9『人間模様5~嘘と限界~』

「こいつがいよいよ役立つか……シケってなきゃいいけど」


 外で待っている他の面々に聞こえない為なのか、声を潜めた千駄木はポケットに突っ込んだ手を出す。握った拳を前に出され、その行動の意図が読めず当惑の色を深めるシオは、未だ軽く痛む手首を胸の前で握ったまま黙り込んでいた。


「お前さんたちは世代じゃねえだろうな、見慣れんかもしれないが」


 向けられる疑いの目にも平然と、むしろ軽く意地悪に笑いながら。千駄木がゆっくりと開いた手の中には、パチンコ玉程度の大きさをした川砂利のようなものが数個、収まっていた。

 サイズだけをどうにか整えたような歪な球形はどれも色とりどりに、そしてどこか雑さを覚える原色で塗られ、それが自然に作られたものではないと教えてくる。


「これは――?」


 いよいよ耐え切れなくなったシオが、積み上がった疑問の頂上を口にする。だが千駄木は答えず、代わりに広げた手を僅かに傾けると、乗っていた砂利のひとつがそこから零れ落ちた。小さな音を立てて転がる一粒の上に、千駄木の革靴が被さる。


「こうやって床に落として、強く踏んづけると――」


 ――ばんっ!

 突如鳴り響いた空気の破裂する音に、床に顔を近づけ注目していたシオは油断していた猫のように飛び上がった。


「ひゃっ!」

「かか、今頃外でも騒いでんじゃねえか」


 目をあちこちへと泳がせながら呼吸を浅くするシオを見て、千駄木は心底愉快そうに破顔する。その様子をひとしきり笑って満足し、彼女の呼吸が元のリズムを取り戻し始めるあたりで、急に表情を消してその瞳を据わらせる。

 

「いくつか渡しておく。部屋に入ったら、適当なタイミングでそいつを慣らせ」


 その一言には、それまで焦点の合っていなかった瞳で呆けるシオを正気に戻すには十分な意味合いが込められていた。

 まさか、もしかして。それを言葉に出せないまま恐る恐る向ける視線の先で、千駄木はなんの悪びれもなく頷いた。だがその表情はさっきまでの純粋ないたずら心を表していた悪童のそれから一転し、もっと複雑で汚濁した意思を内包する『大人』のものへと戻っている。


「そしたら俺が画角の外でガラスを割る。畳みかけりゃカガミがいいリアクションすんだろ」

「それって」

「ああ、だよ。今回ばかりは志賀谷のアテが外れっぱなしだ。ここらで俺も一仕事するしかねえだろ」


 その顔はシオにとって、ある意味で見慣れたものだった。彼が自分のプロデュースを担当するようになって以来、土壇場で何度も見せてきた顔。その裏に秘められた期待に答える度、彼女はタレントとしての階段を数段飛ばしで上がっていった。代償として段下に残してきた虚飾や罪悪感からは、必死に目を背けながら。

 ああ。まただ。シオは自らの胸中に黒い雲がかかっていく息苦しさを思い出していた。


「……お前、死んでもカメラの前でそんな顔すんなよ。したら全部終わりだ」


 その思考を読み取るように、先回りで釘を刺す千駄木。傍から見れば若くして不動に見える彼女のキャリアや人気は、その実何よりも繊細で脆い。それを本人以上に理解しているのが千駄木だった。


「いいな。ビビらずいつも通りに振舞え。その為に今いっぺん音聞かせてやったんだからよ。いつもと同じように毅然と霊能者をってくれりゃいい」


 他人の口から改めてそのリスクを説いてやることで、相手の中にある誠実さを圧し殺して半ば強制的に前へと進めてやる。それは過去を振り返ることを嫌い、更に徳利の為ならためらわず清濁を併せ吞む、千駄木の常套手段だった。


「ビビり散らかすカガミとクールに霊を祓うお前の画。見ている奴はカワイイ推しとカッコいい推しを見れて満足。俺達は数字が取れて満足。お前たちは人気を得て満足。三方損なしで丸く収まる。だろ?」


 そして嘘を重ねる方が、真実に向き合わせるより誰しもが幸せになれる道であると誘導する。『必要な悪事である』と正当性を持たせれば、途端に実行へのハードルが下がる。奇しくもそれは洗脳のメソッドと相似していた。

 ダメ押しとばかりにそこに金の匂いまで嗅がせてやれば、俺の絵図に乗ってこない奴はいない。長年人を見出し、束ね、導く事を生業とする千駄木が磨き上げてきた、成功への最短経路だった。

 

「……や、です」


 しかしそれゆえに、千駄木は見落としていた。シオが芸能人として昇り詰める一方で、その為に置き去りにしてきた嘘と罪の意識も積み上がり続けている事。そしていつか階段を上る彼女の足元へ追い付いてしまう――つまり、嘘を吐く事で得る利益より、その苦しさからの解放を求めてしまう瞬間が訪れる事を。

 

「――今、なんつった?」

「もう、嘘を吐くの、嫌です」


 どうせ一時の迷いだろうと碌に取り合わなかった、往路のロケバスで切り出されたものと同じ文句。改めてそれを突きつけられた千駄木は、それこそ有り得ないものを見たといわんばかりに目を丸くする。その先に映っているのは、もはや完全に『クールでサディストな霊能アイドル』としての仮面を外して床に置いた。カガミ以上に昇進で気弱なひとりの女性、日生詩緒ひなせしおでしかなかった。

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