指がごそごそと動いている……きっと、渡されたかんしゃく玉を指の中で持て余しているのだろう。だとすれば今の彼女の感情を支配しているのは9割9分、さっきの一件だ。
――アイドルってのも大変だねぇ。
思わず浮かべた同情を届かぬ声に乗せながら身をひるがえし、カメラの向こうにいる彼女をこんな顔にしている張本人――千駄木プロデューサーを睨んでやる。
今は本番真っただ中、スタッフの全員が向けるカメラの先に全神経を手中させている。こちらを見ながら耐えるように口を結ぶプロデューサーの志賀谷……だっけ?そいつの表情に代表されるように、誰もがこのままでは取り返しのつかない事態――放送事故に繋がると分かっていながら、しかし現状を打破する手立ても思いつかないまま、何もできずただ見守るしかできずいる。
さぞ歯がゆい事だろう。しかしただその中でひとり、千駄木だけが違った意味合いでの苛立ちだけを浮かべている事に気付くものはスタッフの中にいなかった。その真意まで分かっているのは直接指図を受けた本人と、それを立ち聴きしていた俺だけだ。
なんというか、段々とホストのこっちまで申し訳ない気持ちになって来た。ここで彼女が意を決した顔で『いるわね』と断言でもしてくれれば、それを合図に色んなものを飛ばしたり鳴らしたりしてやれるのだが、それも期待するだけ無駄といったところだろう。
ヤラセの指示に加え、番組降板どころか契約解除までチラつかされているシオが、マトモな神経でカメラの前に立っているはずがない。
だからといって見切り発車で事を起こしてしまえば、今の彼女は更に混乱の坩堝へと叩き落される、きっと立ち直れなくなり、それこそ中継どころではなくなる。そんな光景が容易に想像できる。
手をこまねいているのは結局、俺も同じだった。
ここに至るまでに時間をかけ過ぎたせいでもあるし、中継と中継の合間でクルーたちの様々な思惑が交錯し過ぎたせいでもある。もしこの番組がドキュメンタリーであり、彼女に降りかかった受難を余すことなく映していれば、今のシオの言動には同情や擁護の声が上がるに違いない。
だが見せているのはあくまで心霊バラエティー番組。テレビの前にいる視聴者たちにとっては映り込むものが全てなのだ。カメラが回っていない間に起きた内々の事情なんて慮ってはくれない。
「シオさんが青年の落ちたという大穴を見て、微動だにしてます……きっと、何かを感じ取ったのでしょう」
もう数える事すら痛々しい沈黙の後、今までに輪をかけて芝居ががった口調をカメラへ向けるカガミに、スタッフ全員の顔色が一世に変わった。
ADからのカンペもインカムからの指示もない状況にとうとう彼は痺れを切らし、独断で強引に舵を取り始めている。
マズイってそれは、劇薬にも程がある。
その先の段取りも事態の収拾も考えていない、取って付けたような進展を匂わせる盛り上げ。
その先に待っているのは炎上ですらない。ただただの失望と人気離れだ。素人の俺ですら失敗の予感をありありと覚えるハンドリングに、スタッフ全員の顔色が変わった。
「千駄木、もう限界――千駄木?」
それまで歴戦を思わせる落ち着きを見せていた志賀谷も、カガミの暴走には面食らったようで、潜めた声に焦りを乗せながら横を向いていた。
ベテランふたりでどうにか、この窮地を抜け出す知恵を絞ろうとしたのだろう。しかしその表情は更なる混迷に歪むこととなった。
傍から見ている俺ですら気付かなかった。いつの間にか、隣にいるはずの千駄木の姿が消えている。
指揮官の片割れが突如消えた現場は、いよいよもうしっちゃかめっちゃかの様相を呈していた。クルーたちの顔は皆青ざめ、局へと戻った自分たちを迎えるであろう叱責の声に今から怯え切っている。
……くそ、やるしかないのか。
それを見る俺にも、決断の時が迫っていた。カガミの妄言に乗って本物の騒ぎを起こし、番組の体裁を守ってやるべきか。そうすれば番組は盛り上がりを取り戻すし千駄木の機嫌も収まる。シオもヤラセに手を染めなくて済む。
ここにいる全員とって都合がいい。その「全員」には俺も含まれていた。
何もしなかった先に待つ、お茶の間に流れるクソ寒い画。それは視聴者に『結局ここは幽霊なんていない、偽物の現場である』という認識を与えるだろう。そうなれば訪れる人間は減り、俺の成仏は遠のく。
迷う必要はないはずだ。
しかし、それでも――脳裏にシオの、まるで死人のように魂が抜けたあの顔が過ぎる。
今までのやり取りを見ていて、元来彼女が怖いモノや事態は大の苦手なのだということは痛いほど伝わっていた。お仕着せの剥がれたあの顔を更に追いつめてまで、大人たちの都合に巻き込む。
それは果たして正しい行いと言えるだろうか。
ヤラセの回避と、本人の許容量を上回る恐怖、それは天秤として釣り合っているか。いくら考えても、その答えは本人にしか、いや、本人にすらわからないだろう。
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」
そんな躊躇いの時間は、一瞬にして過ぎ去った。ガラスの砕ける轟音と共に、カガミの絶叫。そこへマイクを付けていないスタッフまでもが上げた悲鳴が幾重にも重なっていく。
「な、何……ひゃっ!」
シオだけが唯一別の方向を向いていたせいで事態の把握が一瞬遅れた。そんな彼女を突き飛ばし、カガミは一目散に部屋の外へと駆け出していく。もはや番組の体裁どうこうなど、とうに頭から吹き飛んでいたのだろう。自分の醜態がばっちり映り込んでいることなど気付きもしないまま、彼は向けられていたカメラの向こうへと消えていった。
「カガミ君!待ちなさい!」
呆気に取られていた志賀谷が一足早く我に返り、大声で呼び止めながら部屋を出ていく。それに連なるスタッフの足音がしばらく続き、静寂を取り戻した部屋には主役であるはずの俺がひとり、ぽつねんと残されることとなった。
……いや、まだ、何もしてないぞ?
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