11『人間模様7~傀儡と解放~』

 結論から述べてしまえば、千駄木の願いは通じなかった。

 向けられた通告の意味を改めて噛みしめるように間隔を開け、シオは重圧に丸まっていた背を伸ばす。

 

「……見えもしないお化けをやっつけた話をさせられて、効きもしないお祓いのポーズを取らされて。歌やダンスをどれだけ頑張って、作って、演っているかなんて誰も気にしない。他のメンバーはそんな私を見て陰口ばっかり」


 千駄木によって見出され、芸能の道を歩んで4年。初めて表立って行う反抗の中、シオの口はカラカラに乾いていった。

 そこに多少の裁量は挟まっていても、アイドルにとって会社の総意を代弁して伝えるプロデューサーという存在はある種絶対的なものだ。中でも千駄木の舵取りはいささか独断かつ強引過ぎるきらいはあるものの、立場を問わずそこに異を唱える者も多い。だがそうして生み出される確かな結果は周りの批判を黙らせるに充分だった。

 それだけの事を成している彼の命令に背く――それがどういう結末を示すか。実のところ改めて問われなくとも、シオは充分に理解していた。


「最近はプライベートでも、ファンの方にシオとしての私を求められて……ずっと仕事だからって我慢してきた。けどもう限界なんです」

「……」


 話している間も黙って睨みつけてくる千駄木の眼光に、シオは肌を焼かれるような感覚を覚え続けている。

 心身を蝕んでいく、ひりつくような幻痛。だがそれでも口が止まらないのは、ひとえに彼女のうちにある別の恐怖が目の前の男のもたらすそれを上回っているからだった。


「このまま続けば、私はわたしを見失う気がして……寝ても覚めてもシオとしての言動を求められるなら、それはもうのと同じことじゃないですか」

 

 皮肉にも、この場所と話題が同じ単語で繋がった。

 世間に名前を覚えられはじめた頃から徐々に広がり、今夜ついに千駄木の支配を越えた別種の恐怖。

 存在が忘れられる、失われるという形を変えた死への恐怖。自身も初めてその正体を口にしたことによって、それはシオの中でいよいよ質量を帯びていく。

 襲い来る実感によって、背中へと再び走る寒気。シオは思わずかぶりを振って震えを抑え込む。


「……本当なら、こんなところに1秒だって居たくない。それが仕事だっていうなら、せめて怖いって口に出させてほしい。かけ離れ過ぎてるんですよ。私とシオは」

 

 、俺達はお前を起用したんだけどな。

 心情を吐き出し終えうつむくシオを前にしても浮かんだ反論を口に出すこともせず、千駄木は相変わらず定めた視線を動かさない。

 カメラが回ってなきゃ小心者で気弱なシオがここまで自分に突っ張って来る。そんなお褒めの言葉ひとつで心変わりするような覚悟ではないだろうと踏んでの事だった。

 そして、それと同時に――


「あぁ、そうかい」


 わずかな合間の後、千駄木は急にその態度を変えた。

 向ける声色からは怒りどころか温度すら消え失せ、顔を横に向け視線だけでシオを見るその目は、動かなくなった玩具を見る子供のそれとよく似ていた。 


「わかったよ。お前は二度と嘘をつかなくていい。取り計らってやる」

「本当ですか?!」


 頭ごなしに怒鳴られるという予想に反してあっさりと下りた了承の返事に、シオは驚きと喜びを半々に声を跳ねさせる。

 その柔和な声に引っ張られるように上げた顔の先で、首を僅かに傾げながら千駄木が口角を上げてていた。


「ありが――」

「ついでに明日っから事務所にも来なくていいぞ。仕事は全部他のメンバーに割り振ってやるから」


 それが失望の上に張り付けた嘘のテクスチャであることに気付かないまま礼を述べようとするシオの言葉を制し、今度は千駄木が仮面を打ち捨てる。


「……えっ」

「わかんねえか?クビだよクビ。二度とテレビに出なくなるんだ。嘘を吐く必要なんざなくなるだろ」


 恐らく以前訪れた誰かによるいたずらの残骸だろう。最後通牒を唾とともに吐き捨てた千駄木が、足元に転がるマネキンの首をシオに向かって蹴っ飛ばす。


「……こいつも含めて、今入っている仕事全部中途キャンセルって形になる」


  普段ならばそれだけで飛び上がるほど驚くはずだったが、あまりに突然の解雇通告を前にして、シオは反応ひとつ返せずただただ呆けている。せめてもの憂さ晴らしが空振りに終わり、声にいらだちが混じり始める千駄木。


「お前の勝手な都合でな」


 ならばと暗い未来の断片をひとつ見せてやるが、思考能力が追い付いてないシオではそれが何を意味するががやはりピンと来ていない様だった。


「当然違約金は全額お前持ちだ。お前CM何本持ってたっけ?」

「違約、金……」


 この場にひどく不釣り合いな質量を持った単語に、シオの意識がようやく現実へと還って来る。その言葉をおうむに返して反芻はんすうした途端、その顔からさあっと血の気が引いていった。  


「そういやお前なんでスカウト受けたんだっけ?あーそうだ。お前さん難病の家族いるんだったよな。これから治療費払えるか?」


 無理なスケジュールの調整によって泥をかぶるのは本人だけではない。青ざめたシオの表情だけで下がるような溜飲ではなかった。続け様にわかりきった問いかけを投げる千駄木の顔が、後ろ暗い愉悦によって凄絶な笑みへと変わっていく。


「無、無理です。お母さん、病院から追い出されちゃう」

「んなもん知るか。俺の腕だけでのし上がった分際で勘違いしやがって……偉そうに我儘抜かしてんじゃねえぞクソガキが」


 一片の情けもない言葉に打ちのめされ言葉を失うシオを鼻で笑い、話を終えた千駄木は踵を帰す。

 夢の舞台を降りる、その代償はあまりにも大きかった。これで戻った彼が事務所に話を通せば、彼女に待っているのは一般人としての生活どころか人生の底も底である。

 だが、シオは即座に論を返すことができなかった。決してそれだけと断じるつもりはないが、千駄木の言う通り自らの我儘でもある。それで自分が底に落ちていくのは一向に構わない、その覚悟は確かにあかった。

 しかし、母親だけは。女手ひとつで自分を育て、成功を喜んでくれていたあの笑顔だけは――


「待って、待ってください!」

「しつっけえんだよ!」


 ただただ必死の形相で袖口を掴むシオを、千駄木は強引に振り払う。彼女の指が離れる際に布の破れる音がその耳へと届くと、瞬時に彼のボルテージが沸点へと達した。


「てめぇ……」


 文字通り手を噛まれたようなものだ。

 お気に入りのオーダーメードスーツから弾けたボタンと千切れた袖口を見つめ、千駄木は獣のうなりにも似た声を上げ、血走った眼をシオへと向ける。


「ぐ……っ」


 バランスを失って地面に崩れ落ちていたシオの胸倉を掴み上げ、空いた左腕を勢いよく振り上げる。平手ではなく、完全に拳を握っていることからも怒りで後先が見えなくなっているのは明白だった。

 そのまま顔へと叩きつけられたならば、シオの整った顔立ちも、彼女のキャリアも。それどころか千駄木自身の立場も崩れる。だが、そこに一切の躊躇いも窺えないまま振り下ろされる。


「きゃあっ!」

「何だ?!}


 まさにその瞬間。部屋の空気をつんざくようにガラスの割れる音が響き、内から外に向かってその破片が飛んで行った。

 

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