12『人間模様8~対照~』

「うおおっ!」


 割れた瓶、砕けた置時計、折れたスタンド照明。

 千駄木は雄たけびを上げながら、次々と飛んでくる瓦礫の数々を必死に躱していた。こけつまろびつ。端が破れただけで激昂していたお気に入りのスーツは泥と汚れにまみれ、いまやもう見る影もない。

 それほどまでに千駄木は、突如起こった理解を越えた事態に混乱していた。恐怖のあまりただ隅でしゃがみこんでいるシオに見向きする余裕も一切なく、それゆえ今部屋を飛び交っているものの全てが事にも気づいてはいなかった。


「千駄木さん!シオちゃん!何があったの!」


 物が壁に当たる音に交じって、外からは異常を察知したスタッフの叫び声と必死にノブを回すガチャガチャという音も聞こえてきてはいる。

 しかしかたや恐怖、そしてかたや迫る危機によって思考は塗りつぶされたふたりには、無事を知らせ助けを求める声を返す発想が頭を過ぎりすらしなかった。

 叩きつけられる非現実の前に、永劫とも感じられる時間が過ぎ――

 

「こりゃあ、カメラ呼んでこねえとな……いいか、この話は後だ」


 ふたりの距離が充分に開き、口論の熱もすっかりどこかへと飛んで行った頃、何の前兆もなく突然部屋に静寂が戻った。震える膝に喝を入れ立ち上がった千駄木は、耳を塞いでうずくまるシオに手を貸すこともなく一瞥いちべつを下す。


「千駄木!無事なのか?!」

「あーなんとかな!それより今こっちにくりゃ一発でヤベーの撮れんぞ!」


 他のスタッフを押しのけてドアの前に立った志賀谷の声に向かって、千駄木はいつもの横柄さをもって口早にカメラを要求する。だがその実、彼の足は抜けかかった腰によって立っているのもやっとの状態だった。ドアまでのあと数メートルも歩けそうにない距離に見えている。


「ちょっと待ってくれ――」

「あぁ?!何でだよ。チャンス逃すぞ!」


 故に張った虚勢の裏には、早くこの部屋に助けの手が入ってきてほしいという願いがしのばされていたが、返ってきたのは承諾ではなく躊躇ためらいのそれだった。旧友にも構わず苛立たしさを前面に出して怒鳴る千駄木の耳には、再びドアノブを捻る音がこだまする。


「さっきから入ろうとしてるんだがドアが……あれ?」


 志賀谷の切羽詰まった声は、途中で突然芯が抜けたようにしぼんでいく。恐る恐るゆっくり、しかしあっさりとドアが開いていき、その顔も心配から怪訝さを表した者に変わっていく。


「……開いてんじゃねえかよ。便乗してビビらそうって胎か?」

「そんなことは……確かにさっきまでは――」


 半眼を向けてくる千駄木に弁明する途中、見回す部屋の一角に震えるシオの背中を見つけた千駄木は言葉を切って一目散に彼女へと駆け寄った。


「シオ、大丈夫かい?ケガはない?」

「志賀谷……さん」


 自分と千駄木、そして千駄木と彼女ほどではないが、志賀谷もまたシオとの付き合いは長い。その柔和な人柄も相まった結果、この仕事以外のものも含めて彼女の相談事を受け持っていた時間を数えれば、怯え切った表情で見返してくるその目に別の意味合いを鋭く読み取った慧眼にも充分説明が付くものだった。


「もう大丈夫」


 目を細めてそれだけ言い残して立ち上がった志賀谷は、一瞬にして表情を厳しいものへと変えて再び千駄木へと身体を向ける。その視線を交差させる前に彼の足元へと目をやり、そこにのみ散らばっている瓦礫の数々を見て何かを得心したように頷いたあと、改めて口を開いた。


「千駄木、一体何があった?」

「あぁ、いきなりガラスが割れて、それから一斉に部屋のもんがこっちに飛んで――」

「違う。だ。何を話していた?」


 互いの顔から、旧友としての色が消えていく。

 いくら仕事に嫌気が差していたとはいえ、これまで彼女がロケ現場で『霊能アイドル・シオ』としての仮面を外すことは一度たりともなかった。仕込みやを問わず、いくら不可解な現象が身を襲い仮面が剥がれかけようと、自分以外のスタッフの目がある時は瞬時に立て直す。その演技に対するプロ根性をこそ、志賀谷は買っていた。

 だが今、大勢のスタッフに囲まれながら自分を見上げてくる彼女の顔は紛れもなく素顔のまま。その事実を見て取るだけで、志賀谷は彼女を憔悴しょうすいさせているものの正体を半ば掴んでいた。


「あぁ?んなもんどうでもいいだろうが。それよりカメラはどうした」

「今は何も起きていない」

「おめーらがグダグダしてっからだろ?」

「……遅れなかったら困っていたのは、じゃないのか」


 すなわち今しがたの怪現象だけではなく、その前――千駄木とふたりでいる時間のうちに何かが起きていたはずだ。

 その正体を探るべく仕掛けた志賀谷のカマ掛けに見事引っ掛かった千駄木が、その表情を露骨に歪めていく。


「……ちっ」


 思わず破れた袖口を隠すが、どうにも遅きに失していた。漂う沈黙の間に集まって来るスタッフ達の白い視線に、千駄木は小さく舌を打つ。


「おら、中継再開までもう時間ねえぞ!」


 ならば、と千駄木はわざとらしいアクションで腕時計を仰ぎ見た後、今度は限界まで強く両手を叩く。自分を刺す譴責けんせきの目が驚きに丸くなっていく様は、彼に奇妙な快感すら覚えさせていた。


「俺達を襲ったアレが隣でも起こってくれるといいが……いっそここで撮っちまうか。視聴者にゃわかんねえだろ、なぁ?」

「え、えぇ、そうっすね」


 千駄木が雑に振り、手近にいたADがその勢いのまま首を縦に振る。ひりつく沈黙の最中突然発する大きな音を以て、強引に場の空気を換える。スタッフの驚いた表情を見れば、それは一定の効果をあらわしてはいたようだった。


「ようし、そうと決まれば位置に――」

「ダメだ」


 たったひとり、全く動じずに疑惑の目を向けてくる志賀谷を除いて。

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