13『幽霊模様5~嫌がらせが生業ではない~』

「あぁ?なんでだよ」


 返す口調には明らかに棘が籠っている。

 繰り返される志賀谷の制止に、千駄木の胸には先程までと別の苛立ちが募ってきていた。


「部屋の作りも変わらねえだろうが、ホテルなんだしよぉ」


 それと同時に志賀谷がここまで意固地になって異を唱えてくるという初めての経験に覚える不透明な焦りが、練りきらないままの反論を口に上らせる。


「有名なスポットだ。部屋が違うことなんてすぐにばれる。ネットの民はうるさいぞ。それに――」


 容赦なくその稚拙さを指摘し志賀谷は、そこで一度言葉を切ってからシオへと目を向けた。

 未だに彼女に残るプロとしての芯のおかげか、撮影再開の空気を読み取って地面からその尻を離してはいるものの、未だ焦燥の色濃く残る顔は涙で崩れたメイクも相まって、とてもではないが今すぐにカメラの前に出せるものとは言えなかった。

 志賀谷さん、私は大丈夫なんでしょうか――

 己に向けられる視線に込められた請願に、志賀谷は振るかぶりと微笑みを以て返す。


「彼女があんな状態じゃ、すぐに再開は無理だ。それまで君とシオが何を話していたかは知らないが……責任がないとは言わせないぞ」


 そうしてから表情を一変させ、斬って返すように千駄木に向け直す顔の鋭さには、暗に察しがついているという警告の意味も込められていた。


「おーおー、ここで番組すっぽかして道徳の授業でも始めようってか。スポンサーが知ったらどんな顔すっかねぇ。責任が聞いて呆れるぜ」


 しかし、千駄木はそれで怖気づく程尻の青い男ではない。

 なによりここでおののくのは、自らの愚行を認めるに等しい。もはや自分にとっては今この場で何よりの障害と認識を改め直し、皮肉たっぷりな笑いを交えながら対峙する。

 狂犬のごとくぎらつく眼光を放つ千駄木と、境地に達した剣豪のようにどこまでも静かな水面を思わせる志賀谷の眼が、互いの中心線で交錯する。

 元々が真反対と言える気質の持ち主である。これまでも現場トップの2人が意見を食い違わせることは多々あった。しかし大抵は吠える千駄木を困った顔で言い聞かせるようになだめすかすか、もしくはギリギリまで妥協点を探ってから折れた志賀谷が、その後の調整に難儀するかで場が収まっていた。

 だが今に至っては、諭すでもなく、受け入れるでもなく。

 少なくとも志賀谷がここまであからさまに千駄木の荒を、それも逃げ場のない正論を以て責め立てるような事はなかった。

 しこりが残るのは誰の目にも明らかである。

 撮影はどうなってしまうのか?

 いや、それ以前に番組自体は?

 この後、俺達はどっちにつくべきだろう?

 今までにない事態を前に決裂の予兆を覚えながら、ふたりを囲むスタッフはそれぞれの思惑を胸に事の成り行きを固唾を飲んで見守っていた。

 

「……せめて5分、時間を置こう。スタジオには僕が掛け合っておく」

「ったく、イベント盛りだくさんだな、初めてのゴールデンタイムって奴ぁよぉ」

 

 やがて口を開いた志賀谷の提案。その妥当さにある程度納得したのか、千駄木は後ろ頭を掻きながら構えを解く。そんな態度の軟化を見て取った志賀谷もまた、眉間に残った懸念をひとまずは棚上げしたようだった。

 それぞれの心配を他所に、火花を散らすどころか触れることもなく鞘へと収められた刃。ある者は心底からの安心を、またまたある者は不謹慎な物足りなさを噛み合わせた歯の間からため息として一斉に漏らしていた。


「終わったら、ゆっくり話そうか……3


 再び押されたストップウォッチの文字盤のように、スタッフたちが慌ただしく動き出す。その喧騒に紛れて、志賀谷が踵を帰す千駄木へと言葉を投げた。


「……好きにしろぃ」

 

 だが最後っ屁とばかりに鳴らされたその鯉口にも、千駄木はすぐさま束に手を当てるような真似は見せず、代わりに鬱陶しそうに肩上あたりまで上げた掌を振るに留まった。

 それは顕示させた互いの敵意に対し、傍から見れば不自然なまでにあっけないともいえる幕切れと言えたが、少なくとも向き合う当人たちの間には納得できるが、そこには確かに存在している。

 これ以上話を長引かせれば、志賀谷はいよいよ千駄木がシオに対し犯した事への罪状認否を行わなければならない。千駄木にとって自らが起こした蛮行を掘り返されるのは損でしかないし、シオの身を案じる志賀谷にとっても、衆人の前でそれを詳らかにするのは避けたい所だった。

 そして何よりまずは、ただでさえ全く香盤表から外れてしまったこの番組を無事に着地させ形にしなければ、ここにいる全員がとてつもない不利益を被ることになる。

 要するに――互いに怒りを煮え立たせ自らの論を立てつつも、その裏で丁度の良い刃の収めどころを探していた形である。2人に共通していた意識の根底、この業界に長く身を置くものとしての優先順位。テレビマンとして持ち得ていなければならない責任感が、諍いの延長を忌避していた。






 ※     ※     ※






 どうやら、一触即発は避けられたってとこか。

 まるで駄々っ子のように連続してそこいらのものを投げたせいで、じくじくと痛む肩をさすりながら、俺は部屋から出ていく一行の背中を見守っている。先頭を切った千駄木とやらに続いてスタッフの下っ端から順々に廊下へと躍り出て、シオに大袈裟な心配の目を向けながら寄り添う形でカガミ、その後につく志賀谷の背中が殿しんがりとなっていた。


「――


 ……ん?

 再び真っ暗になった部屋の中で首を傾げる。一団が部屋を後にするまで、並び順に関わらず混線するような会話は絶えず続いていた。

 が、志賀谷が最後に残したその言葉だけが妙にはっきりと届いた気がしたような……そう感じるのは、その声がか?

 

 いや、まさかね。

 多少はましになるものの、別に幽霊だからって暗闇の全てが見通せるようになるわけじゃあない。結局多少記憶の糸を手繰ったところで、その言葉を発した彼の首から上がどっちを向いていたかなんてことは思い出せもしなかった。

 まぁ、それはともあれだ。

 紆余曲折あったものの、ようやく番組はクライマックスを迎えるといった局面に来ている。普段の俺ならば疼くサービス精神に任せてさっき以上に気合を入れて棚を揺らしたりガラスを割ったり物を投げたりしてやると息巻くところ……なんだけど、今に限ってはどうにも気が乗らない。

 というのはやはり、MCの片割れであるシオとやらの素顔を見てしまったからなのだろう。

 個人的にはあのちょっと小動物感すら漂う困り眉と、震える瞳の方が好みではあるくらいなんだけど、どうもそれは局や番組の意向とはそぐわないものらしい。

 その上――いくら助ける為だったとはいえ気合を入れ過ぎたかもしれないが、さっきカマしてやった人力ポルターガイストの時は金切声に加えて腰まで抜かしていた。

 とてもじゃないがテレビに映せないような歪み方をした顔を見てしまっては、もしかしてむしろ常人よりも怖いものへの耐性が低いのではないだろうかという疑念すら湧いてくる。

 興味深々で入ってきた奴らなら歓迎のしがいもあるけど、本当に嫌がっている事を知ってなおに徹するのも人としてどうなんだ……いやもう人ではないけどさ。

 別にテレビ局に義理がある訳でもない。大滑りしたところでこっちに不利益があるでもない。

 けれどもこのまま黙って肩を落とす彼らを見送ることになるのも、それはそれで後味が悪くないといえば嘘にもなる。なにせカメラの外では本当に霊現象に見舞われているわけだし、結局嘘つき呼ばわりされるのはシオも一緒だった。

 それに加えてさっきの志賀谷の一言、だ。あれの意図するところがどうにも不透明過ぎて、胃もたれにも似た感覚が腹の奥から湧いてきていた。


 またメールでも送ってお茶を濁す位にするべきか――っと!

 迷いながらスマホを取り出す指が滑って、薄いボディが宙を踊る。2,3度ジャッグルお手玉しながら慌ててキャッチした拍子に誤作動でも起こしたか、安堵の息を吐く俺の足元をいつの間にか灯った背面ライトが照らしていた。

 ……アレ、なんだ?

 照らす範囲の境界で、小さな何かが輪郭のぼやけた光を反射してこちらの目を突いた気がする。一瞬捉えて頭に結んだ像だけでもわかる、割れたガラスとは明らかに異なる人工的な直線。

 俺は痛む腰と腕を押して、注意深く床へ光を這わせていった。

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