14『人間模様9~最終手段~』

「……短ぇが、しゃあねえか」


 千駄木はひとりごちると、それまで食い入るように眺めていたスマートフォンを懐にしまって顔を上げた。遠目では志賀谷の指示のもと、カガミとシオを中心に集まったスタッフたちがこれから向かえるクライマックスの中継に向け、支度を急ピッチで支度を進めている。


「お前、ちょっと来い」


 志賀谷との口論が一応の収まりを見せて以降、今に至るまで仏頂面と無言を貫いてきた千駄木が初めて発した誰かに向けての声。一瞬喧騒が途切れ、それから円の外側にいるスタッフが数名彼の方を向く。しばらく続いた譲り合うような、押し付け合うような視線の交錯の後、現場での経験が最も浅いADのひとりが彼へと駆け寄ってきた。

 まだ流儀の半分も会得していない上にこうもイレギュラー続きでは、スケジュールの合間合間に自分が何をしていいか分からなくなって手持ち無沙汰になる。その度に覚えるいたたまれのなさが、今やこの場で一番の腫物となったプロデューサーの呼びつけに答える事への不安を上回ったのだろう。

 とはいえ、彼はこれから何を頼まれるのか見当が付いているわけではない。緊張に顔を強張らせるADに向かって、千駄木は自分のスマホを投げてよこした。


「この動画、番組のチャンネルにアップできるか?SNSでもいい」

「動画……?」


 促され、改めてADが画面へと目を落とす。千駄木が指したのはほんの10秒にも満たない、短い動画ファイルだった。訝しみながら目を凝らすも、薄暗い画は間断なく上下左右へと振られており、小さなサムネイル表示では一体何を映したものなのか見当すらつかない。

 当惑するADが目で訴え、千駄木は自らのワイヤレスイヤホンを渡しながら頷く。ティッシュで一度拭ってから耳に嵌めて、画面を横にして再生するADの表情は、みるみるうちに驚愕のそれへと変わっていった。


「千駄木さん、これ……」

「おう、俺達が嘘つきじゃねえって証明になるだろ?」


 それは先ほど千駄木とシオを襲った怪奇現象……の、ラスト10秒ほどを収めたものだった。転んでもただは起きない彼の気質か、それともテレビマンという生き物としてのプライド故か、あの短い時間で必死に湧き上がる恐怖を抑え込み、転けつまろびつしながらなんとか記録に収めていた。

 四方八方と言っていい、画面に向かってあちこちから次々と飛んでくる物の嵐。あの時自分達から離れていったのは千駄木とシオだけだ。

 つまりこれは僕達じゃない誰か――いや、が起こした現象と認めるしかない。ADは思わず生唾を呑む。


「これが本番で起きてくれればいいんだけどよ……ま、って奴だ」

「起きてくれれば、って……危ないじゃあないですか」

「バカヤロ、これが俺達の仕事だろうが」


 頭をはたいてくる千駄木をADは尊敬半分、畏怖半分の瞳で見つめつつしばらく呆けていた。経験の浅ければ物を見る目も曇る。その下に潜る企みにも気づかぬまま、彼は自分にとっていつか辿り着かなければならない境地にいる者からの拝命を、疑いひとつなく受領した。


「何してるんだい。そろそろ始めるよ!」

「今行く!……で、どうだ?」


 遠くから呼びつける志賀谷にぶっきらぼうな返事を返しながら急き立てる千駄木に、ADは少し間を置き、頷きをひとつ返す。


「この長さならどっちでもいけますね……どうせ動画サイトに上げてもSNSで告知しなきゃいけないから、そのまま貼っつけちゃうほうが手っ取り早いかと」

「じゃ、頼むぜ。タイトルとキャプションはお前のセンスに任せる。志賀谷には俺から行っとくから、早速ロケ車に戻ってくれや」


 ――ま、けどな。

 勢いの良い返事とともに駆けだすADを見送りながら、千駄木はポケットから出した手で鼻を擦る。指先に残るほのかな火薬の香に湧き上がる笑いをかみ殺しながら踵を帰し、何食わぬ顔でスタッフたちの集まる部屋の前に歩いて行った。






 ※     ※     ※






「では、開けますよ……もし何かあったら、よろしくお願いしますよ。シオさん」


 さび付いたドアノブに手を掛けながら、強張った表情を浮かべるカガミの視線がゆっくりと後方のカメラへと向く。

 泥を掻くようなもたつきを思わせるその振り向きには役目としてもうひとつ、途中で目線が交錯するシオへの合図としての意味合いも持っていた。台本には『鏡の態度とは対照的に動じる様子ひとつもなく頷く』と示し合わせが付いている。

 はずだった。


「……シオさん?」


 開き過ぎた間隔に溜まらず訊ねるカガミの声にも、シオは反応を示さない。

 もちろん躊躇いもあっけもなく開けてしまえば、視聴者を引き込みきれない。多少長いくらいの間を設けるのは演出として正しいといえる。だがそれにも限度はあり、冗長が過ぎれば却って急速に乗りかけていた興が覚めてしまう。

 

『シオちゃん』


 対応し、いち早く動いたのは志賀谷だった。その迅速さは彼女の異常を察知したというよりも、あの短い休憩で彼女のメンタルが回復しはしないだろうという長年の経験に基づく予測をあらかじめおいていた効果と言った方が正しい。


「え、ええ……まかせなさい」


 とはいえ、それだけで状況を持ち直させられるかというのは別の話だった。凛とした姿勢からは程遠い胡乱な返事を返すシオの焦点は未だに定まっていない。志賀谷は目を伏せ、千駄木はまたも舌を打った後、ふたりして同時に目だけでカメラマンに視線を送った。

 フォーカスを睨む彼はふたりに次いで歳を重ねた、クルーの中でもベテランのメンバーだ。脇目だけで意思をくみ取り、違和感を覚えさせないレベルで巧みにシオを画角から外していく。

 本当ならばさらに時間を使って期待感を煽る予定だったのだが、霊の気配とは別の意味合いでこうまで空気が冷え切ってば、これ以上じらすのは逆効果だ。再び志賀谷はインカムを通し、今度はカガミにドアノブへと近づくように指示を飛ばす。

 1歩、2歩……MCのふたりを中心とした半円が、まるで包囲するようにドアの前を固める。


「やっぱり、まだ早かったんじゃないかな」


 距離が離れた事でマイクに拾われないと判断したのか。眉根を潜めていた志賀谷の喉まで出かかっていた懸念が限界を迎えて口から洩れる。


「心配するだけ無駄だろうよ」


 まるで窮地の我が子を見守るような志賀谷とは対照的に、千駄木は冷たく言い放つ。

 それを無情の表れと捉えた志賀谷の視線は、いよいよ軽蔑の色を隠さなくなっていた。


「本気で言っているのかい……?これで何が起きても起こらなくても、パニックのぶり返しがひどくなるだけだぞ」

 

 千駄木は返さず、口の端に薄い笑いを浮かべるだけだった。

 志賀谷が心配しているのは、頭の中で想定外の出来事にテンパる彼女の姿を想像してしまったからだろう。

 


 それならば、的外れって奴なんだなぁ。



 シオにとっても俺にとっても、想定外なんて起こりやしない。いよいよドアノブを捻ろうとするカガミの後ろに立つシオの腰元を見やりながら、千駄木は再び指先で鼻を擦る。

 据えた火薬のにおい。今頃あいつのポケットの中には同じ匂いが染みついているはずだ。

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